フォーレ 幻想の水平線
(L'horizon chimerique) Op.118 より
第3曲 ディアーヌよ、セレーネよ
1921
ディアーヌよセレーネよ 美しい銀色の月よ | |
彼女たちは荒廃したその相貌に照り返す | |
天体の極まりない倦怠の中で | |
私たちがその喪失を嘆いている 太陽への愛惜を | |
おお月よ 私は恨む | |
お前の透明さを | |
哀れな心のいたずらな混乱を | |
あざけり笑うお前の姿を | |
そして、私の心はいつも疲れいらだつ | |
私は憧れる | |
お前の夜の炎の平和に | |
ジャン・トゥ・ラ・ヴィル・ドゥ・ミルモン |
やっぱりこの月は天体望遠鏡で見た大きな月ですね。
1921年の月ですから。(^o^)
実は初めこの曲にとりかかったときはそんな風には思いませんでした。
楽譜の解説にもフォーレの白鳥の歌であるなんて書いてあったし、リ
ズムがほぼ一定に続くのも、あまり抑揚があるとは言えない旋律も
きっとフォーレの晩年の疲れを反映しているのだろうと思いました。
だが、ちょっと違うところもある。
楽譜の最後の方に、Sans
rall.(遅くしないで)と書いてあります。その
後曲はディミニエンドして終わるのですが、何故遅くしないのか。
次に詩を読んでみます。
デイアーヌはローマの月の女神、セレーネはギリシャの月の女神。
彼女たちの荒れた顔(表面)に太陽の光が反映していることが言わ
れています。そして天体の倦むことのない運行という言葉。ここは、天
体の憂鬱と訳してしまったら少し違うと思うんですがどうでしょう?
月の光が太陽の照り返しであることは近代人でないと知らないことだっ
たのではないかな?
それからまた曲に戻る。
するとほぼ一定のピアノの伴奏が天体の運行を暗示していることがわ
かります。(フォーレが指も頭も疲れていたからじゃないって(^-^))
そんなことはじめっからわかってるって?
それはそうでしょう。しかし「後期のフォーレ」とか「晩年のフォーレ」とか
「幽玄枯淡の境地」とかいう言葉に惑わされて色眼鏡で見るよりも
20世紀の曲だとか、天体の観測が進んだ時代の月のイメージまで取り
入れてみてはいかがでしよう。
フォーレの曲の場合はいろんな考えを取り入れる大きさがあると思います。