いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあん いの の日記。

2011年6月30日(木)デクレッシェンドも織り交ぜて
 物好きにもほどがある。築45年ほどのわが家を見たいという方がいらっしゃるらしい。連れだって。建物も人間も見どころはないと思うのだけれど,2時間ほど滞在されてお帰りになった。なにが見えたのかお聞きしたいような気もするが,空っぽだったかも知れず,聞くのがこわい。とりあえず松江のお茶はおいしかったようだ。なにより。
 ここのところ,ご近所に葬儀が続いている。わが家をはさんで。ボクとそれほど歳の違わない方も。赤ちゃんの声は聞こえてこないけれど,去られる人は多い。みんないなくなっていくんだなあ。
 いなくなられて気づいたのだが,わが家の東西南北のそれぞれ2軒までにすべて警察署勤務の方がいらっしゃった。わが家は,警察官のみなさんに四方を包囲されていたのだった。そういえば,ネズミ取りのことを書いたりしたこともあったし。マークされていたのだろうか。それでも,空き巣が入ったけれど。
 今日の葬儀はいなばでは珍しい宗派だった。この宗派の葬儀に参列したのは二度目。テンポのよいリズムとメロディが心地よい。いや,お経の話。お気に入りの宗派なのである。どういう経緯で,この宗派になられたのだろう。
 わが家に立ち寄られるより,よっぽどおもしろい物語が聞けそうな気がするのだった。

2011年6月29日(水)カウントダウンもするという
 「あれぇ,源氏さんじゃないのー。」
 「あなたがご覧のテレビはアナログです」と地デジ課長さんが教えてくれるスポット番組に,源氏さん(仮名です)が登場されている。なつかしい。30年ほど前,NHK内にビデオクラブを作った時の仲間のおひとりである。もうひとりは田森さん(仮名です)。ソニーのベータムービーが登場するころの話である。なんでも取り入れるのが早い人だったから,よもやご自宅のテレビがアナログのわけはないと思うけれど,役者ぶりを見込まれたのだろうか。
 アナログ放送視聴家庭向けだけの番組である。すでにデジタル放送にされているみなさんが,源氏さんの自然な演技をご覧になれないのが残念。
 ケーブルテレビを導入した際,電気屋さんが,ケーブルにつながない1台をアナログ放送のうちはABC放送が受信できるように設定してくれた。大体,ケーブルテレビに加入したのも,いなばでは通常視聴できないABC放送を受信するためだった。ほとんど,どうでもいいテレビだけれど,とりあえずメディアはバランスよくつきあいたい。
 アナログ放送が終わると,ABC放送が受信できるテレビは1台だけになる。ちょっとだけ困る。そんなわけで,わが家はギリギリまでアナログ放送視聴家庭なのだった。
 ところで,その時間帯のデジタル放送はどんな情報が提供されているのだろう。先進のご家庭に較べ,わが家は相当差をつけられているのかも知れない。

2011年6月28日(火)このような夜はビールを
 なにやら,昔日の話を書き込んでいるだけのような気もするが,残り時間が少ない割に,先の楽しみもある。自分だけではどうなるかわからないという他人様の判断待ちの部分や,それがダメだった時やどうにかなるとなった時にどうするかという具体的な展開など。お金の心配等も含め。
 その日を乗り切ることでいっぱいいっぱいだった日々を思うと,そんな自分の個人的未来を考えることのできる生活を送っているというのは,なかなか幸せなことなのではないかと思ったりもしている。
 世の中というか,自分の生活について少しだけ視点が広がったような気もするのである。ものさしが変わったということなのかも知れないけれど。その新しく手に入れたものさしは,金属やプラスティック製のように精度の高いものではないようにも思えるが,手触りや長さは結構気に入っているのだった。いつまで,先が楽しめるのだろう。
 とりあえず今日もゆっくり時間が流れ,じっくりと物事に取り組むことができた。集中しないとできないことも多い。あぁ,そして生きていた。
 こんな日は発泡酒をやめて,ビールを飲むことにしている,最近。。

2011年6月27日(月)よく熟れた枇杷の実ひとつ
 ええんでしょうかねえ,こんな攻め方で。と,作戦会議。
 なんだか,最初に戻ってはじめからやり直しのようなことをしてみた。ごまかしのようでもある。こんなのはダメですよと受理されない覚悟もしていたのだが,とりえずこのやり方も検討してもらえるらしい。書面受理。うーん,こちらの法解釈が間違っているのだろうか。現場のみなさんにはみなさんのやり方があるのかも知れない。まっ,なんでもよいから,早く処理していただけるとありがたい。
 帰り道,わが家近くの道路に子ども達が集まっている。道路にのびた枝に大量の実を付けている枇杷を取ろうとしているようだ。伸ばした腕を引っ込めて車をやり過ごしたあと,つまんでいるのがミラーに見える。車はそのまま遠くへ行くと思ったのか。残念,すぐ近所だったんだよね。
 枇杷を食べながらわが家の前を歩く子ども達に,「甘かったかな?」と尋ねたら,顔を見合わせ,なにも言わずに去っていった。咎められると思ったのだろうか。大丈夫,オジさんもそんな子どもだったから。それに,その家のおじいさんは過日救急車で運ばれたんだよね。
 畑のスイカやブドウはさておき,道路に飛び出した袋もかけていない枇杷を学校帰りにひとつふたつつまむくらいは,あの家のおじいさんもおばあさんも許してくれるんじゃないかな。それくらいの余裕のある町がいいと思うな。そのかわり,近所の人に挨拶をするようにね。
 ちなみに,あそこのおじいさんは元お巡りさんだったんだけどね。

2011年6月26日(日)糖度十二の果物に
 山椒の新芽摘みも桑の実摘みもそろそろ終わりである。本日の桑の実は片手で間に合うほどの量しか収穫できなかった。ゆく梅雨を惜しみつつ,大ぶりの実を食べてみた。
 雨に濡れているせいか,最初の食感が水っぽい。甘さはあるけれど,スーパーに売られている糖度12というような大栄スイカに較べれば,糖度は5といったところか。いゃ,4かも。舌糖度計だが。まだ蚕棚のあるおうちもあった50年ほど前は,桑畑で口が紫になるほどおいしいと思って食べていたのだから,かわいいものである。
 とりあえず,この半世紀の間にボクの味覚生活というか糖度生活は7〜8程度は上昇し,ずいぶん甘いものも食べることができるようになったらしい。充実の人生である。
 それにつけても,糖度12からスタートする子ども達が食べる50年後の大栄スイカはどのようなことになっているのだろう。糖度12を水っぽく感じる日がくるのだろうか。
 桑の実からはじまる人生でよかった。

2011年6月25日(土)近景を濡らし続ける
 家を出る時はまだ晴れ間もあったのである。目的地についてビックリの土砂降り。とりあえず,屋根付きの駐車場に車を駐めて階段を降りてみた。目的地は,信号機付き横断歩道を渡ってすぐである。目と鼻の先。
 が,見る見る車道と歩道上の水かさが増え,縁石が水に埋まってしまうところも。車道も歩道も川である。排水の悪い場所らしい。枯葉だけでなく,珈琲の空き缶やファイルのようなものも流れてくる。
 ボクは,ここのところ若い頃のように長靴を履く生活をしている。ジャブジャブと渡ることができる。しかし,側にいるスニーカーの人は,目的地にたどりついたとしても歩く気が起こらない状態になることだろう。駐車場の出口に立ち,様子を見ることにした。
 サンダル履きの若い女性も多い。そんなみなさんは川を渡って行く。パンプスを履いている人の中には,つま先立ちで挑戦される方もある。足の長さが50cmくらいあれば濡れないかも知れないが,もちろんそんな女性はいらっしゃらない。挑戦されたみなさんの靴はずぶずぶずぶ。
 雨の中へ飛び出していく人は若い人なんだねえ。少し様子をみるくらいの大人になったのかもと話していたら,ボクより歳がだいぶ上そうな人なのに,合成靴で川に飛び出して行かれた。チャレンジングである。いゃあ,若い。
 まっ,『波の塔』の男女のようであれば,裸足にでもなって飛び出したと思うけれど。

2011年6月24日(金)はじめてのことであるらし
 その名のついた饅頭はまだ作られているのだろうか。鹿之助饅頭。トッピングにクルミが乗せられた,饅頭の割にはもたれないサクサクした食感。くださる人があれば喜んで食べる饅頭だ。少年期を過ごした町のお菓子屋さんがお作りだった。
 本名の幸盛がついた墓所があるせいか,当時の学校の先生の訓話などでも,その「願わくば,我に七難八苦を与えたまえ」というフレーズはよく聞かされて育ったような気がする。
 昔の人はえらいなあ。ボクは一難一苦で十分。時々は悦楽もないとね。クーラーの効いた部屋でおいしい饅頭を食べてお茶を飲むとか。もっと,先生方の教えに忠実に生きていれば違った人生だったかも知れない。とりあえず,鹿之助さんのお友達にはしてもらえないことだろう。
 ということで,今日は一難に向かってみたのだった。まっ,あちらも一難だったのかも知れないけれど。

2011年6月23日(木)インターフォンの向こうから
 ひと雨降れば少し気温も下がると思うのだが,雨は明日以降らしい。そんなわけで,今年初めてエアコンを使ってしまいました。すいません。
 ところが,松本の方は大雨だとか。観光バスが通行止め。旅行中に足止めというようなニュースを聞けば,まっ先に,松本清張さんの『波の塔』を思い浮かべてしまう俗人である。まっ,困った時,傷口を広げないようにどういう次善の策を講じるかが大事だと思うな。
 さて,とりあえず営業最終日。残業をされていたのだろう,6時過ぎにダメ出しのFAXが入ってきた。何この理由?意味わからんしと,お局も口をあんぐり。まっ,面倒なことはいやなんじゃないの。
 それはさておき,本日は「これでどうやねん。参ったか。」というビッグな大口営業も3件成功。なかには,その筋を使った方が早いよとおっしゃる方も2名ばかり。いろいろご助言をくださる。ありがとうございます。多分,そうなのだろう。でも,闘いの最初くらいは自力でやらないとね。
 中島みゆきさんの『負けんもんね』と,ドリス・デイさんの『ケ・セラ・セラ』を聴きながら,本日のまとめをおこなっている。86だった。今のところ,ボクのお宝。

2011年6月22日(水)真上の空より濃い色の
 ノーリアンズブラックが咲いた。今年最初の開花である。いつもと同じように深いブルーがきれいだ。しばらく見ていても飽きないディープ・ブルー。砂丘脇で世代交代を続け,すでにもう6世になった。今シーズン初めての花だというのに,結構大ぶりだ。丁寧に肥料もたっぷり与えているせいだろうか。朝がくるのが楽しみである。って,他人様よりちょっと遅い朝だと思うけれど。
 たった6個であるが,ミニトマトも今年初収穫だった。皮が固い。ひとつぶの五分の一は皮ではないかというほどの固さである。食感も甘さも,市販されているものにはとても勝てない。収穫して10分後に食べているということくらしか取り柄のないトマトなのである。
 そんな今日は夏至だとか。蒸し暑いいち日だったこととノーリアンズブラックを記憶しておくため,『サマータイム』の編集盤その2と『カインド・オブ・ブルー』の夜にしてみた。

2011年6月21日(火)木漏れ日を見つつ流れる
 汗ばむ陽気であるが,ここのところ飛び込みの営業中。といっても,ノルマを達成すればボーナスがもらえたりする話ではないところが,ちょっと残念。ご協力のお願いをしてみているのだった。
 みなさん,概ねというか,どなたもたいへん協力的である。いちばん難しいかも知れないと思っていたところからも快諾をいただいた。ありがとうございます。営業向きの体質だったのだろうか。
 ご助言をくださったり,行政にはちょっとくらいは顔が利きますよ等とおっしゃってくださる方も。心強い。とりあえず自力で取り組んでみますよ等と言いつつ,営業はもうしばらく続くのだった。
 結局は,自分に金も力もないことを再確認するだけのことになるような気もするけれど。

2011年6月20日(月)侵略的と分類された
 アゲハチョウの周りを大量の蛾が飛んでいる。『鳥』ほどではないが,なんだか異様な感じ。ちょこまかヒラヒラとよく動くからカウントが難しい。ホタル・カレンダーの数字ほど正確ではないけれど,その数28匹ほど。栗の花やザクロの花が満開なのである。受粉が促進されることだろう。
 名前を知らない白い花をつけている木の周りでもたくさん飛んでいる。枝を手折って,図鑑で調べてみた。モクセイ科イボタノキ属のようである。表から透かしても裏から透かしても主脈・側脈ともに透けて見えるところから,「トウネズミモチ」らしい。蛾のおかげで,木の名前がわかった。
 ところで,その蛾の名前もわからない。オレンジ色の胴体に,白黒まだらの翅。画像化して,これも図鑑で調べることにした。「ヒロオビトンボエダシャク」という名前のようだ。どこで育ってきたのかと調べれば,幼虫の食草はツルウメモドキだとか。心当たりがある。コシアブラとアケビの側に生えているのである。切っておけばよかった。
 それにしても,ブタノマンジュウというシクラメンの和名ほどではないけれど,両方とも自分の名前を知れば驚きそうなネーミングである。おまけに,トウネズミモチは気の毒にも侵略的外来樹木に指定されている。自分で来たくて来たわけではないだろうに。切ったりしないから安心するようにね。

2011年6月19日(日)残りわずかの燃料で
 高速道路の休日料金上限1000円制度が,この休日で終わりだとか。料金所等にもお知らせの看板が数多。だからというわけではなく,たまたま日程が重なったせいで,たっぷり使わせてもらったのだった。
 といっても,燃費の悪い車ゆえ,たっぷり使ったのはガソリンもである。
 道々,ガソリン価格を眺めながら走っていたのだが,いなばの場合,北部と南部で6円ほどの価格差があった。びっくり。と思いつつ走っていたら,いなば北部より太平洋側はさらに10円も安かった。いわんや,アメリカやサウジアラビアをや。ガソリンの高価格地域に住んでいるのだった。知らないのが幸せなことも世の中には多い。
 最終日の制度を利用された方もたくさんいたようで,お土産を売っていたお嬢さんも人出の多さにびっくりされていた。出かけた先は結構な渋滞。駐車場は満車。おまけに,休日の駐車料金は30分300円だとか。ぼったくり駐車場。まっ,来週からはこの措置の反動がでるのだろう。お気の毒なことである。
 動けば人と出会うけれど,もちろん去っていく人が何枚もいる。

2011年6月18日(土)その色に名のつけられて
 群馬で幼少期をお過ごしだった方に,庭の桑の実を摘んで,お出ししてみた。
 「あっ,どどめですね。」
 「ええっっ,どどめって?」
 群馬界隈では,桑の実のことを「どどめ」と呼ぶのだそうだ。どどめ色というのは,桑の実の色のことらしい。とはいえ,桑の実は,白っぽい色から赤,紫等と熟し加減によって色が変わる。いつの状態であっても桑の実は「どどめ」なのか,最終的に黒っぽくなった紫色のことを指すものなのか。
 まっ,何となく熟した状態の黒っぽい色のような気もするけれど,それがつぶれて手の指についた時には,きれいな赤紫になったりもする。どどめ色もまんざら捨てた色でもないと思うな。
 それにしても,さすが富岡製糸場のある県。桑も大量に植えられていて身近な植物だったのだろう。表現がなかなかユニークである。

2011年6月17日(金)メスのホタルは草にいて
 お客様と一緒にホタル鑑賞。こんなにたくさんホタルが飛んでいるのを見たのは初めてと言ってくださったけれど,本日のホタル数の公式?発表は,たった275匹だとか。少ない。これでも本日が今シーズンのピークになるかも知れないとおっしゃる方も。とりあえず,今月いっぱいは鑑賞できそうである。
 ホタルカレンダーによると,昨日は134匹で,一昨日は92匹なのだそうな。今日は,一気に昨日の2倍なのである。人出はまだそれほどでもなかったけれど,晴れれば,明日はにぎわうことだろう。
 それにしても,公共施設近くのいくつかの駐車場は,ガードマンの方がしっかりガードしていて,車を駐めることができない。往来が激しくなれば,ご近所のみなさんがいやがられるのかも知れないが,せっかく広い駐車場があるのだから開放されてはどうだろう。
 本日,広い駐車場に駐めてあったのは,ミニパトだけ。ホタルと一緒に,ミニパトだけの贅沢な駐車場も鑑賞させてもらったのだった。

2011年6月16日(木)閉店の日付が書かれ
 ガソリンはお友達が経営しているGSで給油してもらっていたのだが,近くを通らなくなったこともあって,近所のセルフも時々使わせてもらっている。ストーブの灯油もこのお店でお世話になった。距離的には一番近いわけではないが,立地や広さや器具の使い勝手の面で利用しやすいお店だったのである。
 そのお店の価格表示の脇に,6月末で閉店という大きな張り紙があった。ちょっと意外。閉店されるのは,100mほど離れた場所にあるもっと小さなGSの方が先ではないかと思っていたのである。大きなお店が撤退されて小さなお店の方が生き残るという,ちょっとレアな商業展開。小さくても生き残ることができる秘策をお持ちなのかも知れない。
 プリペイドの残金は返してもらえると思うけれど,それにしても来月からどこへ行けばよいのかちょっと困っている。

2011年6月15日(水)紫色の指先で
 此頃ワガ家デ採レシモノ
 枇杷ノ実桑ノ実山椒ノ実
 小梅ハアマタ庭ニ落ツ
 山椒ノ新芽ト苺ヲツメバ
 蟻モ一緒ニ篭ノナカ
 草ニナリタルミントト三ツ葉
 ローズマリーニバジルノ葉ッパ
 今日ノ料理ニ使ッテオリヌ
 うーん,これくらいしか続かない。落書のようにはいかないな。昔の人はすごいね。
 ということで,とりわけここのところ日課になっているのが,山椒の新芽と桑の実を摘むことである。どちらも成長が早い。茶畑での茶摘みもこのようなものなのだろう。おかげで,山椒の葉っぱの自家製佃煮を食べさせてもらっている。これが病みつきになる味。口に広がったしびれが全身にまわり,気持ちよいのである。
 そのしびれも加わり,結局こんなことしか書けない夜を過ごしているのだった。

2011年6月14日(火)いにしえのハード・ロックを
 時々ネット・オークションをのぞく。探し物がいくつかあるのだった。たとえば,ロックのレコード盤。都市部の中古レコード屋さんでもなかなか見つからない盤が先日出品されていた。付録も完品で3500円。安い。と思っていたら,すぐに25000円になって,次の日には60000円になっていた。いち度も入札することなく終了。
  ...。
 出品者が勝手に高価格からはじめるような盤は別にして,他にも人気の高いロック盤があるのかと思い調べてみた。
 スタートは1500円なのにすでに130000円を超えている盤があった。レッド・ツェッペリンの1969年のデビューアルバム。当時1800円で発売された国内盤である。7人が参加されている。メンバーのクレジット・ミスがあるからそんなことになるのだろうか。
 このLPはわが家にもある。けれど,このバンドのデビュー時,ボクはディープ・パープル派だった。すぐには買わなかったのである。あるのはその後発売された2000円になった盤。クレジット・ミスは訂正されている。130000円はもちろん,2000円でも買ってくださる人はないだろう。残念。
 そんなボクとは違い,1969年の発売と同時にこのアルバムを買った同級生を2人知っている。ふたりとも,大事に保管しているのだろうか。ゴミ扱いされていなければよいのだけれど。

2011年6月13日(月)メモなれば複写はできぬ
 連絡がくれば,いゃあ遅かったですねえ,どういうわけですの?という問い合わせをしようと思っていたのだが,そろそろこちらから尋ねてはどうかとご助言をいただく。なにしろ,お願いをしたのは2週間前のことなのである。連絡をしてみた。時間指定。まっ,そちらに合わせますわ。
 こちらのお願いに対して,まったく処理をされていないというわけではないが,業務は処理完了にはなっていなかった。どうせ他人事。もちろん遅いことはあちらも重々ご承知である。平謝り。とはいえ,お願いの文書の上には,担当者のみなさんの手書きのダメだしの言葉が並んでいた。当方も大した文章を書いていなかったけれど,あちらのみなさんも精査されながらの文章とも思えない,杓子定規なダメだしである。
 みなさんの温かい協力は難しそうだ。セルフ・ヘルプである。もう一度文章を書いて,とりあえずFAXを送ってみた。
 さて,明日から忙しくなりそうである。

2011年6月12日(日)2ストロークの心地よき
 エンジン音で目が覚めた。といっても車のエンジン音ではなく,2サイクルエンジンの草刈り機の音らしい。時計を見ると,8時を過ぎている。世間はもう朝が来ているようだ。
 昨夜は,家内制手工業の作業終了後,2時過ぎまでフランス映画を観ていた。それから湯船に浸かって寝たのである。ご近所のお嬢さんの部屋の窓もまだ明るかった。同じように草刈り機で起こされた朝だったのではないか。それとも,若者はそれくらいの音では目が覚めないのか。エンジン音くらいでは目覚めない「寝ヂカラ」はボクにはもうない。
 それにしても,住宅地ということでいろいろと法的な制限がかかっている割には,のどかな農村地帯の光景ではないか。
 なにはともあれ,早起きをさせてもらい,午後の勉強会もいい学びができた。充実のいち日だった。ということにしておきたい。

2011年6月11日(土)あかねの空を見るために
 なかなか立派な寝癖。ドライヤーを使わないからよくあることだ。寝癖のついたまま終日家内制手工業をする予定だったのだが,そうもいかないようで,外出。服も着替え,寝癖も直して。おかげで,あかね色の空を眺めることができた。外へ出ることは大切らしい。
 さて,家内制手工業である。最新鋭機は快調だったが,4年前に導入した機械の一部が時々反抗する。そんなミスにつきあっていると,オペレーターもつられてミスを連発。道具は大事である。
 結局,作業が完了したのは夜遅くになってしまった。本日の出荷は断念である。残念。
 そんなわけで,出荷作業は明日ということにさせてもらった。

2011年6月10日(金)レジ打ちの少女もやがて
 混んでいるレジが多い中,行列のほとんどないレジに並んだ。皆さんが避けていた理由がわかった。カート2台に山盛りの商品。チルドの餃子とか納豆とか野菜の大量買い占めをされていらっしゃる方がお並びだった。お買い上げは,3万円をはるかに超えている。
 低価格が売りのお店である。わが家の場合は,相当買い込んでも,えっこれで2000円台なのと驚くような買い物しかしたことがない。本日の安売りの「とろけるカレー」は128円。そんな店なのである。3万円以上買うお客さんだから,上客なのだろう。
 さてレジが終わったあと,領収書を書いてくれと頼まれている。レシートとは別に1万円分だけを,とのこと。お嬢さんがお困りである。普通,レシートと引き替えだと思うのだが,印紙を貼ったレシートはしっかりお持ちのままである。他の店員さんを呼んで対応を協議されたりするから,さっぱりボクの相手がしてもらえない。なにしろ,体格の良い迫力のある方なのである。他のレジに並ばれた皆さんは賢明である。
 それにしても,レシートにも「領収書」の文字がある。もう一枚の領収書があるとさらにいいことがあるのだろうか。レシートが溜まるだけのわが家にはうらやましいことである。ちなみに,領収書の宛名は「(財)日本○○館」だった。まっ,そういう業界の人なので,武士の情けの配慮である。出身は水呑だけれど。
 レスポールを買ったという若者と話し込んだりもして,今日は忙しくも楽しいいち日だったのだが,いちばんつまらない話を書いてみたのだった。

2011年6月9日(木)暗闇に未完の曲を
 基本的に何の役にも立たない文章を書いている。こんな陸の孤島に,みなさんが求めるようなオリジナルな情報があるわけもない。知識も少ないし。それでも,日記に書いた作品に興味を持たれる人もいらっしゃるのである。責任を感じる。と言いつつ,元々いい加減なので,書いているだけで責任をどうとるのかというようなことは考えたこともないけれど。
 お読みになられた方が,こいつは何も知らないやつだねえ,ひとつわたしがホントのところを教えてやろうかというようなスタンスで関わっていただくのがいちばん良いと思うのである。
 そんなわけで,立ち寄られる方が多いわけでもないし,やがてカウンターが57577になったら満願成就,書くのを控えようかと思ったりもしていたのだった。それが,思ったより早いペースで近づいている。さて,どうしたものか。
 とりあえず,ロックの日らしい今日も生きていて書き散らかしました。ジミ・ヘンドリックスさんを聴きながら。

2011年6月8日(水)ブルースとバラードの夜
 レイ・ブライアントさん以外にも,この春お亡くなりの方がある。ウォーカー・ブラザースのジョン・ウォーカーさんとかフィービー・スノウさん。
 遙か昔のウォーカー・ブラザースはさておき,フィービー・スノウさんというのは,それほど変わらないお歳のように思っていたのである。調べたら,ちょっとだけフィービーさんの方が年上だった。脳内出血の発症が原因らしい。
 ところで,名前で検索したのだが,ウィキペディアが出てこない。名前の書き方が違うのかと思い色々試してみた。どうも日本のウィキペディアには登録がないようだ。意外にマイナーなシンガーだったのだろうか。ちなみに,ウォーカー・ブラザースで検索したら,スコット・ウォーカーが出てきた。妥当なところか。
 シンプルな横顔と金門橋が描かれたアルバム・ジャケットが印象的である。ズート・シムズさん等のジャズ・ミュージッシャンが参加していることでも話題になった。
 よく聴いたのは,ブルージーな『Good Times 』や『San Francisco Bay Blues』。というか,全編聴きやすく,バックもオシャレな1枚である。
 そんな選曲の夜が続いている。

2011年6月7日(火)鷲掴みするしかなくて
 こぼれ種の朝顔が開いていた。国産種ピンク。今シーズン最初の開花である。気の毒なことに,これもナメクジに一部が食べられていたのだった。朝顔の花も好きらしい。一応,備忘のために。

 レイ・ブライアントさんがお亡くなりになっていた。そんな時にしか聴かないという非ジャズ的生活である。
 レイ・ブライアントさんと言えば,大きな顔と手の『アローン・アット・モントルー』のジャケットがすぐに浮かぶ。ライナーで,由井正一さんが,「人間には一生にただ一度というチャンスが巡ってくることがある。レイ・ブライアントにとって、それは1972年6月23日のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルであった。」とお書きになった一枚である。
 なにしろ,当日はドタキャンのピーターソンさんの代役として出場されたのだった。初めてのソロのステージだったとか。びいーっぐうぇいぶ。チャーンスっ!!遠慮している場合ではない。これはやるしかないと決め,果敢にチャレンジされたのだろう。当日,ブライアントさんは,まだ観客の入っていない会場で練習しまくったらしい。ダラー・ブラントさんほどではないけれど,重たいピアノ。大地を裸足で歩くというか。緊張感とリラックス感がほどよい演奏だ。アンコール曲が3曲も収められている。盛り上がったのである。70年代に流行った,ピアノ・ソロの有名盤のひとつになった。これで,一気にメジャーになったのだった。
 チャンスは大きな手を広げてつかめ。
 オレはこの手でチャンスをつかんだぜと言っているようにも見えるジャケットを眺めると,そのことを思い出すのだった。

2011年6月6日(月)地面が暗くなるころに
 ナメクジ愛好会とか,ナメクジ保存クラブという団体も世の中にはあるのだろうか。そのような方にはもうしわけないけれど,本日もナメクジを駆除させてもらった。
 ナメジゴクというような薬剤もある。とはいえ,土壌汚染は避けたい。使用は最小限にしている。基本的に夜行性だ。そんなわけで,懐中電灯とトングを持って外へ出るのである。獲物を求めて。なんだか,横溝正史の世界のようだ。
 なにしろ,悪さが過ぎる。カタバミばかり食べてくれるのならありがたいが(時々食べている),好物は,デンドロの新芽だったり,シンビジュームの花だったり,シクラメンの小さな葉っぱだったり。もちろん,オランダイチゴや夏野菜の周辺にも。おいしそうなものをよく知っているのである。まったく,夜の庭の越後屋なのだった。
 まっ,連鎖のなかではなんらかの役割を果たしているのだろうが,わが家には棲みつかないでもらいたいものだ。
 と思っているのに,植木鉢の底に透明な卵がたくさんあった。きれいなんだけどね。

2011年6月5日(日)パンをしながら順番に
 音楽で表現するのがお好きな皆さんの発表会。昨年は,撮影が特定の業者だけに許されていた。画像や動画を独占販売である。出演者が入場券を買ってさばいている発表会だ。ビデオ撮影を許可するよう,昨年のアンケートやログにも書かせてもらった。今年は,1団体だけなら撮影をしてもよいことになったらしい。そんなわけで撮影係。とはいえ,リハーサルを見ているわけではないから,アップやロングのタイミングがわからない。視聴後に,お叱りを受けた。すいません。
 ところで,途中の休憩時間は,時間を少なくするかやめていただけないだろうか。20分は長すぎると思うな。お帰りになる人が多数である。まっ,それが目的なのかも知れない。そんなわけで,いろいろと聴かせてもらおうと思っていた皆さんのステージを見ることができませんでした。ごめんなさい。
 午後は雨の予報だった。タマネギの多くが倒れている。雨が降る前に収穫しておきたい。音楽を聴く前と聴いた後に,タマネギの一部を収穫しておいた。
 ご褒美に,おいしいコーヒーを飲ませてもらったり,豆を買わせてもらったり。
 ごちそうさまでした。お世話になりました。

2011年6月4日(土)虫歯を予防する夜に
 耳をつかむとか,等身大で終わらないようにするとか,表現や内容が大事という話し合いである。素材だけでなく,技術や言葉を磨いていくことが大切なのだった。
 質感を高めるためにはどうすればよいのか。
 それなりのセンスも必要なのであろうが,冬場のトレーニングもしっかりやろうねという,積み上げの大切さも学んだのであった。知っていることや知っている技術は全部使えばよいのである。
 とはいえ,知っていることの少ないのがちょっとつらい。なにしろ圏外なのである。
 いずれにせよ,安易な既成の表現にに頼らないようにしようと思ったのだった。

2011年6月3日(金)アナザーサイドのジャケットが
 道の駅の500円の弁当を買って映画を見に行った。30食ほどの限定らしい。まぜご飯に,もさエビとかタケノコとかイカシュウマイ等,おかずの数が多い。量よりも種類を楽しみたい人はお喜びになることだろう。江戸あたりの駅弁屋さんに並べられれば,倍くらいの価格になってもおかしくはないのでは。
 という弁当のことはさておき,映画館である。もちろん,年齢優遇料金をお願いした。年齢確認として免許証の提示でも求められるかと思ったのだが,まったくのスルーというか,ノープロブレムのあっさり高齢者料金である。どこから見ても立派な年齢に見えるらしい。
 さて,入場してビックリ。えっ,まだだれも入場していないの?
 よく見れば,いちばん後ろの列の角にひとりだけ男性がお座りだった。そのうち,お客さんが入ってくるのだろうと思ったが,フロア担当の口上やら注意がはじまってもだれも入ってこない。結局,お客さんがたったの3名。
 座席指定で,K列13番をもらったけれど,ボクの前には誰もいない。初めての体験。大型スクリーンが専用ホームシアター状態なのである。
 なんちゅう映画館やねん。というか,なんちゅう映画やねん。いや,面白かったんですけどね。

2011年6月2日(木)同封されたカタログに
 でかけたついでに,いただきもののお礼をした。現地の名品を地方発送してもらったのである。帰宅したら,留守電が入っていた。バイトのおねえさんが,送料を間違ってたくさんに請求されたのだそうだ。お詫びと,現金をお返しするという内容だった。
 夕方,そのお金がメール便としてポストに入っていた。ボール紙に,100円玉3枚と50円玉1枚と10円玉1枚がテープではり付けられている。まっ,かたいことは抜きで。ありがとうございました。
 一筆箋には丁寧なお詫びの言葉が書かれている。そして,お店で販売されている商品のカラー・カタログや価格表も同封されていた。うーん,なかなかお上手である。まさか,最初からこういう戦略で商売をされているわけではないと思うけれど。
 ついついカタログに見入ってしまっていたのだった。

2011年6月1日(水)この場所はきらいではなく
 よく降る雨である。庭にみずたまりができている。空だけでなく,地下にも相当水が溜まっているようだ。おかげで,しばらく聞こえていなかったカエルの鳴き声が複数になっている。わが家のジャングルの湿ったところで生息しているのだろうか。不思議な生態である。
 不思議と言えば,斉唱職務命令の合憲とか,教職員起立斉唱義務付け条例案とか,この時期の不信任案提出などもちょっと不思議。カエルさんだって不思議がっているのかも知れない。
 強制しなくても,大概のカエルは快適な水のある場所にいれば鳴くはずだ。この国はそれほど住みにくい場所でもない。イヤならどこかへ出て行くだろう。いろんなタイプがいることを折り込み済みとして了解するのが大人というものだと思うのである。意外に,どこかの国のような統一された状況というのが好きな人が多いのだろうか。不思議である。いや,カエルさんのことなんですけどね。

2011年5月31日(火)待つ椅子の壁の向こうに
 本日も主な業務は待つことである。芸のない者は待つしか何もできない。長時間を覚悟していたけれど,思いの外,短時間で終了した。待たせない,腕のいい「職人さん」なのであろう。説明もテキパキ。いい仕事をするプロと一緒に働くことのできるみなさんは幸せなことだ。リーダーの技量は大切である。なにはともあれ,お世話になりました。感謝。
 その後は,見守りの仕事。これもノートラブルで,予想より早く終わった。その他の些事を片づけて,5月が終わってゆく。
 いい仕事をされるみなさんのおかげで楽をさせてもらっているが,いい仕事とまったく縁がないのは,ボクだけか。
 明日はいくつかのデッドライン。いい仕事をしてみたいものである。

2011年5月30日(月)融通がきかない人の
 休日なしの月曜日に突入された業界のみなさんもいらっしゃるシーズンである。おつかれさま。ありがたいことに,当方もいくつか業務がたて込んでいて,寒い寒いなどと言っていられないいち日だった。
 そんなわけで,いくつかの窓口へ。いずれもやっかいごとを含んでいる。待ち時間も長かったり,待っている途中で確認のために何度か呼び出されたりした。それでも何とかつつがなく本日分を終了。
 窓口の向こう側のみなさんはいろいろである。呼び出すたびに丁寧にお詫びを言ってくださるお嬢さんもいれば,おみやげをくださる方も。
 もちろん,そんな人ばかりでなく,自分のペースでルール遵守ひと筋の方もいらっしゃる。かといって,ルールをよく知っているというわけでもなく,時々調べながら。一点張りで機械的なのがお好きであれば,いっそのこと自販機を置いてもらえないだろうか。あるいは,ルールをプログラミングしてロボット対応とか。たのむ。
 そんな気持ちがちょっとだけ起こったのだった。

2011年5月29日(日)ブルースを聴くことにして
 65歳ころから絵を描き始めたという人の作品見学へ行った。元々,その場所へ行こうと思っていたところに,たまたま地元でもニュースで大きく取り上げられることになって,奇遇である。
 雨の中を各駅停車の旅。使われていない引き込み線も複数あった。昔はにぎわっていたのだろう。今は,列車から降りる人も,我々の他は5名ほど。改札を出れば団体客はいたし,いずれ混み合う日が来そうな気もするけれど。
 駅舎にツバメが巣を作っている。子ツバメが4羽,親鳥が近づくと口を開けて餌を食べる準備態勢に入る。往時の活気を想像するのも難しいような,のどかな光景である。
 作品は全部で36枚が展示されていた。体験した人にしか描けない光景である。密度の濃い添え書きも味わい深い。記録や表現は大事。
 平らに切り取られた山が,霧にかすんで見えた。

2011年5月28日(土)ラーメンはきらいなのだと
 屋台で飲んだ後,このあたりでおいしいラーメンはどこですかねえとおかみさんに尋ねた。歳はボクより上だが,なかなか気品の感じられるおねえさんである。若い頃はさぞや,であったことだろう。
 「うちはラーメンはきらいなだが。だけえ,わからん。うどんやそばは食べるけどなあ。」(一部いなば弁に変換)ご近所のよしみで,仲のよい屋台のひとつでも紹介されるかと思ったのである。
 「だいたい,このあたりはバイトでやっとるモンがほとんどだけえ,どこも大したことはないと思うで。近所の5階に,えりすぐりのラーメン屋さんが何軒かあるけえ,そっちに行ってみんさい。」(同上)
 なんと,周りのみなさんが仲間内かと思えば,そうでもないらしい。正直なご助言をいただいた。外見に違わず,中身もさぞやのたたずまいのおかみさんであった。
 5階にあったラーメンは大変おいしかった。とはいえ,こってりについていけなくなっているような気もして,おかみさんと同じように,やがてラーメンがそれほどでもなくなる日が来るのかも知れない。

2011年5月27日(金)まきつけられた腰紐は
 二回目の光景である。滅多に公共交通機関に乗らない人間が二度も見かけるというのは,日常的に当たり前に行われていることなのだろう。朝早くのホームに,腰紐をつけられた男性が入ってきた。ふたりの男性に付き添われて。手錠部分は,専用の袋でカバーされているけれど,紐付きで指定席の乗車口に向かう姿に,周辺のみなさんが少し驚き顔である。ボクも視線が合わないように見ていたつもりだったのだが,ふいに顔を上げられて,ばったりと合ってしまった。
 ジーパンに白いスニーカー姿。細くて小柄。善良そうな人にも見える。失礼なことだが,同行のお二人の方が,体型的にも雰囲気もちょっと怖そう。傍目に見ていても,男性はふたりに頭をさげっぱなしでお気の毒だ。なにか声をかけられると頭をさげる。かわいげに振る舞うしかないのかも知れない。
 とりあえずの終点に到着後も,新幹線乗り場までボクのすぐ前を歩いていらっしゃった。遠くへの移送のようだ。車ではなく公共交通機関を使うのが,何かあっても個々の責任回避ができるということなのであろう。
 なんだか,引き回しというか,見せしめ的効果を狙っているようにも見える。ちょっとイヤな感じ。

2011年5月26日(木)仕組みのわからぬものの増え
 WEBで確認すると,相変わらずその日のタイトルが反映されていない。アップするファイルにはある文字の一部が読めないというのはどういうわけなのかさっぱりわからない。表示されないフォントなのだろうか。プロバイダの方に調査してもらっているが,まだ回答がこない。添付したつもりのファイルが添付されていなかったのだとか。当方の送信済みのメールにはファイルが添付されているのに,先方には届いていないというのもなんだか不思議。
 そんなわけで,ちょっとお休みします。
 というか,今月中ならお安くしますぜタダ同然こちらにもきなはれ,というご案内をいただいている。タダより安いモノはないと思うのである。本当かどうか検証してみることにしたのだった。

2011年5月25日(水)ハリエンジュ手折れば棘に
 投函しようとして,ちょっと気が変わった。些細なことなのだけど。ドライブスルーのポストをそのままスルーして,再び帰宅。書き直してみた。両方並べてみたけれど,どっちもしょうもないようにも思えてきた。下手な考え休むに似たりである。
 ガソリン損のくたびれもうけ。って,なにも儲かっていないけれど。まっ,くたびれる経験をいくつかするというのは,あとで考えるとなんらかのもうけになっているのだろう。と思うことにした。
 投函の帰りは,砂丘近くで花見。満開の時期はちょっと過ぎたけれど,砂丘界隈はアカシヤの花の咲く頃なのである。といっても,針槐。ニセである。蜂蜜でもおなじみの。西田佐知子さんでもおなじみの。
 道ばたには,散った白い花がたくさん集まっている。乾燥していてサラサラ。花吹雪にすると,美しく飛び散っていった。

2011年5月24日(火)ゆっくりと毀れてゆくか
 FTPが不調のため,indexファイルがなぜかアップできない。どゆこと。
 過去のファイルも,よくみれば5月11日以降のタイトル部分がアップできていない。くだらないからなくてもよいとFTPが判断しているのだろうか。もっと推敲しろという警告かも。よくできたFTPなのかも知れない。
 ということで,いろいろテストをしてみた。が,改善されない。とりあえず,反映までに相当時間がかかるようだ。
 じっとしていると,寒い。夜は冷えてきたようだ。ストーブがあれば点けてもいいくらいだと思ったけれど,気温は19度もあった。冬なら結構暖かく感じることだろう。身体はすっかり夏仕様になっているのだった。
 風呂で温まり,念のために酒でも温めて,早く休むことにした。

2011年5月23日(月)長く伸びたる地下茎の
 鰺が高い。鰯もそこそこ。そんな中でアゴは低価格。2匹で150円である。したがって,今シーズン二度目の山椒味噌焼き。まだちいさいけれど,どちらにも子があった。アゴの子の煮付けも楽しめて,一匹で二度おいしい。山椒の葉っぱの佃煮も添えて。
 庭や畑のあちこちで淡竹が伸びている。今日の雨で,さらに伸びることだろう。立ち退きを命じられたアスパラとかんぞうを移植したついでに,夕食前に淡竹刈りも行った。淡竹のみそ汁と,タケノコのご飯が加わったのだった。
 というような良いことばかりでもなく,タケノコを食べ過ぎているせいか,首筋にニキビのようなものができた。
 まだまだ若いのかも知れないと思ったが,ただ肌が弱いだけなのだろうか。

2011年5月22日(日)獅子舞に追いかけられし
 「聖さん」である。結婚式を挙げたのが聖さんの宵宮の日だった。羽田からの飛行機が飛ばないことになってしまった日でもあった。最後の組だったおかげでホテルがサービスをしてくれ,江戸から大阪経由でタクシーでやってくる人たちを待ち,延々ダラダラ4時間ほど宴を続けたのだった。
 二次会の夜の街にみなさんと繰り出した時,練り歩くそれぞれの町の屋台や賑やかな様子にとても盛り上がった。そんなわけで,氏子でもないのに,聖さんの御幣を見れば,遙か昔を思い出しつつ親近感を抱くのであった。
 とはいえ,屋台等の出る神幸祭は西暦が偶数年の実施だ。そんなわけで,今年は屋台はなし。氏子の家をまわっている獅子舞を見ただけの「聖さん」だった。ちょっと寂しい。
 あとの寂しさを感じるためにも,祭りは賑やかな方がよいな。 

2011年5月21日(土)背にはりついたTシャツを
 暑い。そんな本日も全身を使った労働に従事。汗をよくかいた。途中,外出しなくてはいけない用事ができたらしい。人にお会いするということになると,着替えをしなくてはいけない。とりあえず,シャワーを。と思ったら,身体に張りついたTシャツが脱げない。
 左手が自由にならないのである。右手でむりやり引っ張りあげようとすると,破れそう。今回の五十肩はなかなかしつこいのだった。右肩の時は,それほど長くかからなかったと思うのだが,左肩はすでに半年以上,腕が半分くらいまでしか上がらない生活である。
 というようなことをこぼしたら,「あら,わたしの場合は3年かかったわよ,治るまでに。」
 御意。 

2011年5月20日(金)あれもこれもと切りゆけば
 カエルの合唱を聴きながら,庭木を切る作業。なにしろ,ご近所のおばさんが,「あんたげの庭は,何が出てくるかわからんけー,こわいわ。」とおっしゃるのである。ジャングルなのだ。とはいえ,出るとしても,タヌキかイタチかテンくらいだと思うのだけれど。
 そんなわけで,切ったり刈ったり。剪定ではなく散髪をしただけだが,タヌキの隠れるスペースはかなり減ったように見える。
 それにしても,よく晴れているというのに,カエルがとても元気だ。大変うるさい。もちろん,ひからびた池と晴天続きだから,今のわが家でカエルさんが暮らすのは無理。豊かな水量の池のあるご近所に引っ越しをして,恋をしまくっているらしい。
 ずっとそちらで暮らすようにね。もう,きみ達の帰るところはないと思っていただきたい。 

2011年5月19日(木)ゴミの袋に詰められし
 木曜日は町内のゴミ収集日。またまた指定袋ではないゴミが3袋出されていた。分別もされていない。当然,収集車は回収してくれず,3つのゴミ袋は放置されたままである。
 ご近所の主婦探偵の方の目撃情報によると,近くのアパートにお住まいの方の黒い車が去ったあとに置かれていたとのこと。町内会長さんに報告して連絡をしてもらうのがいいんじゃないのというような話になった。
 昼過ぎに再び出てみると,ゴミ袋の側にダンボールに書かれたメッセージがあった。指定のゴミ袋で出しましょうという文面である。文章の最後に,ご自分の苗字をお書きだ。えらいねえ,おばちゃん。
 ダンボールは雨に弱い。薄い板があったので,「ゴミは分別・指定の袋」と書いてぶら下げて置くことにした。作成してぶら下げようとしたら,あれれ,ゴミ袋もダンボールもなくなっていた。
 主婦探偵にお聞きしてみた。出した人が持ちかえられたとのこと。いゃあ,ちゃんとできるじゃん。よかったよかった。そんなわけで,悪いことはしにくい町内なのである。 

2011年5月18日(水)ひとしきり話をしても
 お金を払って講習会に参加。たっぷり6時間である。包み込むようなゆっくりとしたお話が心地よい。はじまって30分ほどであくびが出てきた。若い女性が講義をしてくださっているというのに。少しメリハリを考えていただけるとありがたいな。
 ほとんどがパワーポイントを使ってテキストを読む授業である。しつびょうとか,おでいとか,あれっというようなところもあった。聴衆をひきつけるテクニックではないと思うけれど。
 午前中まじめにがんばったので,ごほうびのランチはワンコインの大赤字定食。半身の鯖の煮付けに鶏やちくわの唐揚げ等,ボリュームたっぷり。満腹。ちょっと塩分が多いような気がしたのは,身体も頭もあまり使っていなかったからかも知れない。
 再び会場へ入ったら,こんにちはと声をかけてくださる方が。あっ,どこかでお見かけしたことのある人。誰だっけ,誰だっけ。話をしながらも名前を思い出そうとするが,出てこない。「また飲みましょう。」とおっしゃる。午後の講義中,カテゴリーごのお知り合いをチェック。もちろん講義を聴きながら。最近こんなことが増えてきたような気がする。終わる頃にやっとひらめいた。
 午後は,結構頭を使ったと思うな。 

2011年5月17日(火)海を越えるという意味の
 帰りの列車に乗るまでに少し時間があった。ヨハネス・フェルメールの『地理学者』の公開が22日までである。土曜や日曜日に行こうとは思わないけれど,月曜日だ。オープンする時間に行けば,それほど混むこともなくゆっくり観ることが出来るだろう。
 と思ったが,チケット購入にはちょっとした列が出来ていて,館内も結構な混みようである。フェルメールの人気が高いのか,月曜からゆっくりできる人が多いのか。おそろしい街である。
 作品は比較的小さなサイズ。影も大事だが,光はもっと大切である。穏やかな光の中のブルーがきれいだ。地図に描かれた場所を思い浮かべた瞬間だったりするのだろうか。『天文学者』の衣装も青だったらどうだろう等と思いながら観ていたのだった。
 冬には『手紙を書く女』等がやってきて,来年の夏にも『真珠の耳飾りの少女』がやってくる。きっと月曜日から混み合うことだろう。

2011年5月16日(月)見知らぬ人に挨拶を
 自分の周り以外のできごとを自分に引きつけて考えるのはなかなか難しい。起こったことを,ちょっとだけでも自分の身体で感じておこうと思った。何かできたということはないけれど,他人事度数とか,他人事指数というのがあれば,少し下がったのではないか。
 たとえば単位はシランプリとか。100シランプリはまったくの他人事で,0シランプりはまるでわがことである。
 自慢できることでもないが,普段から他人事度数は高い方である。それが,数シランプリか数10シランプリ下がったような気がしている。初めての体験がたくさんあった。目だけではなく,足でも鼻でも感じることがあった。口は多くは役に立たなかった。話が続かないことも多かった。小学生とか高校生とかおじいさんとかおばあさんとか。無葛藤なことばの羅列をするわけにはいかないと感じたのである。
 ちょっとだけ,変わった。

2011年5月15日(日)立ち枯れの松の枝には
 列車が運行できない場所を,代行バスに乗った。バスの運行は1時間に1本。当初は30分に1本だったらしい。お客さんが減ってきたこともあって,最近,間隔が空いたのだとか。
 第一目的地からの帰り,降りたい場所がもうひとつあった。途中下車すれば,次のバスは1時間後だ。遅くなる。時間がたっぷりあったわけではないが,降ろしてもらった。海まで歩いた。いろんなことを想像しながら。
 次のバスは,予定時間にだいぶ遅れて到着した。やっと来たと思ったら,運転席から,補助席2つしか空いてないから,残った人は次のバスにしてくださいとの声。バス停にいたのは6人。予約している列車に間に合わなくなるんですという女性も。立って乗れば大丈夫という声に,警察に見つかると私が怒られるんですと運転手さん。ボクも1時間後は困る。それに,次のバスに乗ることができるかどうかもわからない。バスの中でしゃがんでいるから乗せてくださいと交渉。運転手さんは,しぶしぶルール違反。ごめんね。助かりましたよ。
 そんなわけで,乗降ステップに座る人もあったりで,無事全員乗車。ボクは通路にしゃがんだ。そのボクの後ろの男性が,少し空きましたからもっとうしろにさがっても大丈夫ですよとおっしゃる。
 「あっ,どうも。」
 見れば,40歳前後のカップルの男性が女性を自分の膝に乗せていたのだった。いろいろな距離感のカップルがいる。

2011年5月14日(土)離れていてもおそらくは
 3番E席だと思いこんで座ろうとした席には50年輩の男女がすでにお座りだった。あちらもあわてた様子だった。ごめんなさい,ボクが間違えていました。3号車2番Eだったのを,号車の3と思い違いをしていたのである。
 結局,3番の列はそのふたりだけ。A〜Cが空いているのを見て,なぜか男性はA席へ移動した。女性が座っているE席の窓枠にはおつまみが2種類置かれているのに。ゆったり座りたいからだろうか。普通のカップルはそのように座るものなのか。おもしろそうなカップルである。
 男性は縁なしメガネ。ナイキの白いソックス。グレーのズボンにブラウンのシャツだった。女性は古代ローマの戦士をモチーフにしたようなブラウスに白のコットンパンツ。茶色の短いブーツ。念のために,って二時間ドラマの見過ぎ?
 C席とD席でも,ゆったりほどよい距離だと思うのだが,AとEの方がもっとよい理由があるのかも知れない。次の停車駅までは1時間40分もある。ゆったりできることだろう。

2011年5月13日(金)いつかいつかはもうさほど
 やって来たよ辺境から辺境へ等と,駅まで迎えに来てくれた友人に。
 とはいえ,こちらの辺境には新幹線の大きな駅ができていた。いつの間にか,島のこちら側にちょっと差をつけられていた。
 平日の午後だというのに,ご家族のみなさんが歓迎してくださる。おとなのお嬢さんはもちろん,学校から帰ってきたお嬢さんも大人の食事につきあってくれる。
 朝からごちそうの準備もしてくださったようで,地元の有名食材がこれでもかと並んでいるうえ,いつも飲む酒の3倍うまいという酒まで用意してくれていた。この地のみなさんがそんな人達なのかどうか知らないが,ボクの知っているこの地方の方々は,みんな力一杯のもてなしをしてくださる。感謝。

 あの日,すぐに停電になり,家族とも通信不能。家族のだれかがもうどうにかなってしまったかも知れないというのが,お互いの思いだったのだとか。オール電化で困ったけれど,風呂も入らないと慣れていくさー,と笑う。
 行ってよかった。みなさんにお会いできてよかった。

2011年5月12日(木)波がわたしの島から砂を
 高校時代にお世話になったバンドのひとつであるキング・クリムゾンの40周年記念エディションが昨年発売され,とりあえずいちばんよく聴いていた『アイランズ』だけを買ったまま放置。
 昨日の水くみ作業で,なんだかこの『アイランズ』が思い浮かび,真夜中に繰り返し聴いていたのだった。
 高音質化より,馴染んだオリジナル盤の方が落ち着くけれど,プレリュードからタイトル曲へ続く展開は,どの盤で聴いても文句なしに美しく,悲しい。ボクのプログレ生活は,これでほぼ終わったのを思い出す。これ以上のロックのプログレは難しいと思うのである。
 「すみれ色の空よ わたしの島に触れておくれ」と今は亡きボズさんの声が優しい。
 そんなわけで,島の向こう側の方へ行ってきます。

2011年5月11日(水)CCRのフレーズを
 よく働いた。ひとつは,池の水くみ。3回も。しかも傘をさして。面倒なので,途中から古い洗濯用風呂水ポンプを使わせてもらった。なにしろ,よく降る。警報も出されていたらしい。知らなかった。テレビも見ないでその他の業務にも励んでいたのである。
 日付が変わるころ,すべての業務が無事終了。あとは,日記を書いて,明日は5時に起きるだけである。1時を過ぎているけれど。
 そんな昨日からの雨で元気になったのか,カエルの泣き声は複数になっている。晴れている間は静かだったのだが。池の周りには,カエルが産みつけた巨大な卵の泡が3カ所もある。ヨモギやサツキで愛を交歓したらしい。彼らの子ども達が池に落ちれば,養殖場である。釣り堀か。
 それにしても,すばやい行動だ。さすが,肉食動物。雨とともに寄りぬ。雨を見ると興奮する体質なのか。そんな肉食動物と対決しているのだった。水攻めではなく,水抜き攻め。

2011年5月10日(火)小刻みに揺れて自然粳
 「今年は,じねんごが出ていて,そんな年は竹が枯れたりタケノコも少ないらしいですよ。」とお世話になっているおばさんがおっしゃる。おばさんも初めて見る光景なのである。どれどれ。
 自然粳。竹というか,笹の花や実のことで,50年だか60年にいちど花が咲くらしい。実を食べることもできるようだが,凶年の兆しだとも。花は今が満開の時期のようだ。竹藪の斜面に,大量の小さな白い花が風に揺れている。とてもよく揺れる。花粉症の人は,この光景を見ただけで大きなくしゃみがでることだろう。
 先日,安定しない今年の天候のことを書いたけれど,山でもめずらしい植物が顔を出している年なのだった。それもやや歓迎されない。苗屋さんが夏野菜の出来を心配していたのを思い出した。
 今年の野菜は,大事に育ててやろうと思っている。

2011年5月9日(月)念のためタッチパネルを
 各種窓口巡り。県とか市とか金融機関3つとかJRとか。ほとんどの場所でたっぷり待たされる。それでも,余計なひと言というか,ちょっとした気配りで気持ちよく窓口をあとにしたところが2つほどあった。
 ひとつひとつの快適度を挙げてみたりはしないけれど,本日の窓口大賞はJRさん。
 事前にどちらの手段が安いかをアバウトに調べた上で,チケットの申し込みをしたのである。ところが,担当してくれたお兄さんは,勝手にもうひとつの手段の料金を検索してくれた。パッパッパッと素早く。
 「やっぱり申し込まれた手段の方が安いですね。」
 「えぇー,最近はそんなサービスをしてくれるんだー。一応,計算はしてみたんですよねえ。」
 と,なんだかお互いがニッコリ。比較してくださいと頼んだわけではないのである。いつもそんなことをするのか,あるいは到着駅として滅多に指定のないめずらしい駅だから,趣味とか試しでやってみてくれたのか。
 空港やバス・ターミナルの窓口のことはよく知らないけれど,JRには余計なことをする若者がいるのだった。いい若者である。

2011年5月8日(日)土に触れたる人差し指で
 風もおさまった。夏野菜の苗が倒れることもなさそう。畑の隣の苗屋さんへ苗をわけてもらいに行った。苗の直接販売担当は,おかみさんだ。男性が行った方が安くしてくれるわよということで,苗の購入担当者。
 桃太郎の苗は売り切れ。トマトは楕円のミニトマトを勧めてくださる。その他,ハウス内2箇所をうろついて,キュウリやピーマン等,あれこれと物色。ホームセンターとは違い,しっかりした大きな苗である。
 出荷のピークが終わり,今度はご自宅のブドウや野菜栽培に忙しくなるのだとか。米より苗の方が儲かりそうですねえと言うと,この出荷のために正月から取り組んできた手間のことを思うと,米作りの方が楽だとおっしゃる。
 「事業っちゅうのはなんでも大変だで。」とおかみさん。
 苗は,1本あたり100円というどんぶり勘定だった。ボクが行ったから,安くしてくださったのだろうか。

2011年5月7日(土)それでも鳥の鳴き声は
 今シーズン初めてのタケノコ掘りへ行った。が,予想通り斜面はすでに穴だらけ。その数40以上。穴の周りには,今朝のかと思うような新鮮なものから,少し固くなったもの,固形化してパステルカラーのカビが生えているものまでゴロゴロ転がっている。いくつかのブロックがつながった状態。ふんフン糞。
 イノシシが食い散らかしたあとだった。
 最近は,ご近所の民家付近まで出没するらしく,鉄棒による柵が,家のそばの畑等あちこちに立てられている。タケノコが出る辺りの一部だけでも保護地帯を作ってやればよいのだろうが,そんなお金もエネルギーもない。どなたか,許可を取って罠を仕掛けていただけないだろうか。ボタン鍋に誘っていただけると,さらにうれしい。
 そんなわけで,本日収穫したタケノコは1本だけだった。が,そんなわが家にタケノコをお届けくださる方がおありだった。グッドタイミング。ありがとうございました。タケノコを掘りに行ったというのに,届けてもらって喜んでいるのだった。掘りプロとは縁がなさそうだ。

2011年5月6日(金)ブラウザのページの上に
 玄関の植木鉢は道路の方まで転がっている。洗濯物のかけてある物干し竿は落下。やがて静かになるかと思っていたけれど,夜になっても風はきつい。今日に限らず,ここのところ風が強い。夏野菜の苗を植えたのに折れてしまったという方もいらっしゃることだろう。風が吹けば,苗屋さんも少し儲かるらしい。
 そんな苗屋さんとお話をした。天候の不順から,今年の野菜の出来に不安を感じていらっしゃるようだ。とりあえず,強風がおさまってから夏野菜の苗をもらうことにした。
 そういえば,強い風だけでなく,豪雪だった年末年始の雪も思い浮かぶ。寒暖の差も大きいし,火山の活動や地震も多い。穏やかな過ごしやすい天候の下で過ごす日々というのが,例年より少ないような気がする。
 手をかけても,長雨や台風等があれば野菜の収穫量は減る。安定した穏やかな天気の日が続きますように。

2011年5月5日(木)ほんとうはどちらなのかと
 今日も,ついでに夕方の砂丘へ。いつものところで,定点観測。馬の背辺りの人出は昨日より少ないように見える。
 そんな場所まで自転車であがって来た方がおありだった。すごいですねえと声をかけたけれど,いやいやこれくらいと軽くかわされてしまい,会話が続かなかった。影桜いち枚。
 プリクラを一緒に撮ろうという方があって,400円の最新鋭機で6ショット。これがまた可愛く撮れるのである。笑うと目がない方なのに,自動的に目を大きくしてくれる機能が搭載されているらしい。唇も異常に赤が強調されている感じ。髪は茶髪。性別と年齢のよくわからない変な人物が写っていたが,他人様にはボクはそのように見えているのかも知れない。

2011年5月4日(水)砂丘から帰った夜の
 宿題を片付け,午後は外出。バイパスを利用している車は多いが,旧市内はいつもの休日のような閑散とした道路だった。
 帰りに鳥取砂丘へ。といっても,メインの砂丘入り口まで行けば,信号待ちなどのロスタイムに遭いそうだ。遠くから馬の背を眺めることにした。いつもの高台へのぼった。ふた組の観光客が遠くの馬の背をバックに記念撮影をしていらっしゃた。ビックリ。よくこんな穴場を知っていらっしゃるものである。他の観光客とは違う,いい写真が撮れたことだろう。近くには,砂像でもつくるのか,大量の砂が積まれている。向こうの砂丘だけでなく,こちらの砂丘にも観光客を呼ぼうということか。土産物屋さんがないのが残念。
 そんなさびれているこちら側だが,子どもの国界隈の駐車場は見たことのないほどの混みよう。キャンプ場もテントだらけだ。地元ナンバーも多い。近場で済ませる方も多そうだ。明日がピークか。子どもの国の近くに土産物屋さんがあれば忙しいことだろう。

2011年5月3日(火)省略をすることもある
 100を基本にしている。集めたり集まったりすることの。お百度詣でが頭のどこかに棲みついているのかも知れない。100を超えることによって,そのことについて堂々のアナウンスをしてもよいと思い込んでいるのである。
 ということで,本日が区切りのよい数字。思いがけなくも,こんなところまで来てしまっていた。11年かかって。
 そんな今日の学びは,丁寧にしなくてもよいとか,言い過ぎないこと等である。思い切って省略をすることが大切なのだった。そんなことはもっと早く気づけよというご意見もおありだったことだろう。ちょっとだけ気づいたので,普段から意識しつつ生活しようと思ったのだった。
 クラシカルな表現のよさと,陥りやすい点にも意識しようね等と思いながら,とりあえずひと区切り。
 みなさんのおかげです。ありがとうございました。

2011年5月2日(月)汚れた雪を踏みながら
 午前中の業務を片付け,お出かけ。脳天気に会話をしながら運転していたら,旗を振って,こちらへおいでという方がおありだった。なんやねん。案内される方に駐めようとしたら,「あっ,いっていいです。」とおっしゃる。
 シートベルトの取り締まりだったらしい。ひょんなことから青い免許証だが,基本的に道路交通法は守っているのである。スピードはゆっくり,シートベルトは当たり前に締めている。呼び込まれるなんて思ってもみなかったのだった。
 お局は紺の,ボクは黒の上着を着ていた。ビルの陰に隠れていたチェック隊員にはシートベルトが見にくかったようだ。連絡を受けた捕獲隊員が近づいてみると,ふたりともシートベルトを締めていることにお気づきになったのである。それにしても,「いっていいです」はないんではないですかね。失礼しましたくらい言ってもいいと思うのだが,権力をお持ちの方は違うね。
 そんな今日は,もう少し若いコシアブラを採ろうと高めの山へ向かった。5月だというのに,雪がまだ消えていなかった。山桜も辛夷も満開。思わず,「手折って進ぜよう」と,藤沢さんの『山桜』の真似をしてみたり。
 雪の上を歩きながら新芽を探したけれど,大半の枝は芽が出始めたところ。GWの終わるころが採り頃のようだ。そんなわけで,里では季節外れのふきのとうも少しだけ収穫できたりしたのだった。
 初夏から早春まで,いなばの季節も結構幅が広い。

2011年5月1日(日)コシアブラ薫る車の
 朝から強風である。やがて,向こう側がかすんで見えるようになった。黄砂。そんな白っぽくなっている山へ行ってみた。庭のコシアブラがすっかり葉を広げていたのである。遊び歩いていて,ついつい後回しになっていた。
 山と言っても,わが家から車で10分もかからない場所だ。ブラックバスを釣っている若者と,花を摘んでいる女性がいただけの山である。
 道ばたのタラの芽はすべて採り尽くされていた。が,コシアブラは手つかずである。とはいえ,庭のコシアブラと変わらないくらいの葉の開き加減。低い山にあるコシアブラの旬を逃していた。日当たりの悪い場所の葉っぱを探し歩いた。五十肩で大きな枝を引っ張れない割には,そこそこの収穫である。
 そんな山歩きの帰りに見た夕陽は,満月かと見まがうような色だ。黄砂は,山だけでなく太陽も白くするのだった。
 というわけで,テンプラとコシアブラご飯の他に,茹でたコシアブラの酢味噌かけと,シメジとの炒め物など,コシアブラだらけの夕食である。美味。とりあえず,苦みのわかる男にはなれたらしい。

2011年4月30日(土)大切にしてゆきますと
 GW2日目も,みなさんが集まってくださり,夜遅くまで楽しい時間を過ごさせていただいた。こんなことはレアなことですよねえ。ホント,有り難いことだと感謝していますよ。GW中,他にやることはいくらでもあったに違いないと思うのである。って,昨日と同じ文章。
 今日は,昨日のみなさんより平均年齢が若い方との飲食である。人数も少し増えて。ちやほやしてくれるだけでなく,いろいろとおみやげというか,記念の品物や書き物等もくださる。なんだかうるうるしていた夜だった。
 毎日,夜遊びのGW。このGWは遠くへ出かけることはないけれど,この2日間といい,これからの予定といい,今までにないような忘れられないGWになりそうである。
 このGWのために今までがあったのかも知れないな,などとちょっとセンチメンタルじゃーねぇ。

2011年4月29日(金)連休のはじまる夜に
 GW初日だというのに,みなさんが集まってくださり,夜遅くまで楽しい時間を過ごさせていただいた。こんなことはレアなことですよねえ。ホント,有り難いことだと感謝していますよ。GW中,他にやることはいくらでもあったに違いないと思うのである。
 これから東北地方にボランティアに行かれる方とか,遠くに出張の方などもいらっしゃる中,恐悦至極。
 みなさんが持ち上げてくださるので,大変気持ちよく過ごさせていただいた。会のなかには,子どもさんが夜遅くに帰ってきて大げんかをしたというような会話もあったが,わがやの場合は,「生きていりゃあいい。」である。
 なにしろ,都会のひとり暮らしは,なんの関知もできない。毎日が、外泊なのである。いまさら,子ども達を嘆いても詮ないこと。喧嘩ができるのは,幸せなことかも知れませんねえというような会話をしているうちに,GW初日は終わっていたのだった。

2011年4月28日(木)連休の前なのだから
 農作業が終わるころの道路を,下校する中学生がたくさん通る。大概は,同性同士。ジャージ姿も多い。部活帰りのようだ。たまたま,野球部の男の子が通っていた。女子生徒と一緒に仲良く下校中である。ほほえましい。
 と思っていたら,坂道の下の方から大きな声というか,叫び声。何と言っているのかわからないくらいの大声。イノシシの咆吼か。と思ったら,3人の男子中学生が歩いてくる。どうも,前を行くカップルを冷やかしているらしい。ほほえましい。
 われわれは腰を落として仕事をしている。最初の内は,気づかなかったようだ。われわれのすぐ横を,大声を出し続けて歩いていた。で,横を向いたらおばさんやオヤジ。
 「あっ、こんにちはー。」
 大声のついでのような大声。
 こちらも元気に,「こんにつはー。」
 ちょっと,恥ずかしかったんだろうなあ。でも,あとの対応が,ぐっじょぶ。この辺りの中学生は元気がよすぎるとおっしゃる方もいらっしゃるけれど,みんな元々は気持ちのよい連中なのである。ほほえましい。

2011年4月27日(水)遠足で濡れた記憶を
 昼過ぎに,いきなりの雷雨。雨脚も強くなってきた。今日は,リュックサックを背負う小学生や幼稚園児を見かけた。せっかくの遠足の思い出は,雨に濡れた記憶とともに残っていくのだろうか。
 そんな雨のおかげで,またまた池には大量の水がたまっている。予報を見ると,雨は夜も降るらしい。雨が止み終わってから汲み出すのもしんどいような気がして,夕方までに溜まった分を汲み出してみた。傘をさしながら。間抜けな姿である。
 とりあえず,池の水は空っぽになったけれど,雨は降り続いている。賽の河原の子ども。時折,お地蔵さんが長い衣の中に隠して川を渡らせてくれるらしい。明日はお地蔵さんが来てくれますように。って,来られても困るな。
 ついでに,雨が降ればいつもたくさんのみずたまりができる場所にも行ってみた。砂丘を見つつ。泥色の大きなみずたまりが斜めの雨を受けていた。
 遠足に行かないオヤジの,雨の日の記憶のひとつ。

2011年4月26日(火)灰色のビニールハウスは
 苗製造農家のみなさんの繁忙期である。いつものご夫婦だけでなく,ヘルパーの方も何名か作業をされている。朝も早くて(多分。気づいたときにはもう業務中),夕方も遅くまで作業をされている。
 昨日は6時55分,今日は6時57分が業務終了時間だった。女性は10分ほど先にバイクでお帰りになる。始業時間の遅い者は,苗製造のみなさんより早く切り上げるわけにいかない。暗くなるしチカラも尽きつつある最後は,ニラをぷっちんぷりんと摘みながら,時間稼ぎをしていたのだった。
 「人はいろいろと気がわるいからなあ。普通にやって当たり前で,褒めるっちゃなことはないしな。この辺もうるさいのが多いで。土いじりがいちばんだっちゃ。今年は苗はええだか?」と苗屋さんはおっしゃる。
 まあねぇ,十色の人あいては大変ですよねえ。口に戸は立てられないようですし。苗が裏切ることは少なそう。とはいえ,他人様に買っていただけるような野菜をつくるのは無理。
 「たまさか,どなたかに喜んでもらえるようないち日を送ることができればいいんですけどねえ。」

2011年4月25日(月)悪いことばかりした日に
 朝方はまだ聞こえたが,夜には鳴き声が聞こえなくなった。なにしろ,今日の晴天で,池の底は乾いてしまっている。風もあった。肌も乾燥してきたのではないか。いつまでも乾燥肌というわけにはいかず,新たな住処を求める旅に出てくれたのだろう。悪かったね。
 今日は,木を抜いたり,切るのが仕事。プルーンと次郎柿の木を抜いて,別の場所に植えかえた。「十月の投げ木」と教わってきたのに,10月の半年前に植えかえというお間抜けな作業。こちらの2本にもお詫びである。悪かったね。
 枇杷とか柚子とかもう1本の柿とか,その他雑木や竹を力任せに切った。残ったのが,4本の花梨。30歳くらい。ピンクのつぼみをたくさんつけている。せっかくここまでがんばっているのにかわいそうというお言葉があって,今日は2本しか切ることができなかった。花のあとに実をつけているのを切るのもかわいそうだと思うけれど。こちらもお詫び。
 今日は悪いことばかりしていた。

2011年4月24日(日)カルキを抜いた水槽で
 途中,雲行きが怪しくなって小雨が降ったりもしたが,泥池の水抜きを完遂した。完璧に空っぽ。やがてカエルは,水を求めて近くのおうちの池に行ってくれることだろう。頼む,早く塀を乗り越えてくれ。
 大量のメダカは水槽に一時避難である。他の魚が冬場のサギのエサになる中で,何世代も狭いわが家の池で世代交代を続けてきたメダカも,広い世界に放ってやることにした。
 5〜6匹いたアメンボウは,空になった池の底を走り回っている。
 泥の中には,大きいのから小さいのまで,ヤゴがたくさんいた。庭木の周りにまいた泥の中で育ってくれるだろうか。今年の近所のトンボはいつもより少ないかも知れない。もうしわけなし。
 池から水はなくなったけれど,洞窟の中はまだ湿り気があるらしい。寂しいカエルは恋蛙を求めているようだ。美しくなった鳴き声が,深夜になっても響いている。

2011年4月23日(土)鳥が鳴くのもカエルの声も
 昨日の雨がよほどうれしかったのだろう。今シーズンはじめてのカエルの泣き声が昨夜からはじまった。また,今朝は今年はじめてのうぐいすの鳴き声も聞こえてきた。どちらも恋の季節がはじまったようだ。
 うぐいすは,まだ鳴き方が下手。カエルも,昨日は恐る恐るという響きだった。けれど,今朝からは自信をもって鳴いているように聞こえる。おまけに,池の小さな洞窟の中にいるので,鳴き声が周辺によく響く。
 うぐいすの声がうるさいという人はそれほどいないと思うが,住宅街のカエルは相当うるさい。同じ敷地内で暮らしている家族のような人間がそう思うのだから,外部の他人には騒音であろう。
 わが家からカエルに出て行ってもらうには,メダカがたくさんいる池の水を抜くしかない。抜くといっても,排水溝が機能していない。バケツで汲み出すことにした。暗くなるまで水くみ作業。
 とりあえず,半分ほどの水になった。残りは明日。夜中に雨が降って,また水がたまっていたというようなことがありませんように。

2011年4月22日(金)なにかしたかと尋ねらる
 今日はお認めいただくという日。9時30分に来るようにということだったのだが,受付でもらった番号札はすでに30を越えていた。というか,待っている人の人数がパネルに表示してあり,29人待ちだそうな。これでも,15分前には到着していたのである。病院などと同じように,早く受付をしてもらうのがよいようだ。もっと早く行けばよかった。
 待っている間にも,パネルの数字はどんどん増えていった。すぐに50を超えて,ボクが待っていたコーナーで見た数字の最高値は62。指定された時間通りに行けばよいと思っていた人が多かったのだろう。15分でも早く行っていてよかったらしい。
 で,待たせてもらった時間の割りに,お認めいただく時間は数分。こちらも病院のようなものだった。

2011年4月21日(木)期限の過ぎたものですが
 わけあって,16日が賞味期限の「納豆」のパックが大量にあった。そのため,この1週間,夕食はほとんど納豆を食べさせられていたのである。期限が過ぎていても,「大丈夫よ1週間くらい」と,お局はまったく意に介さない。
 そうはいっても,当方は納豆の素人である。お好きなみなさんのように,納豆だけでは積極的に箸が進むはずもない。毎回,生卵をかけて一緒に食べた。まっ,卵かけご飯である。その卵かけご飯の中に,なんだか豆が混ざっていると思い込んで食べることにしたのだった。
 それが,やっと本日すべて終了。すっかり,納豆ベースの身体に入れ替わり,そうとう健康になっとう?と思うのだが,五十肩はさっぱり治らない。五十肩に納豆の効果はないと思うな,貧しいデータに基づく分析であるが。
 終了したとはいえ,なくなったのは16日が賞味期限のものだけ。お局は賞味期限がもっと先の納豆を共同購入している。どうなっとう?

2011年4月20日(水)沖を見据えて群来を待つ
 生のニシンが売られていた。鰊。鯡。春告魚。大ぶり3匹が350円。安い。賀露港にあがったものらしい。小型の船が持ち帰ったものだから,それほど遠くで獲れたものではないとお店の方がおっしゃる。そういえば,ここのところ毎年,山陰沖で獲れたニシンを食べているのを思い出した。
 小骨が多いのが少々難点だが,塩焼きにした柔らかい身やお腹の子も美味。そのうち,新鮮なニシンがいなばの春の魚のひとつになるのかも知れない。やがて,値段も上がるかも。
 ニシンと言えばソーラン節だ。寒いのが好きな北方の魚かと思っていたのである。もちろん海の中に行政区画があるわけもなく,自分が棲みやすい条件さえそろえば,県境だろうが国境だろうが越えて泳ぐのであろう。
 いなば沖のニシンを食べながら,中島みゆきさんの『ファイト!』を思い出したのだった。

2011年4月19日(火)虫の寄らない花のあり
 葉桜を眺めつつ砂丘の入り口を越えると梨の花が満開である。ボリュームのある白い花が斜面に広がっていて美しい。今日は,めずらしく東へ向かって走ったのだった。
 いつものタイガーやまねさんのおうちで,マルチシステムの真空管アンプや38cmスピーカーの柔らかい音を聴かせてもらった。ついでに,バスレフの箱の8.5cmフルレンジも。8.5cmなのに,余裕の豊かな低音である。フォステクスの限定フルレンジ・モデルなのだとか。小さいからと侮ってはいけないのである。
 わが家の場合,マルチシステムや38cmは予算の関係で無理ということが判明。残念。とりあえず,真空管アンプ1台で30cmのスピーカーを動かしてもらう予定。
 たとえば,いつも半導体で聴いているトム・ウェイツさんのダミ声がどのように聞こえるだろう。においは苦手だが,遠くで見る分にはきれいな梨の花を思い浮かべた時に,『トム・トラバーツ・ブルース』を聴いてみたりしたくなったのだった。

2011年4月18日(月)それでも伸びるアスパラを
 「あんたげの畑に大きいのが伸びとったで。」
 午前中に,ご近所のおばさんが,40センチほどに伸びた太いアスパラを持ってきてくださった。たった1本だけ。あっ,どうもご親切に。
 狭いわが家の畑の片隅で,タマネギや大根をお作りになっていらっしゃるおばさんなのである。
 もちろん,そんなことはことのついでで,「最近,畑のクルマが動いとらんでないかえ。」というのが,ご訪問の目的だった。「カーテンの開く時間がちょっと遅なったような気がするし。」
 ...。
 観察していただいているらしい。ありがたいことである。
 こんなにわが家に関心をもってくださる方がいらっしゃる地域だというのに,かつて道路側に面した窓を破って空き巣に成功した人のいることが信じられない。

2011年4月17日(日)満月になれば今より
 外がとても明るい。14番目の月らしい。ベランダに物干し竿の影がきれいだ。夜が毎日こんなに明るいと,楽しいのか,それともかえって寂しいのか。

 ゴルフがいちばんの趣味というご夫妻が来訪された。当方は,ゴルフは打ちっ放しで挫折した男であるゆえ,ゴルフ話を聞かせてもらうのが専門である。最近,会員権まで購入されたらしい。元をとるために,しょっちゅうお出かけなのだとか。そんな貴重なゴルフ日和に,無聊を慰めにきていただき,感謝。腕前は,両手で数えるシングルだとか。片手だけのシングルにされるのが目標のようだ。
 当たり前だが,それぞれが自分の世界で目標にされていることがあるのだった。ボクの趣味や目標をお話ししても詮無いことである。石川くんの話や,ご一緒にプレーされるみなさんの楽しいお話を聞かせてもらった。ゴルフの豊かな思い出がたくさんできますように。

2011年4月16日(土)クローンのごとき匍匐枝の
 昨年いただいたオランダ苺の苗が元気。秋に伸びたランナーの子株を大事に育てていたのである。ランナーの子株は,親に近い一番目は外し,2番目以降のものを育てた。一番目は親のよくないところを受け継いでいる可能性があるらしい。病気とか。うーん,よいところも濃く伝わるのではないかと思ったが,教わったとおりにしたのである。
 つぼみがたくさんついている。もちろん,白い花もたくさん咲いた。大量の収穫が期待できそうだ。と思っていたのだが,くださった方から連絡があり,「この時期の花は摘んでおしまい。」とのこと。まだ寒い日もあるので,よい結実にならないらしい。
 そんなわけで,せっかくの花なのにみんな摘んでしまった。とりあえず,摘んだ花びらをコップに浮かべて楽しませてもらことにしたのだった。
 あれこれ手間のかかるやつなのか,順調に暖かくならない場所に植える方が悪いのか。いちご屋,困ったやつじゃのう。 

2011年4月15日(金)どうしてもあなたがここに
 卸団地に潜入。個人で安く買わせてもらおうと思ったのである。1軒目は,個人はねえとおっしゃりながら,ボクが希望しているモノを告げると,最近は扱っていないとのこと。
 2軒目へ。
 どうしてうちのことをお知りになったんですのと,最初は訝ってクローズド・マインド。卸団地には一見客に慎重なところもあるようだ。だめかもと思ったが,粘り強く交渉してみた。時間はたっぷりあるし。
 今回の震災で,商品が入ってこないんですよねえ等と,こちらの本気度を試されているようにも見える。それにしても,震災がいろんな分野に影響がでていることを改めて感じた。
 しつこさは得意分野だ。お願いを続けた。熱心さが伝わったのか,責任者らしき方とお話ができた。サンプルを何点か見せてくださる。気に入った商品を褒め称えた。残念ながら,それは売るだけの在庫がないとのこと。それでも,次のランクの商品を出し,いろいろとテストもしてくださった。
 安価で売ってもらえた。感謝。飛び込んでみるものである。
 気持ちよいやりとりだった。この商店の方もボクより年上だろう。昨日の罵詈雑言おじさんとは対照的。ずいぶん違う来し方だったのではないか。接する人は少ないけれど,毎日が面白い。

2011年4月14日(木)そのようなことで騒いで
 受付に行列ができている。流れが悪い。部屋の中から大きな声が聞こえてくる。駐車場が満車だったとか,2時間もかかると聞いていないとか,なんのためにこんなことをしないといけないのかとか。所長はだれだとかも。早口で大声の罵詈雑言が繰り返されている。若い女性が,静かに駐車場についてのお詫びやら会合の必要性を説明されるのだが,一方的に自分の事情をわめき散らかしていらっしゃる。
 手順等には,なんでそんなシステムやねんという箇所がないこともないが,すでにルールとして決まっていることを,受付の若い女性にぶつけても詮無いことである。
 ボクより年齢は上のようだ。人を動かすようなポジションだったのだろうか。それなりにストレスはあるのかも知れないが,それにしてもとても大きな態度。ボクの周りにはいなかったタイプの人だ。それでも,とりあえず他山の石ころ。
 最初の1時間が経ってもその不満は消えなかったのか,休憩時間にも廊下で再び大声が聞こえてきた。部屋には70人以上の方がいらっしゃった。久しぶりに,ことのほか美しくないものを見せてもらった感じ。みなさんが,とても不快に過ごされたのではないか。お集まりのみなさんだって,叫びたいことはそれぞれがおありだったのかも知れないのに。

2011年4月13日(水)指に残りし山椒の
 暖かい。遠足日和。うちにいらっしゃったお客さんと,砂丘周辺を散歩した。オヤジは近足なのだった。ご近所のみなさんとも,数多遭遇。気持ちの良い春のいち日である。
 庭を見ると,タラの芽はいつでもテンプラにできそう。コシアブラは,まだ2センチほどの芽が出てきた状態である。食べられるようになるにはもう少しかかりそうだ。山椒の葉っぱも柔らかい。やがて,掘りたてのタケノコに添えられることだろう。
 都市部の市場ではコシアブラはすでに売られていて,12本300円だった。6本入りのタラの芽が430円だったり,10本入りのコゴミも160円。丘ひじきは230円で売られていた。田舎のめずらしい食べ物だと思っているモノが,都市部では少しもめずらしくないらしい。

2011年4月12日(火)わたくしはそちらのほうが
 ボクのような者のために集会を企画してくださる方々がおありだった。ありがたいことである。
 細かい配慮。周到な準備。
 そんな集まりが企画されること自体が世間にはまれなことなのではないか。幸せ者である。まっこと,ありがたいことだと思うのだった。
 もちろんよいことばかりではない。ボクのスノッブな部分とか,いろいろないい加減さが露わになった集まりでもある。それはそれで世界が拡大されていくのであろう。これも感謝。
 とはいえ,それでもいいやと思っている自分もいたりする。ボクはボクのやり方でしかやれない。それで終わればそれだけのことなのだろう.。それがわたしの物語。

2011年4月11日(月)食品のサンプルひとつ
 合羽橋周辺をうろうろ。江戸はよく歩くところである。疲れた。休憩を兼ねてお昼をとろうと思ったが,通りには食べ物屋さんがほとんどない。わき道に入る。スカイツリーが見えた。
 昔から変わってなさそうなそば屋さんで昼食をとることにした。メニューの最初は,もりとかけとたぬきときつね。懐かしい。きつねうどんを頼んでみた。
 むかしと変わらない濃い色のだし汁。江戸で初めて食べた若かりしころ,こんなまずいうどんが食べられるかと思ったのとほぼ変わらぬ同じ味。濃い醤油が塩辛い。油揚げもとても塩辛く煮つけてある。値段は500円。
 とはいえ,麺を食べていると,多少の甘さも感じられる。こしのなさもちょうどよいような気もする。この歳になってから食べてみると,まあそれはそれで江戸のきつねうどんとして許せるような身体になっていた。
 人間の幅が広がってきたのか,味覚が落ちてきたのか。

2011年4月10日(日)校庭脇のブランコで
 東北の方にお会いし,地震のお話などを聞かせもらう。いろいろと大変なことがおありだったようだ。たとえば,棺も不足していて業者の方が持ってきてくれないとか。自分で取りに行かなくてはいけない町もおありらしい。
 そんな今日も,あちらこちらの桜を見せてもらった。選挙の投票所になっている小学校の桜とか,荒川上流の土手。みごとである。宮城県の友人がむかし住んでいたアパート近くの駐屯地の中の桜も,道路脇から代わりに見ておいたのだった。音楽や議論を楽しんだ懐かしの場所である。
 むかしは,こんな丁寧には桜は見なかった。来年も再来年も,いつだって見ることができると思っていたからか,それとも,春の関心はもっとほかのことにあったのか。
 今年も見ることができたな,来年も見えるだろうかと思い始めるようになってからが,真剣に眺める本格的な花見シーズンなのかも知れない。

2011年4月9日(土)これで3かとテロップの
 参勤交代の手みやげは納豆の予定だったのだが,江戸でも手に入るらしいということでやめた。制限販売のスーパーでは,夕方にもまだ3個入りパックが残っていた。江戸の商品流通は回復しつつあるようだ。
 暇なら来いよと東北の友人が二度も声をかけてくれる。とりあえず,江戸に着いてからと思っていたが,到着した一昨日の夜の地震で,回復しつつあった交通事情が少し後退したようだ。東北新幹線は,まだ全線が開通はしていない。
 そんなわけで今回は関東地方止まりにさせてもらった。
 それにしても,一昨日の地震が震度3というのはちょっとびっくりである。上階にいたせいか,揺れをよく感じた。おまけに長かったし。逃げる態勢に入っていたのである。これで3?地震体験が薄れているせいか,感覚が東日本のみなさんとは違っているようだ。
 これより大きい地震がたびたび起こっている地方のみなさんのどうしようもない不安がほんの少しだけわかった。

2011年4月8日(金)途上の家のガレージに
 前日は,母校の夜桜見物。照明はわずかばかり。それでもきれい。朝の歩道では,集めたアルミ缶を現金に換えてくれる車のそばに行列ができていた。千円札を何枚か財布にしまう光景。いなばでは見たことがなかった。
 風が強い。上野の桜は後日見る予定だったが,人間の都合のよい日に桜が見頃になるわけでもない。すでに満開らしい。雨の予報もあるし,散る花びらも多そうだ。
 上野の桜もたっぷり見た後は,コンドルさん設計の岩崎邸にも寄ってみた。お金のある人はどんな家でも建てることができる。
 移動途中に,田端で人身事故というアナウンス。降りる予定にしていた駅のひとつ手前で電車はストップしてしまった。車内には,状況を携帯電話で説明するみなさんが多数。面接に行く予定だったのだろう。会社の方に説明している若い女性の困ったような声も聞こえてくる。待ち合わせ等のあるみなさんは,想定外の対応をそれぞれされているようだ。当方は暇だが,運行再開予定時間は50分後だとか。隣駅は,昔1年間住んだことのある場所だ。歩くことにした。
 いい車が多いなあと思いながら歩いたけれど,途上の家々の駐車場に,黄色いナンバーの車を一台も見なかった。元々が少ないのだろうが,それにしてもおかしな街である。

2011年4月7日(木)花は満開と連絡のある
 「毎歳夏四月中、参勤致すべし。」
 普通の体力なら,徒歩でも今ごろ出発すればなんとか夏四月中に間に合いそうである。
 が,体力のないのが自慢である。徒歩では終点までたどり着けそうにない。たどり着いても,夏が終わっているのではないか。かといって,速すぎる乗り物に乗る勇気もない。身の丈にあった適度なスピードで参勤交代をすることにした。
 残念ながら,いなばにあん藩の財政では1年間の滞在は無理。文久の改革時の100日滞在だってできない。
 ということで,ちょっとだけ休ませてもらいます。

2011年4月6日(水)突然にすいませんとか
 いっときのことだと思うけれど,最近メル友?が増えた。メアドを教えてもらったとか,どこからか探し当てられた方とか。もちろん,顔も名前も知っているみなさんである。無聊を慰めてやろうということだろうか。ありがたいことである。どんどん慰めてやっていただきたい。
 というみなさんの期待に反し,きょうもなかなかここちよい多忙。よろこんで忙しさの中へ出かけて行ったのだった。みなさんも,よろこんでお出かけをどうぞ。って,余計なお世話だけれど。
 帰ったら,ちょっと想定外のこともあったりして,まっ,いち日は自分の思い通りにはさせないさぁという天の配剤なのであろうか。って,なんだか違う用法のような気がする。神の計らいか。神のみそ汁?
 まっ,なにはともあれ,オープンマインド,がまんがまん。

2011年4月5日(火)なんとかなるさハコベは抜いた
 商談にいらっしゃった若者ふたり。約束した時間の5分前。ふたりとも30歳前後に見える。ダーク・スーツがお似合いである。
 きたない部屋を見て,思わず「隠れ家のような部屋ですねえ。」
 まっこと。それくらいしか言いようのない部屋である。正直者のようである。
 「いや,隠れて生活しているんです。追われた生活というか。」
 「また,ご冗談を。この泳いでいる赤ちゃんのジャケットは見たことがありますよ。」
 「結構,有名なアルバムですわ。『ネバーマインド』って言うんですけどね。」
 3種類の『ネバーマインド』のジャケットを棚に置いているのである。音楽はお好きなようだが,洋楽にはあまりご関心がないようだ。残念。次々とカタログをくださる。ゴミ箱へ行くのではないだろうか。心配。
 「ところで、あの車はどこの車なんですか。」
 次々と,リップサービス?
 「いすゞの車ですけど。」
 「いすゞ? 車種名はなんですか。」
 車にはご関心があるようだが,古い車はご存じないらしい。
 ニルヴァーナも117も知らない世代に商品を紹介されている。お返事は後日おうかがいしますと帰って行かれた。さて,どう断るか。『ネバーマインド』でも聴きながら考えることにした。

2011年4月4日(月)ベースは不安を増幅させて
 ジャズを聴きつつカフェでランチ。ブルーノート系が続いたあとは,ロリンズさんの『モリタート』が流れてきた。サービス担当のおふたりは演歌っぽい雰囲気である。不思議。と思っていたら,厨房からでてきた若者がジャズっぽく働いていらっしゃった。よい趣味のように思える。といっても,店がセレクトしているのではなく,USENである。
 それにしても,結構ハードなジャズが流れる店内にいらっしゃるのは,ほとんど女性客。みなさん連れだって。このあたりは女性の居留区域なのか,男性は絶滅危惧的保護地域か。昼の女性には相当元気な方がいらっしゃるのだった。
 まっ,連れだってくれる人がいないと,ボクもラーメン屋さんのカウンターの方が落ち着きそうだけれど。

2011年4月3日(日)新しき小屋の扉を
 わが家の斜め裏手にある広い駐車場に,プレハブの小屋が出来ていた。駐車場に店舗でも建設するための,作業用の小屋だろうか。
 午前中,偵察へ。
 昨年秋まで,日曜日のたびに開かれていた移動八百屋さんが,小屋の中で野菜を売っていらっしゃった。冬場はお休みだったけれど,再び日曜朝市が再開されたようだ。
 今までは,同じ駐車場に張ったテントの中での販売だった。これからは,冬でも日曜の朝市が開催できそうである。仲良くしてもらおうと思い商品を拝見。すでに,手作りコンニャクや原木椎茸は完売である。とりあえず,1束100円ほどで売られていたほうれん草やチンゲン菜の親戚の味美菜等を購入した。以後,よろしくです。
 とはいえ,プレハブの建物にはテーブルやパイプ椅子も運び込まれていて,何かの建設の準備のようにも見える。1週間に1度の野菜販売のために作られた小屋ではなさそうだ。
 さて,陸の孤島にカフェでもできればよいのだが。

2011年4月2日(土)受信のできぬ春の日に
 卓上の小さな電波時計の液晶が薄くなった。2台。電池を入れ替えて,リセット。5分もすれば電波をキャッチするはずだが,0時からスタートしたまま,現在時刻を表示しない。2台とも。
 福島にある東日本担当の電波送信所が発信できないのはわかるが,西日本担当の佐賀からの電波が受信できないのか。あるいは,わが家の時計は今まで福島から電波を拾っていたのか。
 腕時計も含め,わが家の時計はほぼ電波化が完了している。他の部屋の時計や腕時計で点検してみた。いずれも正しいと思われる時刻を表示している。どういうことやねん。
 いちばん新しく買った時計の電池を外し,強制受信をさせてみた。古い方と同時に。電波の弱いところだったせいか,現在時表示に10分49秒かかった。その頃,古い方の時計はすでに受信活動をやめていた。古くなり,受信能力が低くなっているのだろうか。
 持ち主は大丈夫か。

2011年4月1日(金)万愚節にもういちど見る
 万愚節。四月馬鹿。新年度である。新しい人たちが街を歩いている。上司らしき人と食事をしているフレッシュマンも。いい上司でありますように。なにはともあれ,がんばれ新入社員。
 さて,そんな新年度だからというわけではないが,電話やメールをいくつかいただいた。心臓によくなかった方もいらっしゃったようだ。すいませんというか,ありがとうございますというか。
 中には,写真がかわいいというメールも。そっちかよ。返事を書いたら,一緒の時でよかった等とうれしいフォローをしてくれる。いつからそんな大人の対応ができるようになっていたのかと,オヤジはちょっとうれしい。と思ったが,もしかしてエイプリル・フール?
 なにはともあれ,人に喜んでもらってナンボ。そんな年度になりますように。

2011年3月31日(木)年度の終わりにいただいた
 3月31日というのは特別だからと,自家製「つくしの佃煮」を持ってきてくださる方がおありだった。ご夫婦で。ありがとうございます。ほどよい春の味加減でした。突然の訪問があっても,何とか2名様までならお待ちいただかなくても上がっていただけるまでになった。身辺整理のおかげである。
 実は,いらっしゃる前にメールをくださっていたのだが,それが迷惑メールフォルダに分類されていたのだった。最近,光通信からケーブルテレビ回線のネット接続に変更されたらしい。スパムに振り分けられるようなキーワードはなかったと思うのだが,どういうわけだったのだろう。けっして,PCの持ち主が迷惑だと思っていたからではないんです。ほんとうです。
 さらに別の方からは,お心配りのイベントの案内もいただいた。ありがとうございます。って,新たな締め切りが生まれてきたということである。
 ...。
 負荷をくださる方というのは大事にしないとね。感謝しているんです。いや,ほんとうです。



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