2011年 8月16日夕、わがクラシック音楽の導師K氏が訪問してくださいました。途中、夕食を共にして、前後に研修 〜 この日の終了は午前様間際となりました! |
楽しい時間をありがとう!ホールは出色のできばえだと思います。妻も普通なら寝てしまうところが最後までしっかり見たとのこと。本物の迫力が十分再現できていると思います。またお伺いできる日を楽しみにしてます。 |
↑K氏からのメール [2011/8/18(木) 0:50] |
母上様 アノネ |
1973年の年明けに、某先輩K氏と大阪に出かけました。イタリアのマンドリン「カラーチェ “クラシコB”」を、当時、大阪でマンドリンを扱っていた職人のお店(三好楽器)に二人で出向き、彼が楽器を手にして、「鳴らしてみて、良いのでは・・・」との判断をもらい、そして、小生は母上におねだりして、(当時としては高額の)10万円の購入金を支援してもらったのです。今 愛器は・・・ |
大学に入った当時、クラシック音楽に縁がなかった小生に対して、K氏は、ベートーベンのバイオリン協奏曲などを、彼の自室で(おそらくFM放送等の録音)テープを聴かせ、「百回も聴けば分かるようになる」との指南。小生は当時出始めたLPレコードの1,000円廉価版を購入し、繰り返し繰り返し・・・それこそ百回(以上)は聴きました。その過程で、確か、に良いモノだと徐々に分かり始め、聴く曲目が増えていったのです。(が、当時の“聴く”水準は、幼稚園生並だったと、今、評価できます。) |
結果的に3年間音楽研修をした湖山時代でしたが、わが人生における極めて貴重な時でした。(勿論、伴侶を得たこともありますが・・・。) 1年目はヨット部とマンドリンクラブに在籍しており、2年目を迎える頃に、両部の先輩が、どちらか一つにしないと、どちらも中途半端になる。(他の部員にも迷惑になる。)選べ!と。⇒脱線1 |
その後、今に至るまで、クラシック音楽への傾倒は、紆余曲折がありましたが、着実に深まり・高まりました。停滞したのは、小児科医として、力を付けつつあった(付けねばならなかった)卒業後からの十数年です。当然のことでした。 |
転機は、学会・研究班等での上京を重ねていた際、夜行列車でのとんぼ返りを止めて、東京で泊まり、朝一番のANA機で帰鳥するようになったこと。妻の進言があってのことでした。発表等を終えた夕〜夜、サントリーホール等での演奏会を体験するようになったのです。 サントリーホールの会員になり、ここを基地として、機会あるごとに聴き、他には、オーチャードホールでのオペラ、東京芸術劇場、文化会館(以上は大ホールと小ホール)や、NHKホール(3階)を体験しました。小ホールは、王子ホールなど・・・。 |
ネットでCDが購入できるようになったことも、聴く機会を増やすことになりました。聴いて集中していると、仕事から離れることが出来て、結果的に、(大脳機能が)リフレッシュするわけです。当時は、TOWER RECORD から、廉価版・セット版等を随分購入していました。やがて、Yahoo Auction で専門業者等から、やがて、AMAZON での購入が主体となって、今に至っています。 |
さらに大きな転機は、智頭病院に異動したことで、幸い、時間的・精神的なゆとりが生まれました。 かつ、偶然、全くの偶然ですが、兵庫県立芸術文化センターが開館するとの 電子チケット ぴあ のメールに接したことです。(無料)会員登録をし、メールは届いていましたが、見ることもなく廃棄していた状況になって、何故か、開封し、内容を通覧していて、見慣れない「兵庫県立芸術文化センター」の文字列にであり、調べたわけです。全くの偶然で、感謝至極!でした。 |
マサカ、5年間、毎年更新の年間定期会員となって、定期演奏会に通う人生になるとは、全く予想し得なかったことでした。1年目(2階2C16席)6公演中の第2回定期演奏会は母上様を北海道にお連れする日程と重なったことで、視聴できませんでしたが、これ以外は、全公演を体験しました。→※ というのも、ホールに惚れ込んでしまったからです。それこそ、文字通り、万障繰り合わせての通いでした。 ※ 2年目2B16席、3年目も2B16席、4年目2A23席、5年目2A22席〜何れも2階席;3年目からは9公演 ⇒ 49回の定期公演中、48回を聴いた! |
第6期が2011年9月から9公演スタートしますが、購入は見合わせました。 当初計画が、還暦までの5年間を想定していたこと、そして、これまた予想外の〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕が昨年10月に出来たことナドです。⇒脱線2 ★ 5年後(〜いや3年後?)には、心身の健康と家族環境が許されれば、再び、年間定期会員となって、さらなる研修をと密かに願ってはいます。 |
英国流では、“貴族”でない、全くの平民が保有し得る、自己評価ですが、最良・最上の視聴覚室〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕が実現するとは・・・。 誰にどう感謝して良いのか・・・。偶然の積み重ね、各種ハードルが(自身が乗り越えようと努力したわけでなく、)何故か、結果的に乗り越えて行けた事実には、本人自身、ある種の力を感じざるを得なかったほどです。⇒脱線3 |
〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕 の実力 : これまでに気づいている事項です。 |
購入した Blu-Ray 機の最初の録画が、BS2 マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏だった。この大音量に似合う音量に up して聴くわけだが、兵庫県立芸術文化センターの大ホール(の自身が愛好している2階席)で聴くのと同様の音空間が得られる。音が割れることはない!階下の台所ではうるさいでしょうが・・・。 *2階席の想定?〜楽天市場で見出した、もっとも高さの高いバーカウンター用の椅子を購入して聴いている。これに座ると、天井高3.5m の“MIRO”の中ほどの高さになり、おおよそ兵庫県立芸術文化センター大ホールの2階席相当の音の空間が生まれる。 残念ながら、背もたれがないので、疲れて聴くか、心地良く聴いていて、オネム調に陥ると大変!〜転落しそうになる! * 音楽の友社 刊「世界のオーケストラ名鑑387」ではトップ10で紹介されている。かつては、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と称していたが、創立100年の1988年にオランダ女王から“ロイヤル”の称号を与えられたと同誌で知った。また、コンセルトヘボウ(Concertgebouw)とは、英語のコンサート・ホールであるとも知った。(ハイ。ド素人です。) |
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*聴くことが主体の場合は、バーカウンター用の椅子を“MIRO”後方に置いて、音の広がりを楽しんでいる。 |
BS1 限定〜阪神vs巨人等 : うるさい解説者の声を停めて、そう、球場音声で、応援グッズも持ち出して、楽しめている。この際は、寅さん、じゃない、虎ちゃんファン(不安)の妻と共に楽しむのが定番となる。 *ホール名は改称され、〔アネックス甲子園〕などと称している。⇒脱線4 |
*カヤックのシーズン・オフ?:艇の空気を十分に抜いて、パドルは各々5つのパーツにして、収納庫上部4方向にある棚に保管します。 |
さて、間もなく61歳になるK導師と小生。 K導師が公職を辞され、鳥取県にも居を構えられるようになって、今後、研修機会を共有する機会が増えましょう。 〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕に留まらず、兵庫県立芸術文化センターの大ホール・小ホールや西梅田のザ・シンフォニーホールで、さらには2013年オープン予定の中之島フェスティバルタワー 新 フェスティバルホールで!或いはまた、ロンドン(ロイヤル・オペラ・ハウス、ロイヤル・フェスティバル・ホール、バービカン・センター)やウイーン(国立オペラ座、フォルクス・オーパー、アンデア・ウィーン劇場)などでも! |
いつまでチャレンジが続くでしょうか・・・。何れにせよ、感謝・感謝・・・の日々です。 |
2011/ 8/18 当直の夜⇒脱線5 |
〓 脱 線 〓 |
ところが、部活動の選択が出来ないでいたまま、4月某日、当時、練習会場としていた湖山公民館で、合奏練習を終えた時点で(〜コンサートマスター席に導師K氏が、ひょっとしたら隣に小生が座していて)、2階から新入部の一年生が降りてきました。気づくと、ナ何と、ヨット部のマネージャーとして勧誘した彼女が居たのです。なぜか、ヨット部を止めて、マンドリンクラブ一本にしたのです。⇒大脱線 |
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母上様には〔Petit Hall〕の音の広がりは体験していただきました。機会があれば、是非、ご来鳥いただき〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕を体験して欲しいと願います。 |
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マイカー通勤をJR通勤に切り替えた発端も然りです。 或いは、2011年5月のロンドンでは、7泊で9公演を研修したのですが、まるで、パズルが一つずつ、自然に解けて行き、最良の結果を得たかのように、見事に、計画が整ったのです。そして、今回もまた、天気予報をくつがえす好天に恵まれ、公園巡り等を堪能できました。 ※ 西欧旅行に関しては、1990年の発端から、或いは、506・208の始動は、全て妻の情報が基になっています。わが人生を変えたカミサマに感謝至極!! |
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あァ、妻に合わせ、夫婦でこのようなことになるとは・・・。ン?小生は元来 巨人 ファンだが、最近は 虚人 と呼称していることもあり、妻に花を持たせている。虚人が巨人で、虎が子猫では、妻の機嫌が悪くて困る・・・。 ※ 〔Grand-Pa Hall“MIRO”〕では、原則的に飲食禁!(勿論、禁煙!)だが、ただし、〔アネックス甲子園〕と名称変更して臨む際には、ビール・おつまみ等が解禁となる。優柔不断?! |
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*病院当直は、8人の医師で最多回数をこなしている現状は、心身の健康に恵まれているがゆえのことで、自宅然り、当直室でも、短時間(深い)睡眠を得ることが出来ているがためで、この事実にも感謝至極です。 |
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〓 大 脱 線 〓 | 大脱線は宿直の翌朝に書いた。 |
強いて書けば、(無責任だが、)“運命”だった! ● 湖山での2年目も相変わらず授業に出ないでいた不良学生の小生、前期のみのドイツ語◆の試験前に情報を仲間から得て、それなりに勉強をして、試験開始時の5分前に教室に入った。静かで、皆がそろっている。不思議な感覚を抱いて、教壇を見ると、担当教官が!あと5分でテスト時間が終わるタイミングだった。再試験が無く、厳しいことで有名な同教官であり、お願いして個人的に試験を頼んだらという仲間の進言を受けず、前期で留年が決まってしまった。 勿論、親には言えることではない。[当時、半期6か月間の月謝が6千円(〜月額1,000円という超格安!)の授業料だったが、この未払いに係る督促状が親に届いたこともあるなど、徹底した不良学生?で、教官にお世辞を言うなど出来ず、いわば変人・奇人の類であったろう(〜今でも?!!)。] 後期のみある医動物学も落とした。結局、湖山に3年居た次第で、(ヨット部を捨てたことで、)いよいよ音楽研修に没頭する日々になった。 ◆ テキストが、今になって、くやまれる“ラデッキー行進曲”だった。当時は、全く知識がなく、マサカ、毎年元旦恒例のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートの最終、アンコール曲の最後に演奏される曲に係る小冊子だったのです。が、過去には戻れない・・・。勿論、作曲家がヨハン・シュトラウス2世であることも知らなかった。音楽自体を担当教官は授業で流したらしいが、これも聴き逃している。 クラシック音楽に傾倒し始めていた頃でもあり、何と言うことであったか・・・ |
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そして、今 愛器は・・・ : ケースの中に、何年も旧火山状態です。出して、音を出すのが怖い・・・。乾燥材は入れてあるが、湿気等で劣化して、カラーチェ特有の乾いた明るい音色は×だナァ! |
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