いなばにあん 時々嘘つかないTOPへ
my foolish heart

「べんとーさん忘れてもかーさん忘れるな」,雨と無知との遭遇いなばにあん いの の日記。

2011年12月31日(土)くろくよごれただいだいを
 正月にお茶を飲みにいらっしゃる方がおありらしい。年賀状作成で、部屋に足の踏み場がないのである。とりあえず部屋の片付け。終えると、「夕焼け小焼け」のメロディが流れてきた。もうこんな時間?
 そういえば、しめ飾りをまだ取り付けていないのだった。というか、買ってもいない。一番近いスーパーに残っているだろうと思っていたのである。
 なかった。
 いつも売れ残りをたたき売りされていたホームセンターへ行った。
 なかった。
 あるのは、自動車用とか小さなものばかり。しかも、閉店間際。営業は6時までだとか。今日は閉店の早い店が多いのか。急がなくては。近くの大型店ならあるかも。
 なかった。
 入り口のワゴンは、すでに明日発売の福袋等が乗っている。「リースでも飾る?」という声も。「うーん」念のため、少し離れたホームセンターへ。
 なかった。
 いゃあ、今年はしめ飾りの売れ行きが絶好調らしい。同じように探していらっしゃるおばあさんと遭遇。仕事の遅いのはボクだけはなかった。今年はなしだね。といいつつ期待もせずに隣のスーパーの入り口をのぞいた。
 あったあったあった。3つだけ。
 レジを済ませて帰りにワゴンを見れば、残りはひとつになっていた。いゃあ、準備が悪いとこんなに楽しむことができる。
 いつものようにギリギリ人的1年が終わったのだった。

2011年12月30日(金)拍子木の乾いた音を
 忘れるつもりもない年だが、とりあえず今年最後の忘年会に誘っていただいた。久しぶりにお会いした人達。まずは近況報告。ボクのことを聞きたがる人もいらっしゃるが、まっボチボチでんな。それより、そちらはどうよ。悲しいことがあったり、去年よりいいことがあったり、当たり前だがそれぞれの物語がおありだった。そのことを忘れないようにね。
 街は、若者で賑わっている。いいねえ、お餅つきも大掃除もおせち料理も作らなくてよいらしい。
 とりあえずこれで最後のつもりで入ったお店では、出る時に今年最後の記念すべきお客様ですとレジで言われた。ヤッター、無料?と思ったら、コメントを言ってもらっただけだった。
 そんな賑やかな街を移動している時、火の用心の拍子木をたたきながら歩いていらっしゃる方があった。ふたり組。ご苦労さまです。「火のよーじん」はなくて、カチカチだけ。
 それがうるさいという人も最近はいるのだろうか。

2011年12月29日(木)ウィンカーの点滅だけを
 とりあえず、年賀状の一部ができた。僻地につき、近所のポストの集配は一日に1回ほど。本局で投函した方が、遅くなった分の時間を少しでも取り返せることだろう。買い物のついでに中央局までタイヤをのばすことにした。この時期はあまり近づきたくない場所だけれど。特に、右折で駐車場に入るのは、やっかいなことも多いのである。
 そんな覚悟はして行くのだが、今日も、やっと入り口に近づいたと思ったら、前の赤い軽自動車が動かない。きっとボクと同じ気の弱い人に違いない。駐車場に入るのは左折の車ばかりだ。その間向こうから直進の車も多い。不動明車。いつになったら入れるのだろう。後ろの車は諦めて、車列から離脱。先に向かって走って行ってしまった。まっ、年末は焦らないのが肝要。
 こんなに利用者に不便な建築物に、移転の話はないのだろうか。特に大きな支障のない建物の移転話はさておき。この建物の移転案が出れば、もちろんボクは大賛成に清き一票。

2011年12月28日(水)マゼンタばかり減ってゆく
 プリンターを接続。豊かな機能の割に、取説が薄い。前機種の184ページに対し、今度の機種の取説は72ページ。詳しいことは、電子マニュアルを調べるようにねということらしい。
 そんなプリンターを使って、ボチボチ年賀状を作ることにした。これがまた不便。背面オートシートフィーダがないから前面のトレイにハガキを入れるのだが、なぜか頭がずれて印刷されたり、ハガキ裏面に住所を印刷したり。ついつい考え事をしていたせいで、裏表を逆にセットしたりもしたのだった。
 背面オートシーフィーダからのセットであれば、間違えることはなかっただろう。失敗したハガキはすでに、5枚。慣れるまでの初期投資か。もったいないことである。
 背面からもセットできる機種にすればよかった。
 それにしても、マゼンタばかり減ってゆく。

2011年12月27日(火)柚子餅を丸めた指で
 本日、我が家の餅つき。もちろん機械製。丸餅文化圏なれば、ちぎっては丸めるという作業が待っている。ボクは一度もちぎる係をしたことがない。もっぱら丸める係だ。そんなわけで実際の経験がないのだが、ちぎる係は相当熱いらしい。機械に投入する餅米の分量が多いほど、搗かれた餅の熱さも増してくるようだ。手のひらが真っ赤である。面も皮膚も皮はそれほど厚くないと思っているボクには無理な作業だと、再確認させてもらった。
 そのかわり、長い間の丸める作業のおかげか、丸餅を作るのが結構手早いのではないかと思っている。平らな丸め方ではなく、少し盛り上がった饅頭のようにも見える丸め方。これを角餅文化圏にお届けするのである。たぶん、そんなわれわれの苦労は想像もつかないだろう。四角の箱に流し込んでから切れば、熱い思いをしなくても済むのだけれど。
 日本のあちら側のみなさんも、皮膚はそれほど厚くなかったのかも知れない。

2011年12月26日(月)ほそきコードでつながりし
 しまった、コードに足を引っ掛けた。と思ったら、バチャンと床にぶつかる音。転んで頭をぶつけたくらいなら良かったのである。音をたてたのは、テーブルに置いていた富士通のLookである。小型のPC。
 複数の部屋の暖房をオンにするのは効率が悪い。というか、暖房費を節約するため、台所のテーブルで作業をしていたのである。立ち上がって、隣の部屋へ行こうとした時に、右足をコードに引っ掛けてしまったのだった。
 液晶というのは壊れるとこんなことになるのか、ということを学習することができた。密度の濃いレインボーカラーの直線が何本もあったり、真っ白な場所も。HDDは稼働している。とりあえず液晶を外してみた。交換すれば使えそうだ。ネットで部品取りの同型機を探してみる。そううまく出品さているわけもない。残念。
 Lookはただの箱になってしまった。ただに少しだけ上乗せしたお金を払えば来てくれるありがたい箱がないだろうか。困った。
 節約はむずかしい。

2011年12月25日(日)折れた枝から摘み取りし
 新聞をとるため玄関をあけてビックリ。いつの間にこんなに降ったのか。新聞配達の人の足跡がほとんど残っていない。4時や5時にもたくさん降ったのだろう。名探偵の推理である。いや、7時や8時もだったかも知れない。何時に新聞をとりにいっているんだか。わが家の積雪観測地点での正午の観測結果は26cmだった。
 いずれにせよ、道路の雪かきや植木の枝に乗っている雪をはらわなくてはいけない。ほぼ午前中がつぶれた。
 雪かきを終えると、回覧板が。「除雪作業にご協力をお願いします」というタイトル。全市道1650kmのうち、市が除雪をするのは586kmだそうな。わがやは、10mほど協力しておいた。
 畑へ行ってみると、柚の木が二つに裂けて、半分が倒壊していた。今年のように来年もたくさん実をつけたとしても、収穫は半分ということらしい。

2011年12月24日(土)ランクダウンの機器ですが
 インクジェットの調子が悪い。ラベル印刷になると特に。黒い筋がプリントされるのである。いつ買ったんだっけと記録を探してみる。2006年の11月だった。プリンターで5年間使用したというのは、結構いい数字のような気がする。使い倒した部類ではないか。インクジェット・コピー専用機になってもらうことにした。
 さて、量販店の昨日の折り込みをチェック。現行機種の残ったインクが使える機種を物色してみる。希望条件をクリアしている機種は2万円を超えていた。高い。念のためにネットでも確認。ナント、ネットの方が5000円ほど安かった。
 家電量販店の進出によって地域の電気店の多くは苦戦されていたと思っていたが、今度はネットが家電量販店を脅かす時代になったのか。とりあえず、クリック。
 プリンターは型番の最初がひとつ少ない数字になった。ワンランクダウン。わが家も苦戦中。

2011年12月23日(金)少し重たい包丁を
 昨日とおととい食べたカモも鶏もだれかが殺してくれたものである。釣りでもすれば生きている魚をまな板に乗せることがあるのだろうが、あいにくこれも無理矢理陸に引っ張りあげられて自然死したものを食べさせてもらっている。そんな他人様のお世話になりながらの食生活だが、カニだけはまな板で往生してもらうことが多い。
 今朝方近所の港に陸揚げされたカニさんが、わが家のまな板の上にご到着である。親指にはめてある輪ゴムを外せば、まだまだよく動く。そのまま茹でるのであれば、手を下している感じはあまりないけれど、味噌は殻に入れて焼いて食べたい。動いている足はそのまま落とし、皮を剥いてしゃぶしゃぶで食べたい。
 味噌を取る時にも動いている。足だけになってもピクリと動く。作業をしている間は、何回かごめんなさいという気分になる。わが家で、生きものを殺して食べているということをいちばん実感しやすいのがカニさんである。ゴメンね。そのかわり、どこも残さず食べさせてもらうよ。
 殻は庭のブルーベリーの木の側に埋めた。キトサンを摂取してくれるだろうか。

2011年12月22日(木)その道をこのままゆけば
 タイヤ交換をしてもらった。もちろん、交換するタイヤはノーマルタイヤしかない。新品のスタッドレスとの交換だ。Kカーながら15インチである。想定価格より3万円ほど高い。もっと安いのはないんですかぁとタイヤ売り場を歩いたけれど、なかった。冬場の足回りは大事。しょぼんとしつつ、財布を開いたのだった。
 作業終了まで店内を手ぶらでぶらぶら。レーダー探知機売り場が充実している。3インチほどの液晶とGPSを搭載していて、ビジュアルに、もうじきLHシステムがありますよとか、取締エリアですよ等と教えてくれるらしい。車上狙い多発エリアまでご案内である。ピーピーうるさいだけの我が車とはずいぶん違う。ナビとセットになっている商品はあまりないようだが、やがて一体化した商品が当たり前になりそうだ。それまでは別々に稼いでおこうということか。
 東名で白いスカイラインを追い越したら、そこの車止まりなさいとアナウンスされた過去があるもので、ついつい。
 「ゴリラ」はパナソニックに面倒をみてもらっていた。

2011年12月21日(水)罰ゲームには着ぐるみを
 昨日も1試合あって、今日はダブルヘッダーだとか。聞けば、さらに来週もご出場されるようだ。いや、忘年会やら女子会のこと。そんなわけで、弥生町界隈まで送迎を担当させてもらう。
 おかげで、アルコールなしの健康的な夜を過ごし、体力温存。なんに使うんだか。それにしても元気なことである。世の中はそのようなことになっているのか、わが家近辺だけのことなのか。まっ、穏やかに夜を過ごすことができるのはありがたい。
 と思ったのだが、意外に早いお迎え依頼。どうされましたの?
 「みんなミタを見たいのよ。」
 みなさんミタのはじまる時間までには帰宅されたがっているのだとか。そんなにおもしろいのか。録画ではダメなのかね。今夜の弥生町は静かなのだろうか。それとも見終わってからまた繰り出されるのか。見たことないけれど、ミタはすごいようだ。
 さて、明日は近くの漁港にカニを乗せた船が帰って来るらしい。どれどれどれ。

2011年12月20日(火)黒服に着替えて向かう
 やけに寒い。目が覚めたら3時だった。まだオイルヒーターしか置いていない部屋である。とりあえずゴソゴソとヒーターを点けてみたけれど、すぐに暖かくなる性質のものでもなく、結局、寒さのなかで起床。ちょっと熱があるように思われる。昨夜も、着る毛布だけで遅くまでがんばったからなあ。って、それで体調不良になっていては元も子も孫もなし。本日は、ぬくぬくと着込んで自愛専一に過ごさせてもらった。
 見舞いというわけではないが、いただきものの、タマゴパックのようなケースに入った大きなイチゴも食べさせてもらった。おかげでちょっと元気。今夜はほっこり。
 かの地にいれば、体調不良でも黒い服を着て出かけないと後ろ指を指されるのだろうか。ボクはどうしただろう。泣き真似は苦手だし..。

2011年12月19日(月)しりとりの相手をさがす
 ご愁傷様。万物は流転八倒である。
 そういえば、昨日も懐かしい人名がテレビから聞こえてきた。クロポトキン。昔、ばあや(ってだれやねん)からよく聞かされたしりとり子守歌だかしりとり戯れ歌に登場するのである。昔のことは圧倒的に忘れているのに、クロポトキンだけは印象深い。よほどたびたび聞かされていたのだろう。おなじみのしりとり歌は、「陸軍の乃木さんが」ではじまる。ボクが覚えているのはこんなフレージング。
 りくぐんの〜のぎさんが〜がいせんす〜すずめ〜めじろ〜ろしや〜やばんこく〜くろぽときん〜きんたま〜まわし〜しめた〜たかじゃっぽ〜ぽんやり〜りくぐんのと続いて、メビウスの輪状態である。流転しないものもあるらしい。
 しりとりならクロポトキンで終わりそうだが、無理矢理きんたまと続ける強引さがいかにも俗っぽくてよい。昔からそういうものを好む体質だったのかも知れない。と思っていたのだが、旗の上のポールの玉のことだと知って、ガッカリ。
 「ぽんやり」というのも、子どもの頃はボンヤリの親戚だと思っていたけれど、やりは槍らしいということを知ったのはずいぶんあとのことである。「眠る杯」とか「重いコンダラ」状態。
 こんな軍国的な歌を聞いて育てられたというのに、何かあっても役立ちそうにない人間になっているのは、「ボンヤリ」だったからだろう。

2011年12月18日(日)グラスにわずか残っておりぬ
 時計を見れば2時30分である。夜中の。前日午後1時からはじまった充実のライブというか激論もさすがに疲れ気味。とりあえず就寝時間ということにさせてもらったのだった。窓の外は雪が積もっていたけれど、22度のエアコンの入った部屋で快適に爆眠。
 年忘れ会はあと2回ほど声をかけてもらっているが、今年はもうこれで終わってしまってもいいやというくらい濃密長時間の、思い出に残る勉強会だった。ピルスナーやヴァイツェンやスタウトもおいしゅうございました。みなさんありがとうございました。
 留守宅では女子会が行われていたらしい。こちらの就寝時間は1時30分だったとか。なかなか敵もさるものである。鬼の居ぬ間の洗濯石けん。って、だれが鬼やねん。

2011年12月17日(土)冒険に行く前の夜に
 さて、本日はこれから合宿である。あるいはライブ。もしくは忘年会。ここよりもっと寒い場所で。昨晩から準備を済ませ、お迎えを待つばかりである。
 ライブ時間は1時から夜11時まで。が、就寝時間が過ぎても起きていそうだ。アフターアワーズである。
 ライブもアフターアワーズも楽しまないとね、聴いてるだけでなく。そんなわけで、長い一日になりそうなのだった。
 自分探しの旅のようなものか、多分。探さないけど。とりあえず、ひとり歩きできるくらいに成長して帰ってくるといいな。ちょっと楽しみ。

2011年12月16日(金)そこまでの覚悟はなくて
 雪起こしの雷がなって、庭が白い。最高気温は3度だとか。みんな寒いだろうな。インパチェンスとかベゴニアとかも。それほど温かいとは思えないけれど、とりあえず玄関内に退避。
 耐寒性があるとはいえ、シクラメンも雪をかぶって白い。葉っぱが見えるように雪をはらってやったが、もうしわけない、そのまま玄関先にいてくれ。スペースがないのである。覚悟して冬を乗り切るようにね。
 そんなわけで、部屋も狭いけれど玄関も狭い。足の置き場を探すのが大変である。狭所恐怖症の方とは多分暮らせないだろう。お気の毒なことである。当方、高いところは苦手だが、生活に困ったことはあまりない。飛行機に乗れないくらいで。
 それにしても朝から晩まで寒い。なにも生まれるもののない一日だった。あまりに寒いと、何かをやろうという意欲が湧いてこない体質のようだ。寒所創作意欲喪失症らしい。

2011年12月15日(木)ゆるやかにその夜のことを
 過日のクラプトンさんのライブ。フロント・ローからのオーディエンス・マスターに24bitデジタル・リマスタリングを施したベスト・クオリティー盤がありまっせ、というご案内があった。
 日本公演の全部のライブをカバーしていらっしゃるらしい。わが家には、フロント・ローやアリーナではなく、ほとんど最後列での雑音たっぷりモノラル盤しかない。
 別の筋からいただいた横浜ライブ盤よりも、『Voodoo Chile』の演奏時間が長く、最後の曲が『Cocaine』になったくらいしか違いがないような気もするが、ボクのコカイン!が収録されているかも知れない。どれどれ、ちょっと話を。
 ジャケット裏には「NOT FOR SALE / FOR FANS ONLY」と書かれている。無料とか物々交換かと思うのだが、そこはそれキャピタリズム。世間のみなさんがほしがるものを用意しないといけないのである。うーむ。

2011年12月14日(水)さまたげるもののありたる
 「うるさくて眠れなかったでしょう。」と言われた。イタチだかテンだかは、相当うるさかったらしい。「えっ、そうなの。」残念ながら、当方は眠れなかったという覚えがまったくない。ぐっすり爆眠。寝付きが良いだけでなく、ちょっとくらいの物音では起きないくらいの良質の睡眠状態をキープできる体質らしい。
 爆眠続きのおかげでよく育ち、こんなオヤジになってしまったのである。眠りの悪い子であれば、育ち方がもう少し緩やかだったのだろうか。もったいないことをしたものである。今ごろは中年だったかも知れないのに。
 そういえば、赤いフリースを着ていたせいか、今日はご近所のおねえさま方に若いわねえと言われた。今日がいちばん若いんですよねえ。明日になれば、残念なことに今日より年寄り。命短し恋せよ乙女ですよね等と、おねえさま方と話していたのだった。
 明日がゆっくり来ますように。爆眠になりませんように。

2011年12月13日(火)冷たい屋根の上にいて
 昨日から黙々と業務。わたしを離さないでどころか、わたしにかまわないで状態である。息抜きに、アスパラやかんぞうや水仙を植えかえてみる。近くにゴム手袋がなかったから素手の作業だ。指先がざらざらになっていた。人差し指と中指が特に。この指で触られるとだれもがいやがることだろう。
 夜になってから、テラスの波板や平屋部分の屋根でドタバタと動物が走り回る音がする。よく動く。寒さがイヤなのか、それとも喜んでのことか。懐中電灯をもって2階へ。屋根をサーチライト。
 小さな生物がいた。茶色の小動物。イタチがいたっち。いやテンかも知れない。一匹だけで夜中の運動会である。あるいはただのジョギングか。建物に入る場所でも探しているのか。手の出しようもなく、確認しただけで放置。
 夜の活動もきらいではなさそうだから、睡眠も妨害されることだろう。寝付き5秒と言われているのだが、たまさかの眠れない夜になるかも。

2011年12月12日(月)ユンボなら三文字で済む
 収穫をしたばかりの柚子をとりあえず玄関に置いていた。みかんの段ボールいっぱいの。そこへ宅配便のおにいさん。柚子の匂いと山盛りの黄色でお迎え。
 荷物を受けとったあと、「柚子はいりませんか?」と声をかけてみた。目の前に大量にあるんだから、なんだか悪いような気がしたのである。これが気持ちよいくらいよい返事。「いいですねえ、煮付けたりして食べるとおいしいですよねえ。」
 台所からスーパーの袋を取り出し、きれいどころをたっぷり詰めた。見られていると、あまりけちくさいのもね。そんなわけで、わが家に運んできたものより重い袋をぶら下げてお帰りになったのだった。
 こんなことはボクは初めてだったけれど、宅配の方には、時々そこここで起こっているのかも知れない。もっとありがたいものならうれしいのだと思うのだが、こんなものしかないんです。申し訳なし。
 本日はユンボくん大活躍。

2011年12月11日(日)その割に少ないけれど
 今日は珍しく頭を使う一日になるかと思っていたのである。が、予想に反し、身体を動かす一日だった。主に鍬等を振り下ろして。
 振り下ろし作業のしすぎで、鍬の柄が折れた。唐鍬に持ちかえる。最後はスコップまで出して作業をしたのだった。ぐっじょぶ。
 その後、廃棄するもの一式を乗せた車を某所に隠し、予定していた訪問もつつがなく無事終了。本日の体力業務は完了である。頭を使うのは明日にした。
 そんな労働から帰ったら、ご褒美なのか、たくさんの野菜が玄関脇に置かれていた。大根やワサビ菜やカブや白菜。ありがとうございます。
 それにしても、いつの間にかこの時期の大根が殊の外おいしく感じられる身体になっているのに驚く。柚子と一緒に漬け物にしてもらったり、おでんをつくったり。帰ってからもちょっとだけ身体を使った。よく働くわねえとほめてもらったのだった。その割に稼ぎがわるいという言葉が続きそうだったけれど..。

2011年12月10日(土)しかしその太陽は月に
 明るい。寒い。首が疲れる。暗くなった。星がいっぱい。昨日でなくて良かった。
 30分ほどで半分になって、1時間で三日月状態。あの人もあの人も、あなたとあなたも見ているだろうか。なんだか阿倍仲麻呂さんのことが思い浮かぶような夜である。
 80歳を過ぎたおばあさんのおうちは静かだが、近所からご家族のみなさんで観測している声が聞こえる。遠くから救急車や列車の音も。1時間20分ほどですべて隠れてしまった。
 こんな夜こそ、『THE DARK SIDE OF THE MOON』を聴かなければなるまい。誰も月の裏側のほとんどを見ることはできないのである。買ってから封も切らずに大切にしていたハイブリッド・ディスクのシールをひっぱってみることにした。

2011年12月9日(金)初雪を乗せてワゴンは
 午前中、駅の南側で屋根に雪を積んだ車と遭遇。山寄りからいらっしゃった車だろうか。冬用タイヤの交換時期である。
 わが家の車もタイヤ交換をしなくてはいけない時期だ。交換と言っても、わが家の場合はノーマルからスノータイヤへの交換ではなく、スノータイヤからスノータイヤへの交換である。
 昨冬を乗り切ったスタッドレスタイヤがすり減っていて、そのまま交換をせず春以降も走ってきたのである。走りつぶすつもりで。当然、今シーズンはタイヤそのものを交換してもらわないといけないのだった。経費節減の折、とりあえずキッドだけ。スノータイヤが不要な地域がうらやましいぜ。
 夜中に玄関を開けてみれば、わが家の車の屋根も真っ白である。今日からわが家は冬宣言。朝顔のつぼみはなくなっていた。

2011年12月8日(木)嫉妬深い男と歌う
 ジョン・レノンさんを聴いている。本来は日本時間の8日のできごとの方を優先すべきだろうが、とりあえずジョン・レノンさんも8日ということで、映像も音楽もわが家の夜の特集にしてみた。
 といっても、ソロになってからのアルバム全部に付き合ったわけではない。映画の『Let It Be』でべたつくおふたりに、ちょっとイヤな感じを抱いたのだった。そのころは、ジョンさんにとってヨーコさんがどれくらい大きな存在だったのかよく理解していなかったのである。もちろん、今のヨーコさんだって全然知らないし、トロントでクラプトンさん達と一緒に演奏した時のヨーコさんのボーカルもやっぱり理解できない。だから、あの頃はポールさんの方が豊かだったように思っていた。
 しかし、『Imagine』があるジョンさんに対し、ソロになったポールさんの曲にはなにがあるだろう。『Band On The Run』や『Jet』はだれでも知っている曲だろうかと思ったりもするのだった。
 そんなジョンさんの『Jealous Guy』を繰り返し聴く。美しいピアノ・バラード。ビートルズ時代に作られた曲らしいけれど。ボクは嫉妬深い男と人前で歌えるってすごいなあと思うのだ。ヨーコさんに詫びているのである。参りました。

 朝顔は今日もつぼみのままで、冷たい雨に打たれていた。

2011年12月7日(水)渋柿は湯船に浸けて
 ハイビスカスは今日も開いたまま。朝顔はつぼみのままですでに三日目である(冬の朝顔観察日記より)。
 ボクより少し年上のお姉さま方と昔話に興じた。五右衛門風呂とか、竈とか、家の中に牛を飼っていた話とか、養蚕やらヤイトやら家の外にある便所の話。おねえさま方は話題が豊富である。
 今年は花御所柿が安いという話が幕開け。箱で買っても700円くらいなのだそうな。とはいえ、ボクは西条柿派。西条柿もおいしいですよねえと言ったところから、昔は風呂で合わせたがなあという展開になったのである。ビニール袋っちゃあな贅沢なもんに入れるんでなしに、渋柿をみんなが使ったあとの風呂にそのまんま入れるだけえ、昔っちゃあなすごいでなあ。しかもあんたぁ、柿の一部がちょっとでも傷んでいると、風呂の中で皮がむけとるだがなあ(一部いなば弁)。おいしそうである。
 その後、五右衛門風呂やら家の外にある便所が恐くて柿の木の根っこ付近で済ませたというような楽しい昔話が続いたのだった。アカの浮いた湯船に浸かった柿を食べていたのである。昔も相当豊かだったのだ。

2011年12月6日(火)がんばれと言おうかどうか
 昨日とほとんど変わらない国産朝顔のつぼみ。今日は咲くかと楽しみにしていたのである。開かなかった。
 明日は咲くのか、あるいはつぼみのままで終わってしまうのか。鉢なら屋内に入れてもやれるが、こぼれ種から成長し、物干し竿の支柱に巻き付いているのでどうにもできない。暗闇を感じて10時間後くらいには咲くらしい。暗闇はたっぷりある。条件クリア。なのに咲かないというのは、気温が低いせいだろうか。13度くらいでは咲かないということか。
 一方、台所でつぼみをつけていたもうひとつの夏の花ハイビスカスは本日開花である。15度くらいでも大丈夫のようだ。色が少し薄いけれど。
 温かい毛布を着ているのがちょっとだけ申し訳ない。

2011年12月5日(月)窓を開け名前をよびぬ
 通りを二本隔てた一軒家でお亡くなりになった方は、発見が死後三日経ってからだったらしい。孤独死。町内の方が気づかれたのではなく、新聞受けにたまった新聞を不審がった配達の方の通報のようだ。おつれあいを無くされてから、何年もひとり暮らしをされていた80歳を過ぎたおじいさんである。
 東京から帰ってきたころ、すぐに町内の役員がまわってきた。そのころは会合ごとに公民館で飲み会があって、田舎に帰ってきた若者はずいぶんみなさんからかわいがってもらった。すでに30年以上が経って、そんなみなさんが高齢のひとり暮らしだったり、お亡くなりになられる。
 孤独死は都会のマンションやアパートだけでなく、もちろん砂丘の片隅の一軒家でも起こるのだった。
 親切にしていたつもりだったのに、黙って施設に入られた近所の人に憤慨されているおばあさんもおありだ。古い住宅街は意外に関係性が希薄。おじさんやおばさんのうわさ話が鬱陶しいこともあるけれど、ちょっとくらいはお節介のある街というのもそう悪くないと思うような年齢になったような気がする。
 久しぶりにピンク・フロイドの『おせっかい』を聴いた。もちろんB面。

2011年12月4日(日)輪郭の濃い虹を追い
 坂道の向こうに虹が出ていた。根元あたりは色が濃い。なんだか近くへ行ってみたくなるような虹だ。
 坂道をさらにのぼってみた。草の多い砂丘が邪魔をしてよく見えない。さらに上へ。いつもの馬の背を見下ろす場所までのぼってみた。きれい。砂丘をはさんだ虹である。
 よく見れば、すぐ下の砂丘のなかに右側の根元があるように見える。今度は下りてみる。このあたりだったなと思ったけれど、当然のように虹は逃げ、さらに向こうの海にかかっていた。『Catch The Rainbow』は無理です、ブラックモアさん。
 上の方から誰かが写真でも撮ってくれれば、虹をつかんだような写真になったのだろうか。

2011年12月3日(土)落ちた葉の集まる場所に
 風が強い。窓を開けて、すぐに閉めた。引きこもることにした。終日、留守番。と言っても、奥の部屋で音楽をならしつつの読書だったりするゆえ、留守電のボタンが押され、玄関も外から鍵がかけられていた。役に立たない人間と思われているのだった。なかなか賢明な対応である。
 とはいえ、ヘビメタのようなうるさい音楽ではなく、すき間の多いピアノトリオだ。やや不安定で口の重たい方が詠まれた歌が集められたような本を読むのにとてもよくフィットする。もちろん、読むだけでなく、集中力を発揮するのにも最適。
 ひとりという状況に輪をかけ、なにかを作り出すのにも最適なBGMなのである。きょうはなにかが生まれてくるかも知れないと期待し、とりあえず読書に集中した。いい本を手にしたものである。没頭した。いつの間にか夕食時である。
 苦笑が生まれただけだった。

2011年12月2日(金)雨に濡れたる葉の先に
 「あんたげの柚子を少しもらえんだらぁかと言う人があったけえ、自由にとりんさいと言ったで。」
 「あっ、そうですかあ。」
 「わたしにとりんさいと言われとった分だけ、ええだら。」
 「あぁ、もちろんいいですよぉ。」
 というようなことで、留守中にわが家の柚子はご近所の方のお役に立ったらしい。いゃあ、みどりが目立つぜ。もとい。情けは人のためしてガッテン。
 長いお話しをしたことはないけれど、なにしろご近所の方である。やがてお世話になる日がくることだろう。もうどんどん取っちゃってください。
 バジルや朝顔や猩猩草の種もたくさんあるんですけどね。こちらはいかがでしょう。

2011年12月1日(木)河北新報開きたる
 月の初めは夜遅くまでジタバタしていることが多い。きょうは珍しく午前のうちに主な業務終了。ちょっと余裕をもって過ごすことができた。分厚く綴じられた書類もいただく。お世話になります。
 夜に、仙石線が復活というニュースがあって驚いたけれど、小牛田経由でのことらしい。東塩釜から松島までが復旧できただけで、東名や野蒜などにお住まいのみなさんは相変わらず1時間に1本の不便な代行バスなのだろう。
 そんなニュースの途中、今朝の新聞にポール・モチアンさんの訃報記事があったのを思い出した。先月22日のことだとか。リー・コニッツさんやブラッド・メルドーさんとの『Live at Birdland』の2曲だけ聴いてから、やっぱりあれだよなぁとCDを入れ替えた。
 1961年のヴィレッジ・ヴァンガードのライブの1枚。
 冒頭曲のシンバルをうるさく感じる人がいるという記事をどこかで読んだ記憶がある。そんな人とはボクは一緒に長くは暮らせそうにない。ジャズアルバムの中で、いちばんたくさんの回数を聴いた盤なのである。久しぶりのブラッシュワークを聴かせてもらった。繊細。
 ラファロさんはライブの11日後に、エバンスさんは1980年にお亡くなりだ。これで3人ともいらっしゃらなくなった。あちらでトリオ演奏が聴けるといいのだが。

2011年11月30日(水)前ばかり見ていたせいで
 この窓口へ来るのもあと数回やなぁ、と思いつつ待つこと30分。手ぶらというわけにもいかないだろうから、2枚ほどプリントアウト。
 お嬢さんが、「そろそろですねえ。お手元の分を詳しく調べてみましょうか。」とおっしゃる。「いゃあ、ちょっとプリントしてみただけなんですけどね。」
 そんなつぶやきも関係なく、手を伸ばしてプリントはさらわれてしまった。キーボードをカタカタ。
 「ここは何人もの人がダメなようですねえ。なんででしょう。一度、どんな基準なのか聞いてみたいですね。補助金事業ですから、いつまでもダメということはないはずなんですけれど。」
 というようなお嬢さんペースで話が進められ、いつの間にか書類までつくってくださった。まっ、何事も経験ということで窓口を後にしたのだった。

2011年11月29日(火)変わらぬとたがいに言いて
 ピンポンが鳴った。玄関に出てみると懐かしいかたが。えぇー、久しぶり。どうしたの。
 営業でこの界隈が担当なのだとか。とはいえ、商売とは関係なく、地図に名前があったから、ご機嫌伺いに来てくださったらしい。病気でもしているのかと思われたようだ。
 ピンピンというほどでもないけれど、割合元気にしているんです。派手な寝癖のせいで頭が変に見えるかも知れないけれど、本人は普通だと思っているんです、これでも。
 今となっては、ボクとそう変わらないような年代になられたらしい。そのころのボクも結構若かったということか。話題は、ご両親の介護と、ダブル受験の子どもさんのご苦労。
 30年前の話をしているうちに、最初よりもさらに元気になって帰られたように見えた。いろいろと話してくださったあのころのことがうつつのことだったのかどうか、ボクの記憶は薄れていて、都合の悪いことは忘れて防御する体質になっているのかも知れないと反省したのだった。昔のことはちょっと恥ずかしい。

2011年11月28日(月)郵便受けに重なって
 ライブ以外にもいろいろと調査などもあって、この数日の走行距離は930km。車の走行距離だけを稼いでいるわけではなく、ベルトに付けた歩数計は毎日13000以上の数字があって、最高値は18000だ。自転車も乗り回したから、なかなか健康的な生活を送っていたのだった。とはいえ、足が痛くてもう眠いけれど。
 帰ってみれば、アマゾンに注文していた本や回覧板、町内の方の葬儀のお知らせや年賀状欠礼のお知らせ4枚だとか郵便局の不在連絡票などが、わが家の郵便受けに入っていた。
 回覧板は一昨日が回覧の開始である。葬儀もすでに終わっていた。ご近所にご迷惑をおかけしたり、不義理をしたりである。申し訳ありませぬ。

2011年11月27日(日)オペラグラスで見る顔は
 開始予定時間は午後5時。はじまりが早いのである。早く終えて、みなさんとお好み焼きでも食べるご計画なのだろうか。
 当日、当方は少し時間があったから観光地でアナゴ飯を食べていたのがいけなかった。なにしろ、駐車場の皆さんが驚かれるほどの混み具合なのである。おかげで駐車場は一番高地だった。アナゴ飯を食べ終え、駐車場から車を出すと、なかなか車が進まない。そんなわけで、会場に着いたのは丁度午後5時。いゃあ、よく走った。
 さいわい、メンバーの登場は10分遅れだった。やれやれ。
 盛大な拍手に迎えられて登場したクラプトンさんの「こんばんは」のあと、すぐに『泣きたい気持ち』がはじまった。18曲プラスアンコール2曲。
 しっとりしたアコギの『ワンダフル・トゥナイト』もよかったけれど、今回いちばん気合いが入っていたように聞こえたのは、最後に演奏された15分30秒の『Voodoo Chile』である。タメがたっぷり効いてブルージー。終盤のキーボードとの激しいバトルはロックのライブの名演のひとつのようにも思える。いゃあ、よかった。最後は、ボクの「コカイン!」という叫び声で約2時間のライブは終わったのだった。ということで、11月26日のリスト。
 1. Had To Cry Today
 2. Low Down
 3. After Midnight
 4. Presence Of The Lord
 5. Glad
 6. Well All Right
 7. Hoochie Coochie Man
 8. While You See A Chance
 9. Key To The Highway
10. Midland Maniac
11. Crossroads
12. Georgia On My Mind
13. Driftin’
14. That’s No Way To Get Along
15. Wonderful Tonight
16. Can’t Find My Way Home
17. Gimme Some Lovin’
18. Voodoo Chile
19. Dear Mr. Fantasy
20. Cocaine

2011年11月26日(土)どの服を着ていこうかと
 エリック・クラプトンさんが来日中である。すでに横浜や大阪でのライブ音源が流通している。手元には19日の横浜のものしかないが、大阪の音源は22日のものなのである。なんともすごい時代。
 北海道では演奏されなかったらしい『Wonderful Tonight』が、横浜や大阪や福岡ではリストに加えられているようだ。で、北海道のみなさんは悔しがっていらっしゃるのかというと、北海道では『Layla』が演奏されたらしい。
 うーん、微妙。どちらもパティ・ボイドさんがらみである。
 というか小出し作戦かね。まさか最後の東京でどっちもやったりするということはないと思うけれど。
 そんなわけで、また後日。

2011年11月25日(金)行く場所の決まらないまま
 寒い。昨日も今日も霰である。とうとうファンヒーターを出した。といっても、灯油は昨年の残り物しかない。ちょろちょろと点けてみたり、電気ストーブも使ったりという、着る毛布にお世話になりながらの生活である。
 昨年まで利用させてもらっていたセルフのガソリンスタンドが閉店した。ガソリンは、あちこちのお店を利用させてもらっているのだが、灯油をどこで買えばいいのかちょっと思案している。たとえ安くても、遠いところからチャプチャプと運ぶのは気持ちがよくないと思っているのだった。
 それでも当方は今のところ車で買いに行けるが、自前の交通手段のない人は配達してもらっていらっしゃるのだろうか。高そう。灯油に限らず、電気店でもスーパーでも、歩いていけるくらいの距離にあってほしいと思っていらっしゃる方はこの辺りには多いことだろう。
 と思ったが、みなさんはエアコン生活なのかも知れない。うらやましいことである。

2011年11月24日(木)補充する必要のなき
 オイル交換をしてもらった。イレギュラーな使い方になっていることもあって、随分久しぶりの交換だった。すでに前回の交換から1年以上経過しているのである。走行距離も通常の交換目安を5000kmオーバーしていた。半年間隔とか走行距離5000km以内で交換していたのが懐かしい。
 なにはともあれ、4000円ほどで済んだと思っていたのである。ひと安心。
 15分ほどで、交換終了の店内放送があった。
 開けたボンネットの側へ行くと、「バッテリーが随分弱っていますよ。」と担当のおにいさんのお言葉。全然そんな気配はなかったけどなあ。「バッテリーは突然あがりますよ。冬は弱いですからねえ。車のトラブルのナンバーワンですよ。これ古いでしょ?」等とおどかされる。
 確かに古い。普通4〜5年ですよとお兄さんはおっしゃるが、もう7〜8年ほど経っているのである。なんだか、このままではこの冬にバッテリーあがりを体験しそうな気がしてきた。結局、バッテリーまで交換してもらうことになってしまったのだった。補充液不要タイプ。オイル交換が6回はできる。財布はみごとに空っぽである。がっかり。
 「どうもおせわさま。」とお礼を言ったら、「タイヤも、溝が減っていてこの冬はやばいですよ。」とおっしゃる。ボロボロの車らしい。バッテリーが4つ買える。
 雪の日は乗らないことにしました。

2011年11月23日(水)吾がつくるものではないが
 勤労感謝するほどの日々を過ごしているようにも思えないが、生産を祝い、たがいに感謝し合う日でもあるらしい。せっかくアメリカが考えてくれたLabor Thanksgiving Dayである。お言葉に甘えて、普段以上にのんびりと過ごさせてもらった。
 Laborはさておき、夜はThanksgiving。信仰心はほとんどないけれど、新嘗祭を祝ってみた。酒のヌーボーだけ祝うのも偏頗のような気がして。
 今年の新米を食べさせてもらいながら、豊穣に感謝することにしたのである。とはいえ、東北から届いた米はすでに食した。今日は地元のみなさんの生産に感謝し、いなばの白ご飯をいただいたのだった。
 夕餉のメインだったかも知れない。

2011年11月22日(火)アガパンサスの太き根に
 突然の宝探しということになり、唐鍬をかついで現地へ向かった。町内会長さんと遭遇。
 「おっ、いよいよですか。」
 「あっ、イヤ宝探しですねん。一攫千金めざして。」
 「なんでも協力しまっせ。」
 などとバカな話をしつつ、穴掘りをした。よい会長さんである。
 穴掘りといっても、深く掘るのではなく、浅く長く掘らなくてはいけない。宝は浅いところに眠っている可能性が高いのである。
 が、結局、一か所を深く掘るのも浅く長く掘るのもどちらにもむいていないということがよくわかっただけで終わった。明日は、肩や胸の筋肉痛でいつにも増して役に立たない男になっていることだろう。いや、明後日か。

2011年11月21日(月)がまんして続けていれば
 Coldplayのグラストンベリー・ライブ映像を楽しんだ後、韓国映画を観ているうちに、日付がとっくに変わっていた。
 「Yellow」で波長が合って以来、Coldplayの作品にはどのアルバムでもお気に入りの曲ができる。今回のわけのわからないタイトルのアルバムも、キラキラ感が盛り込まれていて、サイケで明るい。ポップがきらいな人もいらっしゃるのだろうが、カラフルさに全然抵抗がなくなった。気持ちがよい。歳のせいかも知れない。
 5年ほど前の韓国映画は、導入部分からなんだこりゃあインド映画ですのと思うような変なイントロ。観る気の失せるような始まりである。と思っていたら、それが制作者の作戦だった。後半になって、そのイントロの意味がわかるのだった。
 最初からワクワクという作りではなく、観る人を排除するように作りながら、最後に納得させる。うまいなあ。表現の参考になるような気がした。

2011年11月20日(日)ドア脇の椅子に座って
 「寒くなりましたねえ。」と声をかけたら、「今日は、めちゃくちゃ忙しく、寒さを感じている間がありませんでしたよ。」とおっしゃる。半袖で。体育会系っぽい体つきの方だ。普段から勢いのよい男性なのだが、今日は2件ほど面倒なことを抱えていらっしゃるらしい。
 帰りに、そんな忙しそうな場面に遭遇。「朝からずっとなんですよ。」だとか。おうちがいいんだよね。
 帰ることもできないので、臨時のヘルパーとして対応をしてあげた。栗谷町からいらっしゃった方だった。隣に座って「お生まれは大正ですか。」と言ったら、昭和8年生まれだとか。ヒエー、大変失礼致しました。
 それでも会話は続き、昔の地震や大火のことを教えてもらったのだった。残念ながらどちらも体験していない。結構、若いかも。

2011年11月19日(土)食べたいと思うものなき
 久しぶりの方から電話があったり、訪問があったり、メールがあったりの一日だった。お互いの近況報告や、めでたい報告も聞かせてもらうことができた。覚えてくださっているというか、気にかけてくださっているのかと思うとありがたいことである。
 そんなみなさんは、いずれも今の生活に余裕がおありだから、当方ごときに声をかけてくださるのだろう。いつもギリギリの生活を送っているけれど、やっぱり余裕をもった生活を送りたいと思ったのだった。
 とはいえ、今のところ余裕のあるのは柚子くらいというところがちょっとつらい。 

2011年11月18日(金)日常に起こりしことを
 1000人ほどの高校生と2時間を共有した。ちょっとびっくり。高校生ってこんなに豊かな言葉を持っていたんだっけ。ボクの貧弱な高校時代を思ったり、それから数十年経ったわが身と照らし合わせても、オジさんはまったく成長していないことを痛感したのだった。後生畏るべし。
 ホタルは子どものころから見ていたけれど、そのことを言葉で記録する高校生活を送っていなかったのである。
 現代は、暗闇で何かを喋る女の子の口元に関心を注ぐ15歳の男の子がいるのだった。すごいなあ。それなりに豊かな高校時代を送っていたと思っていたのだけれど、そのことをきちんと言葉で残しておけばよかったと強く感じた一日だった。 

2011年11月17日(木)おとなしく止まりたるのに
 室内に取り込んだシンビジュームにカメムシがいた。かめ虫。亀虫。椿象。大型のペンタゴンふうではなく、小さくかわいいカメムシである。マルカメムシ系と思われる。ふろしき饅頭を縮小したようにも見え、かわいい。が、出会ってしまったからには無視するわけにもいかぬ。
 退去していただくことにした。
 小型につき、匂いもたかが知れているだろうとついつい無防備。手をだしたところ、いたく気分を害されたらしい。指に強烈な匂いが染みついた。小さいからと侮ってはいけないのだった。すいません、これからはサイズだけで判断しないようにします。
 そんなカメムシとの物語ができた夜は、お祭りにつき、久しぶりのワイン。アルコールは膵臓に負担がかかるらしい。今日も有働さんが心配していた。とりあえず、グラス3杯までにしておいた。

2011年11月16日(水)ひび割れし人差し指と
 立ち寄ったホームセンターで、ガーデンシクラメンが98円だった。安い。例年は198円からはじまるところである。こぼれ種から育っているわが家のガーデンシクラメンの株はまだ幼く、花をつけるとしても来年の春以降のような気もする。
 そんなわけで、いつもなら148円まで下がるのを待つところであるが、ついつい手をだしてしまうのだった。100円の違いで購入意欲に差が出るのかと思うと、そのせこさがかなしい。
 花売り場の横にはタマネギ苗も売られていた。1本約4円と、苗屋さんより2円も安い。が、細くて小ぶりだ。収穫時にどれくらいの差が出るものか、比較のために植えてみた。残念ながらすでに植えたものと同じ品種の苗がなかったけれど。ちなみに泉州である。備忘として。それにしても今年は例年にない本数を植えつけたものである。タマネギ価格が暴落しなければよいが。

2011年11月15日(火)西日のあたる窓際に
 昼はさておき、夜間は寒い。一部の蘭はすでに屋内に退避させていたのだが、大量の葉っぱを伸ばしてかさばり気味のシンビジュームの何鉢かは、昨日まで寒い夜を過ごしてもらっていた。室内の床にスペースをつくりださなければ、置けなかったのである。
 本日やっと、すべての蘭が夜風に当たらずに済むようになった。
 どちらかというと観葉植物化している胡蝶蘭は、今のところ3鉢が花芽を3cmほど伸ばしている。とはいえ、温室のないわが家ではここからが大変。さて、冬を乗り切れるだろうか。
 カトレアは葉っぱが残っているだけで上出来である。いただきものは、枯らさずに維持するだけで精一杯。花どころではないのだった。
 そんなやっかいな蘭に比べ、自分で買ったデンファレはすでにつぼみを11個つけ、置き場は玄関に昇格。デンドロもシンビジュームも株が増える一方である。そのうち雑草化することだろう。ボクに育てることができるのはこれくらいの品種なのだった。
 朝顔は、外の冷たい夜風に吹かれているのだけれど。

2011年11月14日(月)たわみし枝の棘を避け
 柚子が一年ぶりに豊作である。昨年は葉っぱの方が目立っていたけれど、今年は鮮やかな柚子色が群れている。高い枝になっていて脚立が必要だった一昨年と違い、今年の柚子は低い枝にたくさんついていて、収穫がとても楽。時々棘に当たるけれど。
 とはいえ、あまりたくさん持ち帰っても使い道に困るらしい。迷惑がられるのだった。スーパーの袋に詰めて持ち帰ったけれど、使い切れない柚子が床に転がっている。ご希望の方はどうぞ。
 とりあえず、ジャムと柚子味噌と浅漬けの香りづけに使ってもらった。収穫するにはまだ少し早そうだが、若いせいか香りがつよい。
 もうじき冬だ。

2011年11月13日(日)収穫に会話のなくて
 休日の割に早起き。サクサク業務を片付ける。充実の午前中だった。たとえば、タマネギにフトンをかけてやるとか。稲藁を短く切って苗の根本においてやったのである。すくももかけて。冷え込んでも少しは暖かく過ごせることだろう。
 そんな作業をしている横の畑で、おばあさん達がさつまいもの収穫をされている。静かに。おふたりとも80歳を過ぎて、現在ひとり暮らしだ。若ければ簡単な作業だが、お年寄りひとりでは収穫作業が大変。ヘルパーとしてお手伝いをされているのだった。
 お昼の放送が流れるころに掘り返しはほぼ終了のようだ。コンテナ2箱ほどの収穫である。といっても、コンテナはなくスーパーの袋に詰めようとされる。家まで持って帰るのも一回では無理である。当方の作業は途中だったが、家から車を取ってきて運んであげることにした。コンテナにいれて玄関までお届け。
 お礼の芋をもらうためではなかったんですけどね。ありがとうございます。

2011年11月12日(土)なにゆえにバックをするか
 残りの空きスペースに追加のタマネギ苗300本を植えた。街灯のあかりで6時過ぎまで。午前中に苗屋さんへ行ったのだが、さすが土曜日。日持ちする「パワー」はすでに売り切れだった。猩猩赤もソニックも残り少ない。どんどん苗は細くなりますよ、と追い打ち。そんなわけで、パワーを諦めることにした。
 油粕や石灰等も購入。植え付け準備が完了した。が、帰る前にスーパーで砂糖を買ってくるとおっしゃる。駐車場で待機。
 広い駐車場である。ボクの前は、縦の2台とも駐車スペースが空いている。一台の車がそこへ入った。と思ったら、そこからバックしてきて、ボクの左側に駐車された。どゆこと。どうしてそのままひとつ前に進んで駐車しないの。Rを使わなくて済むのに。ボクの隣がよかったのだろうか。
 観察してみると、頭から入っていけば出る時も直進で出ることのできる場所でも、時々バックで駐車される方がいらっしゃった。中には、3回のバック作業で、ライン内に収まった人も。不思議である。バックがお好きな方が多いのだろうか。
 ボクはバックが苦手。なぜか回転数が下がって止まりそうになることが多いのだ。実際、止まったこともあるし。ギアも摩耗するし、出かけたらRをなるべく使わないというせこい運転を心がけているのだった。前向きに生きているのである。多分。

2011年11月11日(金)きょうもまた背もたれのない
 「少なくなってきましたね。決める人は目の輝きがちがいますよ。」生気のない目をしていたのだろうか。あるいは、一般的な世間話のレベルだったのかも知れない。「そうなんでしょうねえ。」等とお返事をさせていただく。
 そんな今日はタマネギ苗を購入することにした。良い苗は大分減っているようですよと、苗屋のおかみさんがおっしゃる。本日のお店の在庫はすでに僅少。とりあえず500本だけ買った。猩猩赤と早生のソニックと長期保存対応のパワーの3種類である。1本あたり約6円。
 どれほど大きな玉にされるつもりですだいなと、植えた間隔を近所のおばさんにからかわれたのも懐かしい。密集気味にしておいた。すべて植え終わったあたりに、ちょっとした小雨。ありがたい。本日いちばんの目の輝きだったかも知れない。

2011年11月10日(木)なるようになるのであれば
 珍しい方とバッタリ遭遇。かつては、ほぼ月に一回はお会いしていた単組の委員長である。
 いろいろ質問をされる。ボクのことはさておき、どうですか最近は。いゃあ、いずこも大変ですよ、下がるばかりで。なんだかお疲れのようにも見えますが?さあさあ、3人の面倒をもう結構長いことみとるですで。えー加減つかれましたわ。
 弁の立つ、なかなかの闘士だった方である。そんなプライベートを飲み込んで、仕事以外の業務もこなされていたらしい。
 楽しいことや笑い声ばかりでなく、それぞれのおうちに、それぞれのご苦労がおありなのだった。がんばるしかない。

2011年11月9日(水)黙殺をすればよいのに
 寒い。フリースのフードをかぶり、ファスナーを上まであげて過ごしている。紐もしばって。ウロウロ。そんなわけで、ドメスティック不審者扱いをされているのだった。耳や首回りが温かいと、意外に寒さを感じないんですぜ、おかみさん。
 ところで、もうそんな時期らしい。年賀状欠礼のご案内が、すでに3枚届いていた。いい機会だから、今年は少し減らしたらいいんじゃないの。御意。去年の住所録関係のデータを間違ってすべて壊してしまっているしね。
 そんな今日のネットのニュースに、日本で一番幸せな都道府県は福井県というレポートがあった。当地は4位だとか。どういう指標やねん。ラッキョウをたくさん作ったり、カレーをしょっちゅう食べたり、雪かきが楽しめるから幸せということか。あるいは、原発が近くにあるとか、首都との交通の便が悪いところがポイントが高いのかも知れない。
 まっ、そこそこ幸せな一日だったような気もするけれど。

2011年11月8日(火)容赦なく暗くなりゆく
 柿を届けてくださる方があった。巨大な富有柿である。100個ほど実をつけたのだとか。病気ご療養中ですのに、ありがとうございました。
 昭和27年に植えられた一本らしい。大きさも数も、過去にない大豊作。ほぼ60年目にしてやっとの大豊作である。さすが柿8年。時間がかかるのだった。30年ほどしか経っていないわが家の柿がまだいい働きをしないのは当たり前のことか。生きている間にわが家でも豊作を味わってみたいものである。
 3種類の朝顔が夜も元気だ。夜に強い琉球系はさておき、国産も米国産も同じように夜更かしが好きらしい。長い夜をつぼみとして過ごしているうちに、強くて長持ちする花になっているのだろうか。夜の過ごし方も大事なようである。とりあえず、夜にピントを合わせつつ、22時30分のノーリアンズブラックを記念に撮っておいた。深いブルーが褪せて、少し赤っぽくなっているけれど。
 そんな夜に、普段づかいはできないようなビアもいただいた。ありがとうございます。明日も一日タフに過ごせるよう、楽しい夜を過ごすことにした。

2011年11月7日(月)親指の輪ゴムを外し
 今日は、カニを買う人が多いわねぇ、というのがレジのおねえさんのご感想である。昨日6日がズワイガニ漁の解禁日だとか。
 親ガニは3枚で1000円。オスは、わけあって親分から小指を詰めさせられたような小もの2枚が、親ガニ3枚と似たような価格だった。せっかくである。今日は、松葉ガニのしゃぶしゃぶということにさせてもらった。もちろん立派な若者ではなく、わが家にきたのは不始末をしたらしい小もの。404gと418g。
 小指をかむのが趣味という人や、指は全部揃っていないとダメとか、小指以外は全部捨てて小指2本だけを食べるのが通というものだよ文左衛門くんというような人はさておき、ボクは小指以外を食べるのが好きなのである。
 いゃあ、美味。立派な最期だったと思うな。ありがとね。おまけに、静かに食事をしたい人にはこれ以上ないくらいの沈黙を提供してくれるかわいいやつだったりもするのだった。

2011年11月6日(日)街灯は点滅をして
 午前中にボランティア業務。遅くまで飲んだ翌日の早起きはつらいぜ。おまけに途中から雨が激しくなった。それでも、余裕をもってでかけたおかげで、集合時間より15分も早く到着した。つつがなく業務も終了。
 予定していた時間より早く帰ることができた。ありがたい。柿やブルーベリーの剪定をしてみた。といっても、実を付けていた枝を摘んだくらいというのが素人のかなしいところである。来年の柿に剪定の効果を期待してみたい。
 玄関のハイビスカスが咲いているし、こぼれ種の朝顔が庭のあちこちで花をつけている。夕焼け小焼けのメロディが流れるころも、朝と変わらない状態で開いている。朝顔は、夏より今の方が過ごしやすそうに見える。
 さて、遠くまで行ったというのに歩数計の数字が少ない。ボランティアをしたんだから、ビール1本に換算してもいいようなものだが、頭も身体も大して使っていないような気もする。急いで、暗闇の歩数稼ぎをしたのだった。

2011年11月5日(土)よびおこすものがなければ
 あっちゃんが実演販売ということで、とりあえず行かねばなるまい。休日の割に早く起きて、お出かけ。売り切れないうちにコーナーへ行った。
 いくつかを買い求めたあと、ここまで来たんだからと店内であれこれ買い物をした。食料や飲料だけでなく、本まで買ってしまって余計な出費である。実演がなければ、使わなかったお金が出ていった。こういうことを考えて企画が立てられているのであろう。営業は成功である。
 さて、そんな今日の夕方から勉強会。ゲストをお迎えして。サインの実演を無理矢理お願いしたのだった。快く筆ペンを出していただき、ありがとうございました。お宝である。
 別々に見るといいけれど、つながると悪くなる場合もあるとか、迎えて理解する際のバランスが大事等、いろいろと学ばせていただいたのでした。感謝。

2011年11月4日(金)もう一度訪いたいという
 辣韮の花が満開である。いつもより白い花が目立つ畑があったように見えた。そんな畑で消毒の噴霧作業を終えた方にお聞きしたら、「突然変異の雑種だわ。」と、やや投げやりにおっしゃる。吉兆ではないのだろうか。
 そんな畑の端から端まで走った。途中、デイサービス2か所の車と遭遇。小春日和の、格好のドライブコースのようだ。
 駐車場には貸し切りバスも駐まっている。大阪ナンバーのバスから降りてきた皆さんは、駐車場からすぐ隣の畑に集まって記念撮影である。砂丘見物だけでなく、この時期のラッキョウ畑も見学地として盛り込んだところはぐっじょぶだと思うのだが、そんな畑の入り口だけで済ますのはもったいないと思うな。もう少し歩けば、もっと広大なラッキョウ畑が楽しめるのである。
 と思ったが、みなさんは畑の反対側も見なくてはいけなかったらしい。こちらも、あおとみどりがきれいなのだった。碧の海。
 二兎だけでなく、さらにカニやイカも手に入れて帰っていただきたい。

2011年11月3日(木)どのみちたどり着くわけで
 ちょっと行楽、というかリサーチ。コーヒーの飲み過ぎである。とはいえ、いずれもおいしいコーヒーでした。ごちそうさま。
 畑の多い島にある店の席につけば、テーブルはミシン台だった。ミシン部分がはずされただけで、足踏みのスチールもそのままである。店の裏にある一戸建てトイレへ向かえば、うつくしい光景が広がっていた。上手な作りである。周りは畑だというのに、どこからいらっしゃるのか女性客がたくさん。
 そんな行楽の帰り道、道路脇の電光掲示板に事故渋滞のお知らせがあった。事故の規模はわからないが、最後尾らしき場所にたどり着いた時、たまたま中央分離帯が切れていた。ためらわずUターン。山道を走った。この辺りで大丈夫だろうと思い、海沿いの道に出ると、反対方面の車輌がまったく動いていなかった。
 この先、渋滞はどれくらい続いているのかとみなさんが思われていたのではないか。結構長くつながっている。山道に回った方がいいですよとみなさんに教えてあげたかったけれど、まっ、先のわからない方が楽しいこともあるのかも知れない。

2011年11月2日(水)容赦なく時間はすぎて
 例によって待つのも仕事。今日はいつもより長い待ち時間で、約45分だった。待っている間は、パソコンをお借りした。しばらくすると、右隣にお座りの方が。
 「やぁ、お久しぶりです。どうされたんですか。」
 「えっ、あら、そちらこそどうされたんですの。」
 という、珍しい方に遭遇。おくさまがうるさいので出てこられたようだ。大変ですなあ。って、他人事でいいのか?周りの邪魔にならないよう、あれこれ近況報告。話しぶりも性格も穏やかで優しそうな方である。どうしたら、こういう穏やかさを身につけることができるのだろうと思いながら、わが身のいたらなさを反省したのだった。
 待った後は、5分で業務終了。帰宅途中のリバーサイドで、うしろからハコスカが接近してきた。が、車線を変更して追い越そうとはされない。速度表示のないところは60km/hだよなと思いつつ、ちょっとスピードを上げたり下げてみたりすると、ハコスカもつきあってくださる。道路の終わるところまでツーリング後、あちらは左車線に入って別れた。ニッコリ。
 旧車同士のよしみというか、うしろ姿を楽しんでくださっていたのだろうか。なんだか今日は、ちょっと余裕のある大人のみなさんに遊んでもらったような一日だった。

2011年11月1日(火)右手の指で探しあて
 昨日、脚立の上の無理な姿勢で苅込鋏を振り回したせいか、左肩や首が痛む。五十肩が完治したというわけでもなかったのに。痛むだけでなく、何かをやる意欲が湧いてこないほどの不快感。おもちゃのような肩もみグッズでほぐしているが、どうにもこうにも。本日の石榴の実ほぐしも、5個ほど水の中でほぐしただけで作業終了にさせてもらった。
 だれか、いらなくなったマッサージチェアを届けてくれないかねえ等と話していたら、届いたのは今釣れらしいハゼとキスだった。時折、シンクの上ではねる。生きがいいというか生きているというか。ありがとうございます。テンプラでいただくことにします。
 魚が喜べばキスだが、縦書きしたわが家の苗字の横に喜の字を書けば、今のところ「マッサージチェア」と読むのである。

2011年10月31日(月)手の届かない実は残し
 数年前に枯れたのかと思った栗が生き残っていて今年は実をつけた。が、元気なのは外のイガイガだけで、中の実はしょぼいものが多い。本格的な食用栗になるにはもう数年かかりそうだ。
 柿も、わが家の場合はなりすぎて困るというほどでもなかった。花梨も6個ほどしかないし。結局、この時期に毎年のように豊作なのはザクロだけである。割れたまま赤い実をさらし枝にぶら下がっているのもあれば、地面に落ちてコバエがたかっているものある。時々ザクロ酒を作ることもあったが、今やほとんど鑑賞用なのだ。
 とはいえ、アンチエイジングや前立腺の病気にもよいというような未確認情報もあって、今年は使わないともったいないんじゃないのということになった。脚立を用意。どうやって食べるのかのあてはないけれど、とりあえずザクロの収穫日にした。
 粒を口に入れてみる。甘い。けれど、大半は種だ。ボクには面倒くさい果実である。ジューサーに入れてみた。鮮やかな赤色の液体がきれい。やっぱり甘い。量が少ないので牛乳を投入。紫色に変わった。グレープの色である。明日は炭酸で試してみることにしよう。
 ちなみに石榴は安石榴の略で、安石は原産国付近のパルティア(イラン界隈)のことだとか。以上、ザクロについてざっくろと。

2011年10月30日(日)角を曲がればまたその角に
 玄関から道路に出れば、角に不審な男性。見ると腕章をしていらっしゃる。「警察」と書かれていた。えっ、こんなところまで。
 きれいになった道路はもちろんのこと、バス通りにも、畑のある角にも、普段見かけない不審者がいらっしゃる。お聞きすれば、この辺りの担当は群馬の方が多いらしい。話をした若者は、太田近くのご出身だとか。いゃあ、富士重工の太田ですかあ。メインストリートでたくさん写真を撮ったことがありますよ、2年ほど前に。大変な街になってしまっていますよねえ、というような話を楽しませてもらった。それにしても若者だらけ。この界隈の平均年齢が随分若返り、活気に溢れた町になっていた。あんなバスに乗っていらっしゃるというのに、みなさんたいへんフレンドリーである。ごくろうさま。
 群馬のみなさんは、吉岡温泉泊だったようだ。そりゃあ寂しい夜だったですねえと言えば、どうせ夜は外出できませんし、観光もできませんよとおっしゃる。若者は缶詰だったようだ。お気の毒さま。とりあえず、その先は砂丘の一部ですよと教えてあげた。いち面の草だけれど。

2011年10月29日(土)先端は捨ててください
 そんなわけで、静かな場所でちょっと勉強をすることにしたのである。その途中、窓が閉ざされた30台のバスと、停車しているバス2台に遭遇。鹿児島や宮崎や名古屋や岐阜ナンバーである。手薄になってしまうところがあって、地域によってはお忙しいのではないか。お世話様というか、ご苦労様。三朝温泉方面からやって来ているように思えるバスもあった。依山楼や万翆楼でリフレッシュされたのだろう。県内各地で潤った方々が多そうだ。ご同慶のいたりである。
 海には、ワニザメのようなサーファーが多数。ほどよい波のようだ。道ばたにコスモスの咲いているコスモス街道というのは聞いたことがあるが、セイタカアワダチソウ街道もあった。斜面を覆うアワダチソウ。見ごろである。花粉症の方は大丈夫だろうか等とドライブをしていたのだった。そこへ、スクランブル信号。
 喧噪を避けたつもりだったのに、結局、そのすぐ側で過ごすことになってしまったのである。高いところから見ようとして石段から落ちた方とか、皮一枚を残して指を切ってしまった方もお集まりである。事故か事件なのかの確認におまわりさんも来ていたけれど、メディアが取り上げるニュースにはなりそうになかった。とはいえ、ご家族には大きなできごとである。毎日、そんな取り上げられない大きなニュースが、こちらそちらであるのだった。
 あちらのみなさんは予定より5分早い流れだったとか。5分くらいならほぼ予定通りである。当方は、予定していたことのひとつも学べなかった。思い通りの一日を過ごすのはなかなか難しい。

2011年10月28日(金)最大の音量にして
 道には外から中の見えないバスが走り、空にはヘリコプターが飛んでいてにぎやか。対策やいざという時のシミュレーションも万全なのであろう。静かな生活が好みというわけでもないから、ほどよい騒がしさで快適な一日だった。ロックをかければ内も外も騒音状態である。明日からもにぎやかに違いない。楽しみ楽しみ。
 サルビア等の植えられたプランターが置かれたきれいな舗道もあるけれど、電線類の地中化作業が行われている場所は、いつもの雑然とした工事現場である。あちらこちらで道が掘り返されていたのはこの時期に間に合わせるのかと思っていたのだった。さすがに突貫工事というわけにはいかないのだろう。
 そんなわけで、古い車だとずいぶん道路のでこぼこを拾う場所があるけれど、いい車だと快適なのだろうか。ご高齢なのに心配なことである。

2011年10月27日(木)露出補正をアンダーにして
 街にそれらしい姿かたちの方が増えてきた。本格的にそのモードに入っているらしい。メインストリートには、古くて空き部屋の多いビルも多い、確認やらご指導が大変なことだろう。2階やベランダなど高いところからは危険なのだとか。ご親切にどうも。
 関係道路はなべてきれいになっているのかと思えば、TV局辺りの道路は今日もでこぼこだった。明日はきれいになっているのだろうか。
 一方、乾燥地研究センター界隈の見苦しい松やニセアカシアは切られ、雑草も刈られている。夕方の散歩も気持ちがよい。ありがたいことである。
 ドーム手前には、平屋の研修施設が建てられていた。ゲスト・ハウスと書かれている。おいしいお茶でもお飲みになるのだろう。それにしても、いかにもラフ・アンド・レディという感じに見える。ハウスの裏というか奥まった方には、セイタカアワダチソウが今を盛りとばかりにはびこっているのである。
 まっ、とりあえず見えるところだけだよね、大事なのは。アワダチソウも美しいし。

2011年10月26日(水)あわれチャライとよばれたる
 釣りが趣味というかなちゃん。
 「きょうねえ、ちょうりじっしゅうだったの。」
 「あら、なにを作ったの。」
 「つくったんじゃなくて、ちょうりじっしゅう!」
 「だから、たべるものを作ったんでしょ。」
 「ちがうの、食べものじゃなくて、わかい先生がきたの、」
 それは、教育実習だよね。顔を赤らめるかなちゃん。小学校3年生なのである。で、その教育実習生がチャライらしい。
 「チャライって、どんなふうに?」
 「よくしゃべるしい、なんでもすぐにまじかよって言うだが。だけえ、まじかよ先生っていわりょーるだが。」
 まじっすかー。よく喋って、マジかよが口をつくと、小学校3年生にチャライと言われるらしい。まっ、無口でマジかよはあまり言わないけれど、結構チャライオヤジなんだけどね。

2011年10月25日(火)恋しいものの増えし夜に
 寒い。今シーズン初めてのおでんをつくった。コンビニのおでんには敵わないらしいが、よく働いてお腹が空いているので、そこそこ大丈夫のようだ。鶏ムネ肉の料理もつけて、ぐっじょぶ。らしい。
 夜になると一段の寒さである。電気ストーブを本格稼働させようかという囁きが聞こえた。というか、自分で喋っていただけだが。しかし、ここでしばりを外すと次からはそれほど寒くなくてもつけてしまうことが多い。今夜は我慢することにした。
 その代わりに使用した暖房具が、マイクロファイバー製の着る毛布。マイクロファイバー等と聞くと高級そうな感じもするけれど、もちろんわが家の場合は低価格の一品だ。手を通す穴探しが一苦労の、袖付き。
 とはいえ、着てしまえば首回りも背中もたいへん暖か。軽いし。
 「この冬はストーブがいらないんじゃないの。」などと言ったりしているが、そんなことを言っているうちは、本当はまだそれほど寒くないのかもしれない。

2011年10月24日(月)うしろから眺めてみれば
 車検に行っていた軽自動車が帰ってきた。請求書と共に。軽自動車とは思えないようなお値段。さすがに11歳だ。ブレーキパッドやらベルト関係各種の交換など、修理箇所多数である。
 工賃サービスという項目も見受けられるけれど、技術料も部品代も高い。これに自賠責保険や従量税が加算され、月々6000円くらいは貯めておかなければ支払えない計算である。
 雪にも強く、ターボの付いたタフでかわいいやつだ。後継車が発売されれば、適当な時期に乗り換えようかとも思っていたのである。それがニューモデルにも生産中止にもならず、マイナーチェンジだけで発売され続けているらしい。もう少しその成長ぶりが見せてもらうことにした。車名には、願いを叶えるという意味があるようだが、モデルチェンジをせずとも何年も売れ続けるようにというのが願いだったのだろうか。

2011年10月23日(日)飲み過ぎの夜に合わせた
 梨が終わって、西条柿がおいしい季節だ。今年も西条柿を食べられる幸せ者である。残念ながら、西条柿の木がわが家にはない。甘柿しか植えていないのである。わざわざ渋柿を買ってきて自分で合わせるということはもうやめ、ここのところ、もっぱらプロの作品をいただくばかりにしている。
 とはいえ、すぐに柔らかくなるのが難点。熟し過ぎたのはちょっと面白くない。熟柿ではなく、かたくて歯ごたえがあってほどよい水分のある渋柿をおいしく食べられるのが西条柿のよさである。甘柿よりジューシーな渋柿。秋は夜長も果実も申し分なし。
 毎年書いているような気がするが、北海道には柿がないと学生時代の友人に教えてもらった。今はどうなのだろう。温暖化で釧路でも栽培できるようになっただろうか。送ってあげたいが、わりあい日持ちが苦手。梨だけで我慢してください。

2011年10月22日(土)会いたいと思いし人の
 かさね着は少し汗ばむ陽気のなか、よく歩いた。お店等の駐車場に駐める際も、入り口から遠くへ駐めたりして。帰宅後に数字を見れば、自宅周りの散歩でカバーしなくても、設定している予定数に到達していた。
 そんな今日は、雷が鳴って雨が降るようになっても温かい。夜の室内気温は25度だった。貴重な温かい秋の夜長をしっかり楽しむことにした。って、何で楽しめばよいのだろう。とりあえず、『What Game Shall We Play Today』を聴いている。
 そんな日に、毎日のように顔を出してくださったのではないかと勝手に思い込んでいた方に挽歌。ひとり暮らしの長かった方だが、なぜかわが家のメンバーにはいつも優しい対応をしてくださった方だったのである。
 急がなくっちゃ。

2011年10月21日(金)うしろにも鏡のありて
 クラプトンさんの自伝が出版された年には、1942年に生まれ27歳で亡くなったジミ・ヘンドリクスさんの物語も出版されている。
 「パールハーバー」の少し前、シアトルに生まれたジミさんの祖父母や曾祖父母に遡ると、奴隷だったとかチェロキーだったとか奴隷とその雇い人との血が混ざっていたというような話になる。ボクとそれほど違う世代でもないと思うのだが、その苦労は想像外である。
 母は17歳。経済的に苦しい若い男女に育てられる。日常的な喧嘩やネグレクトやDVのなかで、ジミさんは、底に穴のあいた靴を履き、弁当を持たずに学校へ行くしかない少年時代を過ごす。常にギターを携えて。眠る時もギターを抱いて。ロックの世界を大きく広げたギタリストだ。新しいことを創り出すためには、それくらいいつもそのことを考えていなくてはいけないということか。ハングリーさも時に必要なのか。今夜はジミヘン・ナイトにしてみた。
 それにしても、ジミさんの苦労した少年期から50年以上経っているというのに、経済の格差は拡大するばかりらしい。アメリカだけでなく、ギリシアなどの地中海沿岸地域からも、新たなカルチャーを創り出す若者が登場するのだろうか。

2011年10月20日(木)たおやかに攻撃をして
 95%はまがいもので本物は5%というのは、エリック・クラプトンさんが自伝の中で音楽の世界を評した言葉だ。定義理由や根拠を知る由もないが、受け手になんらかのチカラを与えるような内容が表現されたものには必要というお考えのようにも思える。十分に腑に落ちたわけではないが、クラプトンさんのようにギターを極めたような人の発言である。なんとなく、頭に残ってしまっている。
 それはご自分が発表された作品も含まれているのかも知れない。多分いちばん良かったのは、クリームやデレク・アンド・ザ・ドミノスの時代なのだろう。そのあたりを見抜くチカラのない人間は、クスリやアルコール依存症から抜け出てレイドバックした演奏でも、結構楽しむことができたりする。そんなわけで、そのフレーズが棲みついて以降、表現されたものに接する時には時々これは本物かと問いかけてみることがあったりもする。
 というようなことが思い浮かんだのは、本日聴いたヨーロッパ産の一枚が、結構インパクトがあって独創的だったから。美しく激しい。ホンモノ的要素を内包しているような気がしたのだった。

2011年10月19日(水)らしくないことをした夜
 梨価格下落で東電に賠償請求という記事があった。原発事故の風評被害で価格が下落した福島県産の梨が関西市場に大量に流入し、当地産の梨も対抗して値下げせざるを得なくなり、今年の梨の価格は昨年に比べて3割下落しているのだそうな。
 今年の梨は安かったんですの。
 ちなみに贈答用の今年の請求額と昨年の請求額を比べてみた。大きな玉の贈答用の請求額はほとんど変わっていなかった。相変わらず高い。どういうこと。どこで買えば安く手に入ったのだろう。
 それにしても、請求書も多様である。助けに行ったので経費請求とかもあったり。ここのところ、経費節減生活を送っている。困ったことになったとしても、支払えないので助けないでくださいと最初に断らないといけないかもしれない。
 梨代請求のことはさておき、困っている人にちょっとだけ力を貸し、それで必要経費を請求するような年寄りにはならないようにしようと思った。

2011年10月18日(火)バイエルの聞こえる道で
 それほどジッとしていたわけではないと思うのだが、夕食前の歩数が5000に足りていなかった。急いで、夕飯前の夜の散歩へ出かけた。星がきれいな空である。
 空ばかりでなく、それぞれのおうちの玄関とか窓枠なども観察してみた。新築家屋はそれほどない住宅街である。ちょっと古めの玄関が多いけれど、それでもわが家よりもオシャレな玄関はたくさんあった。玄関にこだわる余裕のあるおうちがうらやましい。
 さて、足元の道路も黒くきれいになっている。横断歩道のラインも引かれたばかり。車に乗っても振動の少なさが感じられるけれど、歩いても快適だった。ありがたいことだ。そこまでで終わっているのがちょっと残念。
 庶民はどこでもこんな振動の少ない道路を利用していると勘違いされないだろうか。心配である。

2011年10月17日(月)ジェラートをすくうスプーンの
 四方竹のシーズンらしい。大量にいただいた。煮つけたモノを食べさせてもらっているが、シャキッとした歯ごたえと甘さもあって美味。毎年、秋にもタケノコが食べられるという幸せを感じているのだった。
 大量といえば、今日は梨の煮つけもいただいた。梨農家の方は、余った梨を煮たりされるものらしい。そこからジャムにしたり、料理に使われたりするのだそうだ。できることなら、煮る前にいただけるともっとありがたいような気がするのだった。
 なにしろ、煮た梨の保存は冷凍である。つまり、もらったのは大きな袋に入った梨のシャーベット。たぶんご存じないと思うのだが、わが家の冷凍庫は上に付いているタイプで、容量がとても少ない。古い冷蔵庫なのである。
 そんなわけで、寒い夜にシャーベットの角をせっせと食べているのだった。乙な夜である。それにしても、ホントまだ氷山の一角。

2011年10月16日(日)仏壇は応相談と
 不要になった電化製品、バイク、農機具、金属類、楽器類、バッテリー等を、日曜日に無料で回収するというチラシが郵便入れに入っていた。バッテリー以外はすべて提供できる。
 とりあえず、試しにプリンターを出してみることにした。PC9801時代のドットプリンター。A3対応である。今のそこそこのプリンターは概ね安価だ。消耗品でお稼ぎになる商売である。それに比べ、当時のドットプリンター本体は結構いい値段だった。とはいえ、もう使う予定がないのは明らかである。ビニール袋に入れてチラシを貼り、指定の早朝時間に道路の手前に置いてみた。
 なんだよ、古すぎるプリンターだから不要品回収の人も不要なのかね。いつまでも置かれたままなのである。かわいそう。ボクが回収してやった。
 そんなレアなものなら欲しいという方がどこかにいらっしゃらないだろうか。ボックス買いをした、交換用のインクリボン4セットもお付けしますけれど。

2011年10月15日(土)曲がりつつ伸びる花芽の
 雨が上がっていた。急いで、ラッキョウに肥料をやることにした。植え付けも遅いし、ろくに元肥もあたえていない。にもかかわらず、伸びた花芽は紫をつつんだつぼみをもっていた。福部も、そろそろラッキョウの花見シーズンになることだろう。
 ラッキョウに肥料をやったあと砂丘へ行ってみると、パラグライダーのみなさんや観光客のみなさんだけでなく、ジオパークののぼりを持った人や、ランニングをしている人もいらっしゃって、なんだかにぎやか。少し近づいてみると、何体かのゆるキャラがいた。砂丘内の4.2kmを6人でつなぐ、「ALL STARZ駅伝」というイベントだとか。
 そんなイベントにかり出されたのか、ふくべと書かれたゆるキャラも。モチーフはラッキョウ。ラッキョウの花をもった「らっちゃん」である。熱演をしていらっしゃったので、記念に一枚。ラッキョウづけの午前中だった。

2011年10月14日(金)色深き花をつけたる
 そんなわけで、道路に伸びている百日紅の枝をいただいた。さすがに生きのよい枝である。すでに種も立派な大きさになっていた。わが家の小枝についている種と比べると、約3倍の大きさ。春に蒔いてみることにした。
 窓口2箇所巡りもサクサク終了。誰が言ってくれるわけでもないので、とりあえず自分で、ぐっじょぶ。
 ご褒美に、アジアンテイストの落ち着いたお店でお食事会。よいいち日である。
 そんな秋の夜長はちょっとした工作で時間つぶしをしてみた。部品多数のプラモデルに比べればわずかなパーツであるが、1/30スケールである。大きな失敗をすることもなくこちらもサクサクと終了。とはいえ、出来映えはぐっじょぶには遠そうだ。残念。

2011年10月13日(木)安全なハサミを使い
 さすが十月の投げ木である。薔薇、アプチロン、ローリエ、ローズマリーの切り落とした枝を、バーミキュライトを混ぜた土に差し込んだだけなのに、ほとんどの枝のみどりの葉っぱが落ちない。土の中で、根を張ってきているのだろう。昔の人の経験に裏付けられた「十月の投げ木」を実感している。
 そういえば、通行するたびに挿し木にしてみたいと思っていた枝があったのを思い出した。某小さな公共施設の一角に1本だけ植えてある百日紅。これがいさぎよいまでに生き生きと燃えるように真っ赤なのである。それに比べると、わが家の桃色系の百日紅はちょっと儚げ。
 ここのところ通らなくなった道だが、明日はそこの百日紅の枝を手折らせてもらうことにしよう。生命感に満ちた1本をこの年の記念の1本にしてみたいと思うのだった。

2011年10月12日(水)ドアノブを見上げて過ごす
 ご近所のおねえさま方と茶話会。1時間ほどの会に、コーヒーなど3杯も飲ませていただく。渋皮煮や焼き芋や芋ケンピなども食べさせてもらった。ありがとうございました。
 おねえさま方の結婚前などの話も聴かせてもらったり。
 交際していた男性が会社の保養施設に妹と2名ということで宿泊予約をとられ、部屋が1つだったのでびっくりされた話とか。で、夜はどうされたんですか?
 「もちろん、出ていってもらったわ。」
 男性は廊下で横になられたらしい。
 「かわいそうだからって、30分後にお迎えにいかれたんでしょ?」
 「行かないわよ、昔のおんなですもの。そのままスヤスヤ。」
 ひえー。その後ご一緒になられた男性の、当夜のお気持ちはいかばかりだったろう。今に迎えに来てくれると思いつつ、寝つかれないまま過ごされたのだろうか。結局、来たのは朝だけだったのである。いや、それがあったから一緒になれたのかも知れない。参考になる話である。

2011年10月11日(火)錆に触れたる親指は
 「最近、よー見かけるけどアンタ、なつかしいなあ。ワシも乗っとっただが、丸目だったけど。」
 駐車係の昔おにいさんが人なつっこく声をかけてくださる。よく来ているけれど、懐かしいのはもちろんボクのことではない。別に来たいわけではないんですけどね、何度も。
 「丸目とはすごいですねぇ。いつごろの話ですかぁ。」
 「40年近く前の話だわ。注文してからもなかなか来んでな。半年ほどかかったらぁやぁ、家に来たのに。」
 すっかり地元生活の長い昔おにいさんらしい。そうかぁ、40年前はそんなに日数がかかっていたのか。ボクはそのしばらくあとにやっとサニーでしたよ。
 「いつごろのだいな、これは?」
 「あっいや、これは新しいですよ。まだ32年ですから。」
 「32年かぁ、まっ大事にしんさいよ。」
 「どうもどうも。このさき維持できるかどうか分かりませんけどね。」
 そんなこともあって、わりあい穏やかな気分でその場をあとにすることができたのだった。多分、ボクはもう当分来ません。

2011年10月10日(月)じゃがいもを使う料理が
 いただきものといただきものといただきものの肉じゃがで本日の食事も無事終了。ありがとうございます。三連休の最後である。ご近所のおばさんも気合いをいれて作られたのだろう。肉じゃがの味付けは、ボクの好みのからさ加減とピッタリ。みどりも入って視覚的にもぐっじょぶ。おかげで、久しぶりに牛肉を食べさせてもらったような気がする。ここのところ、肉と言えば鶏肉中心の食事だったのである。
 おばさんは、わが家だけでなく、お隣のひとり暮らしのおばあさんにも自作総菜を提供されている。相互扶助精神のまだ残っている古い住宅地なのである。って、たぶんこの周辺くらいだと思うけれど。
 ということで、充実の連休が終わった。昨日の勉強会では、類型をどう越えていくか。下が上をどのように高めていくか。どこまでを説明するか。というようなことを考えさせてもらった。過剰な説明は不要なのである。
 そんなわけで、散文でも説明しすぎないわけのわからない文章を心がけている。というかそんな文しか書けない。

2011年10月9日(日)通過する道はめくられ
 近所の道路がめくられている。ここのところ坂道の融雪装置の調子が悪かった。大がかりな補修かと思っていたのである。しかし、融雪装置のないところまで道路はめくられている。乾燥地研究センターの辺りまで。一方、左折しているバス通りの融雪装置箇所はなにも手がつけられていない。どういうわけやねん。
 と思っていたのだが、実はそういうわけである。駅前にも水色ののぼりがたくさん立てられているし。
 そういえば、随分以前にもそんなことがあって、道路が補修された。同じように乾燥地研究センターの辺りまで。ご近所のみなさんが、小旗を持って補修された道路に立たれたのである。ありがたいことだ。住民のために税がきちんと還元されているらしい。乾燥地研究センター辺りまでは。
 乾燥地研究センターの側に住んでいてよかった。

2011年10月8日(土)秋の日は川辺にありて
 WOWOWの画面右上のカラーロゴが、いつの間にか透過の白色表示だけになっていた。調べてみると、7日19時からの変更らしい。ロゴは割合目立たなくなったけれど、たまに数秒間だけの表示だった以前のことを思うと、まだ物足りない。
 それにしても、カラーロゴ表示を開始して1週間ほどでの変更である。抗議やら、解約を希望されたみなさんが多かったのだろうか。それとも最初から抗議は織り込み済みで、一段階折れたふうを装いながら24時間の常時白色ロゴ表示を勝ち取ろうとされたのだろうか。そうであれば、なかなか巧妙である。
 そんなわけだから、一昨日に電話をした時点で担当者にはカラー表示を止めるという対応が分かっていたのかも知れない。どうしても解約したい場合はもう一度電話するようにということだったけれど、さらなる改善を期待しているのだった。
 なにはともあれ、あきらめずやってみれば変わることもあるらしい。

2011年10月7日(金)待つことは容易きことで
 待つのが仕事のうちというような時間を過ごす。待つと言っても、今日はたった40分だった。もらった札の数字は888番。いいことがあるかと期待したが、待っている間に、なんの創作活動にもつながらなかった。残念。777番くらいでなければ大きなフィーバーにはならないようだ。とはいえ、窓口には優しいお嬢さんが待っていてくださり、楽しい会話を5分ほどさせてもらった。サクサクと業務終了である。
 そんな今日は、郵便屋さんがいろいろと届けてくださっていた。それぞれがネットのメールで済ますというわけにはいかない用件ばかり。3件ほどお礼の手紙やらハガキを書くという苦手な作業を片付けているうちに、いち日の後半戦も創作活動につながらなかった。
 こちらの方は、ただ待っていても優しいミューズが微笑んでくれるというわけではないのだった。待ちミューズ来たらず。さっ、がんばろ。

2011年10月6日(木)解約の通知をすれば
 自分から求めて契約をしたわけではないが、当時、深い事情と理由があって、WOWOWに加入している。どうしても断れない人から勧誘された保険のようなものである。
 そのWOWOWは、10月1日から、24時間フルハイビジョン3チャンネル放送スタートとかで、宣伝や営業活動に熱が入っている。小さなレンタルショップには置いてない『冬の小鳥』の放映が9日に予定されているし、『座頭市』の27作品一挙上映なども予定されている。お好きな方には期待がもてるラインナップのように思われる。
 が、この10月1日から、右上に常時、長方形のカラーロゴが入るようになった。青か赤か緑の。『ローマの休日』のようなモノクロ映画の右隅にも緑地に白抜きのロゴが入る。ヘバーンが泣くよ。ロゴ設置の理由はいろいろあるのだろうが、表示方法を少しお考えになってはどうだろう。あまりセンスがいいとは思えない放送局の番組を、お金を払ってまで見る気にならない。もう義理は果たした。本日、解約希望の電話をさせてもらったのである。
 解約理由を述べると、「今は何とも言えないが、10月末までは契約が生きているのでそのまま視聴を続け、それでもロゴが同じ状況であればもう一度解約の電話をしてください。この電話の内容は上にあげておきます。」とのことだった。他にも同じような理由の解約希望があって、対応を検討されているのだろうか。
 強気のお代官なら知らん顔だが、そこはそれ民間企業。さて改善されるのかどうか、楽しみである。

2011年10月5日(水)予期せざる不在がひとつ
 「これでどうやねん。」
 「ふふふっ、年貢納入者よ、まだまだ甘いわ。指導と書いて、りふじんと読ますのじゃ。」
 という展開になることはよもやないだろうと思っていたのだが、残念、今日はお代官(って、ここは天領なのか。だいたいわが家は本百姓だったのか。実際のところは年貢を納めていなかったかも。)は、検見というか巡察にお出かけのようだった。二泊三日の。三連休が邪魔である。などと、珍しく休日をうとましく思ったりしているのだった。
 ちょっと肩すかしを食らって、やらなければいけないことにも積極的に取り組めない一日になってしまった。台風とか激しい雨の予報が外れるという肩すかしなら、やる気が出るのかもしれないけれど。

2011年10月4日(火)上書き保存のショートカットを
 夜の食事に誘ってもらった。こんなオヤジをかまってくださる若い方々がいらっしゃるというのは有り難いことだ。会費がいくらでも参加しますよと言ったのだが、思いのほか安い値段だった。リーズナブル。予約を取っているという場所まで、喜んでホイホイと出かけた。
 初めてお伺いしたお店である。失礼ながら、こんなところで商売をしよう等とよく思われましたなあというような場所に、ひっそりと佇んでいるお店だった。などと、空に向かって唾しているわけであるが。
 最近できたのかと思えば、今月が誕生1周年記念月なんだとか。よくがんばられましたなあ。そのおかげで、帰りには、商品2個入りのお土産までもらったのだった。
 夜のお客さんは3組だけ。ランチはお客さんが多いのだろうか。おいしかったですよーと褒めちぎって帰った。褒められて伸びるタイプのように思えたのである。

2011年10月3日(月)減るほどの神経もなく
 3日連続の早朝起床。朝早くから西に向かっていると、2本立ての虹が見えた。よいことのある一日かと期待していたが、どうも戦いはほぼ終盤で、テクニカル・ノックアウトが近いようにも思える。それほどダメージはないのだが、相手はもっとダメージが少ないというか、ダメージを加えようにも、かわし方がお上手。論理が通用しにくい。
 そんなわけで、作戦の練り直しが必要のようだ。しばらく、作戦タイムということになった。
 午後も西へ向かったあと帰宅。雲のありようが豊かで、2か所ほど車を停め、海の上の雲を見物させてもらった。気温は20度を切って寒いけれど、虹やら雲やら、上を見上げているうちはまだ大丈夫と思い込むことにした。

2011年10月2日(日)納豆をかき混ぜながら
 朝早く起こされ朝食へ。朝食は、基本的に一杯の牛乳を飲み、季節の果物を食べるくらいである。ラフでいいだろうと思い、顔の手入れもせず、ルーズな格好で食事場所へ行ったのだった。そんな時に限って、思いがけない人と一緒のテーブルになった。こんなことなら、きちんとしておくんだった。妻と同年代なんですねえ等と言われつつ、さえない顔の食事である。
 少し遅れて、4人掛けのテーブルのひとつ空いた席に座られた方が、ついついこんな形式の食事はたくさん盛りつけてしまってなんだか恥ずかしいとおっしゃる。ボクの少ない食事の量を気にされたようだ。
 いやぁ、夜に大量に食べる主義なので、朝は少ないんです。やっぱり、元気に生きるには食いぢからは大切ですよとお話しすると、「食いぢから」という5文字の言葉がいたく気に入られたようで、思いつかれたことがおありだった。
 さえない顔の食事だったが、ひとさまのお役に立つことのできたよい朝になった。 

2011年10月1日(土)裏側を見せずに月は
 『狂気』のコレクターズボックスセットの購入希望者はたくさんいらっしゃるらしい。いなばのCD屋さんで入手することはできなかった。発売元も卸業者も在庫がないという返事を3カ所の販売店から頂戴したのである。定価より2割ほど安くしていたアマゾンも完売。マーケットプレイスの新品価格は、発売日には34700円の値段がつけられていた。定価の2倍以上である。オークションでも15000円スタート。定価より安く見えるが、アマゾンで購入していれば、すでに2000円ほど利ざやを稼いでいらっしゃる。値上がりを見越してというか、投機目的でボックスセットを大量に買っている人がいるらしい。お金を儲けようという人は、いろいろなことを思いつくものである。
 考えてみれば、先行き不案内な株を1000株買うことを思えば、10セット買っても16万円。次の日に2倍で売れれば株や金を買うよりおいしそう。2倍にならなくてもそこそこの小遣い稼ぎはできそうだ。そんな人たちがいらっしゃるからボックスセットは品薄になっていたのか。サイケデリック・ロックではじまったフロイドもずいぶん遠くへきたものである。ネットを注意深く探せば、まだ定価で買えそうなところもあるように見える。さて、どうするか。
 と思っていたら、今日のマーケットプレイスは定価を割っていた。結構、だぶついているのかも知れない。 

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