アイーダ
AIDA
智頭四季の会が観劇したミュージカルの中で、第一位になった【アイーダ】について、書かねばならない。
 エルトン・ジョン作曲のミュージカル【アイーダ】が、劇団四季によりわが国で初演されたのは、東京ではなく、大阪であった。♪1翌年の1月の冬休み、ロングラン開始間もない頃に、娘が初観劇し、高い評価をしていた。
 小生が鳥取県立中央病院を辞して智頭病院に異動したのは2003年11月1日だった。自身、小児科医人生を通じて初めての“一人小児科医”で、感染症の多い冬場を迎えるとあって、初観劇を5月29日(土)夜公演と決め、チケットを購入していた。
 ところが、妻は、娘の評価を聞いて、出来れば早めに観劇したい旨を話していた。3月になり、インフルエンザ、胃腸炎の流行状況や小生の診療ペースが整ってきたこともあり、急遽【アイーダ】のチケットを購入した。2階席 B席♪2で、つまり、舞台からかなり遠い席であったが、感動は深く大きかった。即ち、ストーリー、演技と証明、何よりも音楽・歌唱に魅せられた。(小生の語彙・筆記力では表記困難!)
2004年度、病院職員親睦会の医局役員に小生が指名された。活動の始まりは、5月の連休が過ぎて一段落した頃だった。宿泊親睦研修と日帰りプランが計画されたが、後者について、京都劇場でロングラン中で延長発売を繰り返していた【美女と野獣】観劇+京都αの企画を提案したところ、これが採択された。劇団四季会員であった小生が、会員先行発売日に良い席を購入することとした。
 10月17日(日)の日帰りと決まった【美女と野獣】(Beauty & Beast BB)を、企画をした責任上、劇場で合流し、小生(夫婦)も久しぶりにBBを観劇することにした。かつ、せっかくの機会ゆえ、大阪で前泊し、前夜に【アイーダ】も観劇しようと決めた。この段階で、小生夫婦は、2階B席から【アイーダ】を一度観劇したに過ぎなかった。2回目の観劇以前の決定であった。
さて、これからが【アイーダ】事件となる!
 われわれ夫婦の行状を垣間見た、当時の小児科(旧姓が大谷ゆえ、妹のような)看護師さんと当時の外来部門の看護師さんたち、何と6人が、10月17日(日)のBB観劇に加えて、前夜の【アイーダ】も感激すると言いだした。
 ちなみに、皆が劇団四季ミュージカルは未体験であり、かつ、職業人であると共に、妻であり、子育て中の母親である。
 観劇後、6人皆が、大感激し、観劇後の8人での懇親会は、当然、盛り上がった。某女史談「こんなエェモンを何で早く教えなかったのか!」と。小生「チョイ待て、我々夫婦は3月にB席で1回見たのみの時点で、今日のチケット(VIP席)を購入したんだよ!」彼女「ン?!とにかく半年出遅れた感じ!」と言った問答。何れにせよ、「人生が変わった!」といえるほどの感動を得て、その後も観劇を重ねてきた淑女さんたちを【アイーダ】6人衆と呼ぶことになった。♪3
ヴェルディのオペラ【AIDA】の舞台は、小生は、2005年10月23日(日)大阪フェスティバル・ホールでのプラハ歌劇場公演が初体験で、次いで、翌年10月22日(日)鳥取市“梨花ホール”でのキエフ歌劇場公演と、2回体験している。
 ミュージカル【アイーダ】が、ラダメスとアイーダの出会い場面から始まる、いや、それ以前にニューヨーク・メトロポリタン美術館を示唆する“今”から舞台が始まり、数千年遡る劇的な演出であるのに比べて、オペラ【AIDA】は、二人の関係性が愛し合う仲となってからの物語であり、かつ、全般を通して、暗いイメージが終始し、共感し難い。妻に言わせれば、「声は良かろうが、ブッ太い、私は好きになれない歌手が、ブッ太い金切り声に聞こえるソプラノ歌手を愛し、また、愛されるなんて、感覚的に拒絶するワ」となるが、確かに、その傾向は小生も認める。では、ミュージカルは?〜勿論、役に適う歌唱が拙ければ台無しだが・・・。
 音楽的には、ヴェルディとエルトン・ジョンを比べようもない。洋画と日本画を比べて優劣をアレコレ論じることには無理がある。が、間違いなく、エルトン・ジョンによるミュージカル版に、より多くの人たちが共感し易かろう。
何れにせよ、事実として、終末は、エジプトの若き将軍ラダメスは、王の娘アムネリスとの婚約を破棄し、ヌビアことエチオピアの王女で奴隷の身であったアイーダと恋に陥り、そう命がけの恋に陥り、破局を迎える。婚約者を奪われ、女帝となる宿命を担ったアムネリスは、二人に情けをかけ、「共に一つの地下牢に埋めよ!」と命じ、終演となるのである。(?認識は正しい?!)
 が、但し、ミュージカル版では、智頭四季の会の淑女たちの心を射止めたラダメスの台詞と展開がある。ラダメスは「百回う生まれ変わっても、君(アイーダ)を探し出す」と、揺ぎ無い愛・決意を話すのである。
 ミュージカル【アイーダ】では、二人が地下牢に閉じ込められ、暗転する場面から、再び、冒頭の今のメトロポリタン美術館のエジプト展示室に戻り、いかにもラダメスとアイーダの遺伝子を受け継いでいる(〜子どもで出来ていないので、あり得ないが、無視!)若い男女が目と目を合わせ、お互いに惹かれあう場面で終わるのである。
愛は永遠なり・・・などと、恋愛に疎い小生が書くと自嘲するが、少なくとも智頭四季の会の淑女たちの心を鷲掴みしたのは事実である。6人は劇団四季の会員になり、出遅れた1名と他院に異動した1名があり、新【アイーダ】6人衆として、智頭四季の会の中核メンバーとして、感激・観劇体験を重ねているのです。
さて、大阪四季劇場の【ウィキッド】のロングランが終了し、小生の予測通り、【アイーダ】が戻ってきます。出来るならば、劇団四季【アイーダ】オリジナル・キャストであるアイーダ:濱田めぐみ、ラダメス:阿久津陽一郎であり、かつ、個人的には未体験(見たいけん!)鈴木ほのかの舞台をと希う。
 さて、この後、皆がどのような観劇人生になるのか・・・。
 エ? 智頭四季の会の面々、【アイーダ】6人衆は、ここまで何回【アイーダ】を観劇したのかって? ン・・・?!

関連ホームページ
○ 劇団四季ミュージカル【アイーダ

♪1:浅利慶太氏率いる劇団四季の根幹を成す“東京一極”に陥らない、全国展開を重視する方針の象徴といえる。劇場は大阪ビジネス・パークにあるMBS劇場(現 シアターBRAVA!)であった。
♪2:席種はS・A・B・Cで、当時 B席は \6,300、S席は\10,500(会員価格;非会員は\11,550)
♪3:翌10/17(日)のBBは、野獣が石丸幹二、ルミエールが下村尊則であり、いわば、ファンにとっては最上のコンビだったのだが、アイーダ6人衆にとっては、前夜の感動が大き過ぎて?!BBの記憶が非常に弱いのは残念なことだった。何せ、石丸幹二が劇団四季を退団した後、“New Brain”なる非劇団四季ミュージカルを【アイーダ】新6人衆の4人が(メインであった劇団四季【キャッツ】をS回転席で感激することのサテライトとして)観劇したが、要は幹二さんとの“御目文字”が約1万円の余分な出費の動機であった。つまり、劇団四季ミュージカル観劇を重ね、石丸幹二の位置づけ等が分かり始めてから、彼が退団し、久しぶりのミュージカル出演とあって“御目文字”に至った。さて、2004年10月17日のBBにおける石丸幹二の野獣を6人衆は記銘できなかった。つまり、それほどまでに【アイーダ】観劇のインパクトが大きかったということです。→ 関連:コチラ(作品主義 vs スター主義)
2010/11/ 5 記 11/7 補記

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