サランコットからポカラへ降りる頃には、もうぐんと陽は登っていて、沿道には人が行き交っている。ひときわ賑やかな子どもたちの声が聞こえる。学校だ。壁に「SUGINAMI」の文字が見える。どうやら日本と関係があるらしい。「ネパールに学校を贈ろう」という活動が日本にはあるが、その事業の一環で建てられたもののようだ。「ちょっと入れてもらおうか?」校門でなかの生徒に声をかけると、喜んで迎え入れてくれる。先生はまだ来ていないらしい。授業は10時からだという。たちまち数人の子どもたちが私たちを取り囲み、案内してくれる。コンクリートブロックで仕切られた四角い空間が10室ほど。黒板と木の長机に長椅子がいくつか。廊下はなく、戸を開ければいきなり外だ。日本の校舎のイメージからはほど遠い。「ネパールに学校を贈ろう」という活動で、どうにかあちこちに、こんな建物が建つようになったらしい。しかし、この活動はどうやら「校舎を建てる」ところまでが目的の場合もあるようだ。その後学校としての機能を着実に果たしているかというと、そりゃもうなかなかたいへんなようである。建物はでき、しばらく学校として存在したけれど、資金繰りやら何やらで廃校の憂き目にあっているものがたくさんあるらしい。学校として維持していく資金の不足と経営ノウハウの不足はなかなかうめられないのだ。
さて、私たちを案内してくれた子どもたちが、帰り際に一冊のノートを差し出した。それは、寄付金の署名ノートだった。うっっと一歩ひいてしまう私たち。それまでニコニコ無邪気な子どもたちが急にしたたかに見えてきた。こんなかたちででも現金を集めないと運営は厳しいのか。いくらかのお金を渡し、署名をして学校をあとにした。そういえば、アフリカで支援活動を続けていたあるシスターが言っていた。「必要なのは、物や何かを作るためのお金ではなく、現地の人たちがどうやってそれを自分たちのものとし、使いこなしていくのかを支援すること。」ほんとに、ここでもそうだなぁ。今必要なのは、「校舎を贈る」ことと同時に「学校として維持していく」ための支援。さっき渡したわずかなお金がそのことに使われることを願いたい。
帰る道すがら、さっきの子どもたちと同じ年頃であろう子どもたちに何人も出くわした。彼らは、学校に行っている気配がない。観光客の私たちに、キャンディーやボールペンをねだって、1日を過ごす子どもたち。薄くすり切れたサンダルで山道を行く。けっして寒くないのでも足が丈夫なのでもない。サンダルを買うだけで精一杯の生活なのだ。この生活を少しでもいい方向に持っていくには、教育しかないという。教育を受ける権利はあるのだが、行かせない親もある現実。なんともいえない苦しい現実だ。それでもしたたかに生きていく。今の日本の子どもたちにこんな現実を生き抜く力はあるんだろうかとも思い、今の日本の教育で本当にしたたかに生きる力を育てることができるのだろうかとも思う。