昨晩(3/11)の病院当直はキビシカッタぁ・・・。が、何故か、この瞬間 元気・幸せ至極〜!
           
昨晩、QQ隊から電話があり、「56歳男性、急な胸部不快感・痛み」での要請、現場にて「血圧60/ 」とのことで、「危機的な心筋梗塞!即、市内循環器対応が可能な病院を探しつつ、至急搬送!」を指示した。
昼間なら、昇圧剤等を使い、ヘリ搬送もあり得たかもしれないが、夜間なので、救命のためには一刻を争うので、智頭病院の素通りを指示した次第。
結末は如何に・・・・死亡欄に出なきゃ良いのですが・・・。

〓 本論です。
劇団四季の「慣れ ダレ 崩れ 去れ!」を、依頼講演や学会等での発表時に心していますが、考えてみれば、わが生き様・人生自体がそうなのかもしれません。
とくに、大震災から1年の新聞・TV報道を見聞すると、その思いは“平和ボケ”していることが話題になる日本人・・・。
昨日の震災記念の日に、晴香さんに恵まれ、皆で幸せの集いが出来ている事実:一方で、被災地の実に多くの同じ日本人・・・。

講演・学会等での発表のみならず、自身の生き様を震災記念日の夜に自戒した次第でした。
自身が選んだ遺影に遺書調の文章を、やらやっと書くことが出来たのも昨晩でした。
自身が選んだ遺影 : 捜して見て


昨晩の56歳の男性のこの後の人生・QOLがどうなるのか(〜既に震災で失われた命のごとく、家族と突然の別れに至ったのか)は不明ですが、共感的にとらえるならば、今を大切に・懸命にと心した当直でした。勿論、今朝の診療然り。

厳しい・押し付け・独善・・・・多様な評価がありましょうが、小生は小生の生き様しか出来ない。
「異国の丘」の前半で、九重が神田に「不器用な奴だ」と評し、フィナーレでは(あっさりとソ連に組した神田と異なり、抵抗を続けたがために死に至る自分を評して)「不器用な生き様は自分だ」と断じたことを思います。

恵子との出会いから今に至るまでの間、子どもたちとの出会いと育ち、浩之の(小生からすれば情けなく、歯がゆい)現状と一方で、恵まれた千春たち、そして、歩みつつある陽介や他界された福田の両親、小生の父・・・・
何とも、まとめようのない、かつ、小生とは異なる発現遺伝子の個体との家族構成・生活を通じての、必然であるストレス環境。
「慣れ ダレ 崩れ 去れ!」に学ぶ、克己奮闘精神〜これを甘えの構造で曖昧にすることなど小生には出来ない。
恵子がどのように小生を評し、どう言動しようと、小生がコントロールすることは(当然のことながら)不能です。
どうあれば良いのかも分からないまま、常に二者択一を迫られる言動で構成される人生ゆえに、祈るのみか・・・。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり 」の心境にあることは事実
自身の人生・命を軽んじるわけではないが、それなりの覚悟をすべき、齢61歳余の今です。

外来の受付:既に20人!
昨晩は町内の子どもの受診は皆無で、町外の子ども、それ以上に大人年齢・高齢者が多かったことからすれば、あぁ、智頭の子どもたちの保護者の受診は素晴らしい!
〜夜、小生を寝せてくれる!昨晩は結局まともに寝れなかったのですが・・・。('12/3/12 記)