平成19年2月定例会代表質問(平成19年2月23日)No.1

<片山県政8年を振り返って>

 
 昨年12月25日、年末最後の定例記者会見で片山知事は、来年春の統一地方選挙には、私は出馬しないことを決めましたと、初めてその意思を表明されました。片山知事が知事選に出馬されないということは、私にとっても、多くの県民のみなさんにとっても、まさにサプライズでした。したがって、記者会見が終わると同時に、マスコミの皆さんを初め多くの県民の皆さんから、なぜ3選に臨まれないのかという理由の問い合わせが私にもありました。
 
 正直申し上げて私自身、片山知事は議会の中でその去就についてあれこれ述べておられましたが、最終的に3選へ挑戦されるだろうと思っていただけに、まさか改革半ばで、改革派の知事みずからさらなる改革への挑戦を断念されるとは思いもよらなかったということが本音なのです。また、恐らく本日の傍聴席の皆さんの大半もそういう思いであったと思います。しかし、記者会見並びに今日までの知事の発言だけでは、総合的に熟慮の上判断して決断されたということだけで、知事の心の内まで知ることができず、県民の皆さんには私以上に理解できないものがあり、心残りがあると思うのです。

今議会の清風及び自民党の両会派の代表質問で大方の議論がされているところですが、重複する部分もあるかと思いますが、県民の皆さんの思いを含めてもう少し視点と角度を変えながら議論をしたいと思います。
 
 知事という公選によって選ばれた者として、また今日まで片山知事を支持し、期待されてきた県民の皆さんに、最終的に退任を決断されるきっかけ、原因、背景についてきちんとした説明責任を果たされるべきと思うのですが、改めて片山知事の御所見をお伺いします。

正直申しまして、今回の代表質問を行うに際し、県民の皆さんの中にはやめられる知事を相手に議論をしても意味がないという意見の方もありました。しかし、それはこれまでの政治の流れであって、やはりきちんと片山県政2期8年の成果と残された今後の課題を検証することが、私たち議会人としての責任であり、今後の県政運営さらには鳥取県の発展につながるものと確信しております。
今思い起こせばちょうど8年余り前の暮れ、私が県議会議員への出馬を決意した直後に、あなたも旧自治省を辞して、知事への出馬を決意されました。恐らく大変な勇気の中での決断であったと思います。その当時、旧赤碕町での集会で今は亡き花本県議の力強い激励を受けながら、とうとうと県政への抱負や思いを語られる片山知事の姿を会場の片隅で随分頼もしく聞かせていただいたことを今でも鮮明に覚えています。ちょうどその頃は、煩わしい国の関与を受けることなく地方分権の時代、つまり地方の時代が間もなくやってくると私自身が思っていましたし、片山知事もそうだったのではないかと思うのです。
 
 片山知事は就任直後から、行政の透明化と情報公開を看板に現場主義を標榜され、大型プロジェクトの凍結、見直しをされるなど、列挙すれば切りがないほど、数多くの制度の見直しや、職員の意識改革に取り組まれ、あらゆる分野でじわりじわりと片山イズムとやらを浸透させられてきたと我が会派としては片山県政を評価しております。
 
 知事の就任中に行われた制度改革や、実施された施策について、自己採点を行われた結果、知事自身で納得できたことと、評価できるものを3点ほど掲げていただき、その思いをお聞かせください。確かに制度や意識を改革するということは、とても困難なことです。どうしても総論賛成、各論反対の部分で想定どおりに進まないのも事実で、逆にそのことが改革の重さでもあると思うのです。県庁の内部的な改革については、県トップの知事という権限の中で強引と思われる手法でも改革を可能とすることができるわけですが、県民の既得権益等の利害が絡む事案については、時間をかけた調整も必要で、なかなか進まないのも当然ですし、世の常であると思うのです。また片山知事は就任当初から、10年やってもできないものは、何年やってもできないと発言され、まさにその節目を迎える3期目であり、その動向はかねてより注目されていたところです。知事は一昨日の前田議員の代表質問に答えて、3選不出馬が一つの美学のように答弁されていますが、本当はジレンマ、挫折感を感じての逃避のようにさえ受け取られますが、知事の所見をお伺いします。

 
 地方分権時代を迎えた今日では、国、県、市町村が対等であるという基本認識を踏まえ、辛口の発言で国に対しても臆することなくストレートに物申す知事の姿に、強いリーダーシップを感じ、多くの県民は頼もしく思い、大きな期待が寄せられていました。 特に地方分権時代と言われているものの、国は合いも変わらず三位一体の改革や道州制の議論などに見られるように、自己保身的な改革の域を出ることはなく、また市町村も県におんぶに抱っこ的な雰囲気から抜け出せず、市町村に自立を求める制度を提案すると猛反発という状況で、この議場での議論においても私自身、知事が随分ジレンマを感じておられると思った場面が何度かありました。
 
 また国、特に総務省、そして全国知事会に対して、また東京都ホテル税、東芝製品の不買発言などにもありましたが、その辛口発言のたびに、私たちが想像する以上に相当な外圧もあったと仄聞しております。地方の声、県民の声を代弁しての知事の発言に対する国などからの反発等があったことについて、知事の御所見をお伺いします。
 
 さらに知事として、この任期中にどうしても手がけておきたかった施策、またぜひとも完結しておきたかった施策がありましたら、お聞かせください。

 知事、これまで2日間の知事の答弁を聞いておりますと、答弁に過去のような切れもなく、さびついた刀のような答弁で、私のモチベーションも下がり気味です。
 
 知事、あなたの任期は4月12日までです。私たちの任期も4月29日までです。私たちは住民の皆さんから付託された任期中は議論に手を抜くことなく、その時点での最善の方向と最善の議論を住民の皆さんに示すべきで、まだ任期が残されている中、次の知事にすべて判断をゆだねるのではなく、片山知事にはしっかり議論に向き合っていただきたいと思います。

 
 私どもも自らの選挙を目前に控える中、任期中県民の皆さんの付託にこたえるため、連日深夜まで代表質問の準備をしてきたのです。知事、まだ任期の期間中です。最後までしっかりと議論していただくことをお願いします。


●知事答弁

 
 
このたびの統一地方選挙に私が出馬しないことについて、最終的に出馬しないことにしたきっかけなどについて、ちゃんと説明をせよとこういうことですが、たとえ私が出る、出ると言っていて、やっぱり出ないと言ったら多分、伊藤さんが言われたようなサプライズだったでしょう。

 私は、本当にこの議場でも何度も去就を尋ねられた際に、どっちにするか決めかねているということを申し上げてきたはずです。その上で皆さん方、ほとんどの皆さん方は、早く言えということで、出ろと言われた人は1人おられたかもしれませんが、ほとんどおられなかったわけで、早く言え、早く言えというのが私に対する皆さん方の要請で、私なりに少し時間がかかったかもしれませんが、決めた次第です。ですから、サプライズと言われてもいささか私は違和感があるわけで、出るか出ないかは個人的に判断する問題で、最終的に出るに至らなかったということです。

 私はかねて申し上げておりますとおり、首長というのは2期8年がいいと思っておりました。それをあえて10年ということを申し上げておりましたけれども、10年限度論というのを申し上げておりましたのは、2期8年がいいと思っていたからです。ただ、よほどの事情というか、私なりにやはりよほどの事情があれば3選も、それは決してまったく否定するものではありませんでしたけれども、いろいろ考えた結果、あえて3選に出馬することには至らなかったと、これだけのことです。いろいろ言い出せば切りがないのですけれども、それは申し上げることもないと思いますし、また選挙というのは出馬する方が説明責任を果たされるべきことで、出馬しない人に説明責任を求めること自体、やはり私にとっては違和感がございます。率直に申し上げておきます。

 県政で納得できたと評価できるもの3点ほど挙げよということですが、特に3点ということではありませんが、私は自治というのは、基本的には自立ということだと思っておりまして、自立のためには幾つか重要な要素があるわけで、その一つは国に対して、きちっと是々非々で物が言える、行動ができるということ、それから自治を支えるのは住民の皆さんですから、住民の皆さんと情報を共有するということ、これは情報公開ですけれど。もう一つは、それぞれの県内の地域内の主体である住民の皆さんですとか、企業、組織、団体いろいろな皆さんが、持てる能力を遺憾なく発揮できるような道筋をつけること、こういうことが自治、自立の要素だと思っておりまして、特にこれらの点に力を注いできたつもりです。そういう意味で言うと、国に対して鳥取県政というのは、他の県、自治体に比べると是々非々で対応できる力量が身についてきたのではないかと自分なりに評価しております。これが第1点です。

 住民の皆さんとの情報共有。これは情報公開とか、透明性の問題になります。もう一つはチェックということもこれに付随することになるかもしれませんけれども、この点についても、相対的な評価になるかもしれませんけれども、他の自治体などに比べると、透明性というのはかなり高いレベルに達しているのではないか。例えば、市民オンブズマンという皆さん方の評価、ランキングでも、幾たびとなくトップを取っており、そういう面でも透明性ということが評価できるのではないか、これが第2点。
  
 3つ目は自立への道ということで、これは私2期目になり、特に強調したのですけれども、従来の例えば県が中心になって何でもコルホーズ的に引っ張って行くとか、護送船団的に引っ張っていくというやり方を改めて、市町村は市町村、経済団体は経済団体、企業は企業、個人は個人、それぞれ自分たちの持っている能力を自主的に発揮していくというやり方に切り替えていくことを徐々にやってきているわけで、これはまだ緒についたばかりだと思います。ただある程度浸透してきたなと思っている節もあるのです。それは、特にその自立ということについては、強い反発も寄せられてきております。その反発を見て、やっぱり自立への道は無理ではないかと言われる方もおられますけれども、私はそうではなく、反発が出ているということは、かなり浸透してきているのだろうと思います。こちらが何らかのメッセージを出したときに受け止められなかったり、聞く耳を持っていただけなければ、反発すら出てこないわけです。のれんに腕押しという言葉もありますけれども。強い反発が出るということは、やはりそれなりに真剣に受けとめていただいて、自分なりに自立の道を考えようとしたときに、いろいろな隘路が見つかるとか、障害にぶつかるとか、それだから反発とか不安とか戸惑いが出てくるのだろうと思います。そんなものだろうと思います。ということからすると、自立という問題についても、かなり真剣に受けとめていただいているのではないか。今模索の段階でこれから時が経てば、この模索からさらに前進するという力が出てくるのではないかと期待しております。これが第3点。こんなところを自分なりに評価しているところです。

 前田八壽彦議員の代表質問の際に、私が3選不出馬について10年論などと絡めてお話しましたけれども、実はそうではなくて、いろいろなことがうまく行かないから私自身に不満がたまったり、挫折感を感じてやめるのではないかと、こういうお話だったと思いますが、例えば言外に言われているのは、県庁の中の職員の意識改革が進まないことなどの不満ではないかということでしょうか。
 
 私は、県庁職員の意識の問題で言いますと、8年前に知事になったときに比べても本当に見違えるように変わったと思っています。これは3,000人職員がおりますし、それから県が任命権を持っているといいますか、給与を払っているという面でいうと教員、教職員と警察職員を合わせて、1万人を超える1万2,000人ぐらいいるわけで、みんな一人一人私と同じような意識を持つことを願うということは無理です。人それぞれ、百人百様ですから。それぞれがみずからの意思を持った主体性のある職員ですから、まったく同じになってくれということを望むのは無理な話です。そうではなくて、総じて意識が改革されたかというと、本当に見違えるように変わったと思っています。
 
 それは例えばどんなことかと言うと、透明性に対する考え方、情報公開ということに対する考え方、物事をオープンな場で決めていく方がやりやすいし、楽だし、仕上がりもいいということに対する理解と共感。税金のむだ遣いをしてはいけないということに対する認識。いろいろな意味がありますが、あと例えば現場主義ですとか、いろいろな意味がありますが、もちろんこれがすべて完璧ではないし、一人一人がみんながということではないという留保条件は当然つきますけれども、組織全体を眺めて見た場合に、また他の府県ですとか、他の自治体と比較してみた場合、鳥取県の職員集団の意識というのは、相当変わったと思って、私は実はかなり満足度が高いのです、その点については。その点は誤解のないようにしていただきたいと思います。

 一部にいろいろな例外的な事象が生じたり、その一部に反発があったりすることは事実です。それは当たり前だと思います。当たり前というと言い過ぎかもしれませんが、何事も完璧とか百点満点というのは期しがたいことですから、必ず不具合とか例外はあるわけで、常にそういう認識はしておかなければいけない。そういうものがあることを前提にして、その目配りをしたりチェックシステムを作動させることが必要だということです。もし完璧になってしまうということであれば、完成してしまうということであればチェックはいらないわけで、監査員もいらなければ議会もいらないということになるのです。何故こういう監査機能とかチェック機関を設けているかというと、それはやはり不具合が生じ得るからですから、そういう不具合がたまたま生じたからといって、それで一々挫折したりということではいけないと思います。

 例えば国の方が、私がいろいろなことを提言したり、文句を言ったりすることに対して、余り感度よく反応しない、いろいろな制度もなかなか鳥取県発の内容に変わっていかないことに不満やいら立ちや挫折感はないのかということも指摘されているのだろうと思いますが、この点は本当になかなかうまくいかないのが現実です。

 千に三つ、千三までとは言いませんけれど、せいぜい十に一つか二つぐらいで、それでも私は十に一つあればいいと思うのです。1,800も自治体があって、いろいろな思惑がある中で、鳥取県からいろいろなことを提案したり、反発したり、反対したりして、仮に十に一つでもそれが実現できれば、それは御の字だと思うべきだと思うのです。もちろんそれで満足してしまって、以上終わりということには当然なりませんけれども、それでも十に一つ、次の年も十に一つであれば、だんだんと進展して行くわけで、そういう面で言うと、例えば鳥取県発で自治法改正など随分進みました。ですから、その点でもそれは欲を言えば切りがありませんけれども、挫折を感じるというようなレベルではないと私は思います。もし言ったことの大半が実現しなければ、挫折してしまうというのであれば、もう私は多分知事になって一年目に挫折してしまっているはずで、8年間元気よく務めてきたというのは、そういう挫折感を味わわなかったからでもあると思います。

 全国知事会において、またマスコミを通じて、また議場を通じていろいろなことに対して私も思ったことを率直に言ってきまして、それが相手から反発を呼んだり、いろいろな攻撃があったり批判があったりということで、それは想像以上に強いものがあったのではないかという御質問ですが、それは想像もしてなかったのに、こんな反発があったということはなくて、こんなことを言えば多分こんな反発はあるだろうなと予想しており、やはり何か言えば、物言えば唇寒しではありませんけれど、何か言えばやっぱり反発がありましたし、相当強い反発もあったことは事実です。そのときに思ったのは、やっぱり真実は人を傷つけるということで、私も恩師である梶山元自治大臣から言われたことがあって、真実は多くを言わない方がいい、真実は人を傷つけるからとよく当時大臣おっしゃっていましたけれど、やっぱりそれは当たっているのかなと思ったこともしばしばです。ただ、あえてやはり相手が傷ついたり、怒ったりしても言っておかなければいけないということは世の中にあると私は思い、みんなが黙っていて、物事の本質とか物事の重要な側面が知られないまま通り過ぎてしまうということは、あってはいけないことだと思い、あえて物を言ってきたという面があります。その点で反発が強かったから後悔したというようなことはありません。これから知事という仕事をやめますけれども、別のまた違った立場になると思いますけれども、こういう点については思ったことはこれからも率直に言っていこうと思います。

 もう一つつけ加えますのは、反発も強かったですけれども、反発が強い分、実は賛同される方も多かったという面もあります。実はこの点では表では余りおっしゃらない方が多いですけれども、こっそり手紙をくれるとか、知事会が終わってから、実は僕も賛成ですからねと何人か言われるとか。だったらどうしてさっき言わなかったのですかと皮肉の一つも言いましたけれども、反対反発もありましたけれども、賛同も随分ありました。

 総務省に対して、私は実は辛口で、総務省の方からは他の省に対して少し不公平ではないかと、どうして総務省だけにそんなにきついのですかと言われたこともあるのですけれども、それはやはりもといた――私がもと仕事をしていた職場ですからそれなりに愛着もありますので、やはりその親しい人が間違った方向に行こうとすれば、ちゃんと正してあげるというのが親切、本当の親切だろうと思い、あえて総務省に文句を言ってきたということも多いのです。そういうときに、一斉に総務省の皆さんが反発しますけれども、実はこっそりメールで職員が何人も本当は私たちも賛成なのです、とかあったりして、やっぱり組織というのは健全な面もあるのだなと思ったりもして、反発もあれば賛成もあるというのが世の中だろうと思います。

 今議会で、既にお二人の代表御質問にお答えしてきておりますけれど、それを伊藤さんが聞いて、今後のことを全部次の知事にゆだねる姿勢はおかしいのではないかという趣旨のことをおっしゃいましたけれども、私のミッションというのは、この任期の知事の職務、職責を全うすることで、将来を規定するものではありません。将来のことは、やはり新しい体制で物事を決めていくというのが筋ではないかと思います。

 これは私の知事になったときの経験からも、実はそういうことをあえて申し上げたいのですけれども、私が知事になったときに実はいっぱい物事を決めていただいていたのです、いろいろなことを。肉付け予算はこうですよとか、7月の人事異動はこうですよ、こうなっていますとか、それから何とか計画でこういうふうにしようとしていますとか。実はそれは非常にありがた迷惑でした。やっぱり新しい任期は、新しい首長と新しい議会で物事を決めていくということがいいのではないか。ですから、その助言ですとか、そういうことはあってもいいかもしれませんけれども、それを具体性をもって規定していく、方向性も決めてしまうとか、そういうことはあってはならないと私は思うのです。ですから、将来にわたることはいろいろ考えることはありますが、それはあえて言わない方がいいだろうというのが私の考え方です。

 先ほど伊藤さんのおっしゃっていることを聞いて、ちょっと気になったのですけれど、すべて新しい知事にゆだねるというのは間違いで、物事を最終的に決めるのは議会です。ですから、県政の方向、いろいろな方向を決めるのは例えばルールである条例であったり、それから具体的な施策を裏づける予算であったりするわけですが、これらを最終的に決定するのは議会です。ですから、地方自治というのは首長で物事が決まるのではなく、議会が最終的に物事を決める。私はこの認識を持つことが必要だろうと思うのです。

 今、次の統一地方選挙で、ともすれば首長の選挙に注目が集まります。東京都知事選にだれが出るの出ないの、本県でもそうですが、首長も重要ですけれど、一人の首長を選ぶ、これも重要ですけれども、実は議会がどういうあり方になるのかということの方が、私は重要だと思っているのです。それはなぜかというと、さっき言いましたように、最終的に物事を決めるのは議会なのです。

 私は、今臨時に中教審の委員になって、議論に加わっているのですが、今中教審で問題になっている、教育再生会議でテーマとして上げられたことの一つがあるのですけれども、それは地方教育委員会のあり方ということです。地方教育委員会のあり方が論じられる。それは今、実は論点は国の関与を強めるべきか、そうでないかということが一つの論点になっているのですが、そのときに、これはちょっと失礼な言い方になるかもしれませんけれども、地方によっては自治体によっては、教育委員会がだらしないという議論があるわけです。いじめの問題、いじめ自殺の問題なんかにちゃんとした対応ができてないではないか。現実にやはりその自治体よっては説明責任をちゃんと果たせない、力量の備わってない教育委員会があることも事実です。そのときに、その県とか国が関与を強めるのですかという議論に今なっているのですが、私はこの間も申し上げたのですけれども、教育委員会がちゃんとしていないということは、つまり教育員、その主体である教育委員がちゃんとしていないということになるわけで、その教育委員は首長が選ぶのですけれども、議会がちゃんと承認しているわけです。そういうところでもやっぱり議会の責任と、議会の権限というのが非常に重要なのですよということは、実は中教審でも申し上げたのですが、やはりこれからの自治分権の時代というのは、物事を自治体が決めるということは、最終的には条例、予算、人選のチェックも含めて議会が物事を決めるということですから、議会が非常に重要です。ですから、私がいつもあえて新体制になれるということを申し上げているのは、首長にという意味ではなく、これは首長も、もちろんそのアクタープレイヤーの一人として当然数えられますが、最終的には議会が決定権を持っているという意味を込めて、新体制でということを申し上げているわけで、その辺は誤解がないようにと思ってあえて蛇足ですが、つけ加えておきたいと思います。

<片山県政8年を振り返って>No.2

 
 私どもも当然、最終決定は議会という思いは理解しています。ただ、我々も任期中はやはりその時点での最善の議論、そして最善の方向を示すべきであると思っておりますし、当然決まっていても、次の改選された議会また首長で、また議論する中でそのベクトルも変わってくるでしょうし、それは仕方がないと思う。私が言いたいのは、今の任期の中で最善の議論と、それから最善のあるべき姿をやはり示すべきでないかという思いということで御理解をお願いしたいと思います。

 知事はサプライズではないと言われたのですが、知事はそうサプライズでないかもしれませんけれども、しかし、もしサプライズでないとするならば、逆に言うとなぜぎりぎりまで・・・・・・確かに悩まれたのはよくわかるのですが、やはり2期8年ということを何か初めから思っていたようなことを言われたのですが、そうであったならもう少しそういう部分も意思表示を早めにされたらよかったかなと思っておりますし、やはりこれまでの県政も反省しながら、またいろいろな議論をしながら次の鳥取県政をどういう形にするのか、そういう部分の議論も、県議の皆さんももう少ししやすくなったかなと思っております。
 
 ちょっと私気になったのは、記者会見の中で知事が一生懸命やっていても批判が多く出ると、私はやっている意味がなくなると語られていました。要するに、我々からするとやっぱりモチベーションの塊のような知事が、何か随分弱気になられたなという印象を受けました。そういう発言が出た背景というか、きっかけというか、そういうものについて知事にお伺いしたいと思います。


 さらにそういう意味も含めてなのですが、改革に対する異論、反論というのは、先ほどあったようにやっぱり片山知事県政の中では、知事の下ではそれが元気のもとということで、この議場を含めてですけれど、議論を通じて合意形成を図るということが知事の本意ですし、当然そうしたいろいろな批判が出るということは織り込み済みであったと思うのです。しかし、さっきの記者会見のような一連の会話を聞いていますと、やっぱり疲れたのかな、知事は、という感じでしたが、知事の御所見をお伺いしたいと思います。
 
 もう1点。片山県政、私は表現がよくないかもしれないですが、イバラの県政だったと思っております。確かに改革時期ということで、大型プロジェクトの凍結に始まり、人権条例の凍結に終わったということで大雑把な表現をしますと、凍結に始まり凍結に終わった知事かなという感がしております。

 まさにその中で人権条例は知事自らが提案し、議会が修正の上対案を示したことによって多事総論の中で凍結され、現在検討委員会に沿い願った。そのあり方が議題に入っておりますけれども、知事として期限を定めずに検討委員会に十分議論を重ねていただくという方針でしたが、この人権条例に対して、知事の任期内では最終的な方向が見えないということなのですけれども、それについての知事の感想、そしてこの条例について、新しい知事並びに議会の体制の中に最終的にはゆだねられるという形になると思うのですけれども、それについての知事の考え方をお伺いしたいと思います。


●知事答弁

 
 私の3選不出馬の記者会見の中で、中の言葉を引用されて、くたびれかのか、ということですが、私本当にありがたいと思うのですが、2期8年間元気に仕事をすることができました。本当に幸せだったと思います。
 実は今だから申しますがというのも変なのですが、結構病弱でして、いや本当なのです。病気で勤務を休むということは、知事になる前はしょっちゅうあったのです。ぜんそくの持病も実はあって、発作が起きたことも何度もあったのです。あと風邪をよく引くというのも私の体質かもしれませんけれどよくあったのです。ですから1年の内に何回も、病気で休むということは以前あったのです。ところが知事になって8年間、ぜんそくの発作も一度も起きておりませんし、それから風邪は、冷房のときに去年の夏に1回引いて2日間休みましたけれども、それ以外引いたこともありません。本当に元気に仕事ができたというのは私にとって大変ありがたいことだと思っております。ですから、知事をやってくたびれたということではありません。そうではなくて私は前から申し上げております、前からというか、この議場でも、10年が限度だということを申し上げてきた中で、原則2期で区切りをつけるべきだと自分で思ってまいりました。

 ただ正直言いまして、場合によっては3期目に挑戦することもあり得べしということは、やっぱり自分も思っておりました。そこまでのモチベーションがあるかどうかということだったのだろうと思います。ですから、原則2期8年ということを、一応みずからの区切りとしておいて、でも3期目に挑戦するということになるとやはりそれ相応のモチベーション、今まで以上のモチベーションが自分自身必要だったのだろうと思いますが、そこまでのモチベーションを持つに至らなかったというのが率直なところではないかと思います。

 私が知事になって最初にやりましたのが、いろいろな大型箱物の見直しで、そこから凍結に始まって人権条例の凍結に終わったとおっしゃられましたけれども、最初の箱物は凍結しているのは美術館で、あとは実は廃止、中止、大幅縮小というのをやったわけで、すべてが凍結ではありませんでした。今凍結状態にあって、いうなれば私自身、自分で凍結してまだ解凍もしておりませんし、行方も決めていないのは実は美術館で、これは気になるところです。これはまた新しい、それこそ新しい体制で考えていただければと思っております。

 人権条例についてはいろいろな経緯があって、これは最終的には議員立法でつくられて、しかし事実上これが施行できない。そこで凍結の条例をまた議会にお願いしてつくっていただいて今日に至っているわけです。これをどうするかというのは、それはいろいろな議論を経た結果執行部の方で設ける検討員会において、しっかりと検討してもらってその結論を得てどうするか、これから決めていこうということになっているわけで、それには期限、検討の期限をつけないということにしているはずです。したがって、私の任期、それから県議の皆さん方の任期中に決着がつかないということは、当初からこれはもう予想の範囲内ですので、もちろんつけばそれに越したことはありませんけれども、つかないということも当然あり得るということで検討をいただいているわけですから、その検討の今は経過を見守り、結論を待つということだと思います。それを受けて新しい体制で、この条例をどういうふうに持って行くのかということは決めていただければと思っております。
 

<片山県政8年を振り返って>No.3
 
 過日あるテレビで、片山県政を振り返るという特番がありました。その中で大変気になったのが、県民の皆さんに評価されていなかった点として、福祉の充実、経済政策、財政の再建の3点が上げられていました。知事、これらの県民からの評価をどのように受けとめられたのかお伺いしたいと思います。

 私としては、経済政策については、確かに片山県政の中ではもっとも厳しかった政策の一つだったと思います。知事の公約だった、県民との約束において掲げられた雇用創出1万人を初めとする産業の自立の部分が、一番達成率が低いと感じていますし、やはり経済政策については、行政だけではまた産業基盤が脆弱な我が県においては、解決しずらい問題であったかなと感じております。

 しかしながら福祉対策については、福祉対策にしても財政再建にしても、私は、片山知事はかなりの努力をされ、大きく前進したと思っております。特に財政については平成16年から17年度にかけて約200億円以上の地方交付税の削減が行われ、単年度で4,000億円程度我が県の財政にとり大きな痛手をこうむったと思っております。これが通常レベルの地方交付税を含めた国の財源措置がなされていたら、凍結された先ほどの県立美術館程度なら幾らでも建設できたと言うところまで私は改善されていると思っております。これはまさに片山知事の改善努力以上に国の財源措置が切り下げられた、切り捨てられて行ったという結果に、その努力が県民の皆さんに正しく理解されていない結果かなと思っています。
 
 また福祉の分野でも、ふだん光が当たりにくい、関心が持たれにくいDV対策や障害者福祉などにも、本当にかなりの力を注がれ、今では全国の先進県とまで言われるほどの施策が充実しておりますし、関係者の皆さんからは大変感謝しておられると聞いております。

 片山知事はマスコミにも露出度が非常に高くて、本当ならもっと県民の皆さんに理解されていると私自身思っておりましたが、しかしこの結果に私自身も驚いております。この結果について知事の感想と、県民の皆さんの理解を得るためには何が足らなかったのか、また県民の皆さんと課題の共有化を図りながら理解をしていくためにはどんな努力が必要だったのかというところを知事にお伺いしたいと思います。

●知事答弁

 
 それはテレビの番組ですか。私見ていませんのでよくわかりませんが、経済政策とそれから福祉と財政が弱かったとこういうことでした。いろいろな評価があるのだろうと思います。人それぞれの評価で結構だろうと思いますが知事として一生懸命やっても、例えば県の力の及ぶ範囲を超える領域も実はあるわけです。それは例えば経済政策です。これは県という単位で経済政策をやっても余り効果が上がらない。経済政策というのは、まさしく国の範疇、仕事の範疇で、閉ざされてない県の県域だけで経済政策をやるというのは、おのずから無理があるわけです。したがって、今例えば失業の問題だとか、リストラだとか、雇用条件が必ずしもよくないという問題が現実に社会の中にあって、それが例えば県の行政が悪いと言われても、いかんともしがたい面が実はあるわけです。雇用という面は、県も雇用者ですけれども、1万2,000人の雇用をしておりますけれども、大半の雇用は実は民間企業の雇用で、民間企業の皆さんの元気が出れば、実は雇用情勢というのは非常によくなるわけで、民間企業の皆さんの問題もともすれば行政のせいになるという面もあるのです。これはいつの時代にもそういうことはあって、そういう評価をいただくのもやむを得ないかなという気はします。ただ県の力の及ぶ範囲内のこともあるということは、改めて御理解いただきたいと思います。

 福祉や財政について評価が低いというのは、これも残念ですけれども、なかなか努力しても理解していただけない面があるということかなと思います。私が記者会見で申し上げたことを引用されましたけれど、一生懸命やっても評価されなければ余り意味がないというのは、実はこういう面もないわけではありません。これは率直に申し上げておきます。ではどうすれば理解されたのかというとこうとですけれども、これは例えばもっとPRをするとか、県で広報予算を組んでこんなことやっています、あんなことやっていますと言ってPRをするというやり方もあるだろうと思います。現にそんなことをやっている県もあります。

 先日、私民放のテレビに出まして、月曜日だったでしょうか。当地では放映されておりませんので、CATVでないと放映されておりませんけれども、テレビ番組に出たのですがびっくりしたのは、もう一人私以外の知事が出ておられて、番組では全部カットされていましたが、収録のときにはいっぱいグラフを持ってこられて、いかにその県の行政が、自分が知事になってからいいかということをグラフで示されたのです。見て隣で苦笑してしまいましたけれども、偏狭不快と言いますか、それに対して他の出演者もかなり批判めいたことを言われていましたけれども、番組では見事にばっさり全部削ってありましたが、そういうことをする県も実はないわけではないのですが、私は性分に合いませんので、自分で一生懸命やって、評価は人がしてくれる、いただけるものと思っておりますので、あえて広報予算を使って県政のPRなどもことさらしませんでした。その方が私は真実が伝わっていいのだろうと思います。

 ただなかなかその力を入れているところが理解していただきにくい面があるということもこれは事実です。いずれにしても一長一短ありますけれども、自然体が一番いいのではないかと思っております。

<片山県政8年を振り返って>No.4

  
 確かに、知事みずから力を入れて一生懸命県政の中で力を注がれた施策について、県民の皆さんに理解を得られないというのは、多分残念な、無念な気持ちが強いと思うのです。我々議員もそうなのですけれども、力を入れて本当に政策的に県政に反映させても、なかなか有権者の皆さんに理解されないという部分では、そういう部分があるのですが、どうやって有権者の皆さんに理解していただくか、やっぱりそれがないとまた次のステップに進むことができないと思うのです。

 例えば、知事も一生懸命やられた、頑張っている。けれども自己自身、自分自身はマスターベーションのようにやっているのだけれども、しかし有権者の皆さんに理解されない。その辺を、これからはどうしていけばいいかという部分がやはり一番大きな課題になるかと思いますが、それについて改めて所見があればお伺いしたいと思います。

 梶原岐阜県知事が全国知事会の会長だったころは、地方分権の推進のエンジンとして大きな期待がされておりました。おりましたけれども、近ごろ全国知事会の中でも片山知事を含めてとかく改革派と言われた知事の退任が相次ぎ、地方分権がまさに地方切り捨て分権になってしまうのではないかと危惧するところです。全国知事会の今後について、これまでのように分権推進のエンジンとして期待していいものなのか、従前の知事会のように総務省のお膳立ての中で行われる、要するに骨抜きの知事会になってしまうのか、片山知事にその辺の御所見をお伺いしたいと思います。

 私は、鳥取県で自治分権をきちんとした形で推進するためには、県内の市長会とか町村長会が小型であっても、全国知事会のような物申す地方分権のエンジンになってほしいという願望というか、期待がありました。しかし、現状を見る限り残念ながらそこまで至ってない、要するに期待外れに終わっているという感があります。しかしながら、鳥取自立塾などを開催して、市町村長や議員のスキルアップを図ってこられた片山知事としては、現在の市町村の分権自治の取り組み並びに市町村議会議員の意識改革はどの程度進んできたと認識されているのか、また今後に向けて何かアドバイスされるようなことがありましたらお伺いしたいと思います。

●知事答弁

 
 最初に、私にということではなく、一般的な政治家に対する評価、有権者といいますか、主権者の評価の問題ですが、これが正しくされる必要がある。これは民主主義の時代に政治を行う上では非常に大切なことだと思います。特に、大量の有権者を擁する大衆社会、大衆国家におけるその政治ないし政治家に対する主権者の評価、正しい評価がなされるということは非常に重要なことです。これがなされないということは、この大衆社会における民主主義が否定されることになりますので。これが実はマスコミなのです。現在の大衆国家、大衆社会の中で民主政治というものを支えるのはマスコミです。ですから一般論ですけれども、それにはマスコミの質だとか、それからマスコミの姿勢だとか、マスコミの力量というものが非常に大きく左右することになるだろうと思います。極端なことを言うと、マスコミのない社会というのは、絶対に民主主義というのはあり得ないわけです。北朝鮮に行くと、労働新聞はありますがマスコミはありません。ですから朝鮮民主主義人民共和国、民主主義と言いますけれども、民主主義はないということになるわけです。民主主義とマスコミというのは、切っても切り離せない関係だろうと思います。
 
 もう一つは、主権者である国民、住民、有権者の皆さんの、行政、政治に対する関心の強さ、質だろうと思います。この2つが重要な要素で、いずれが欠けても民主主義というのは成り立たない。今の質問に則して言えば、正しい政治や政治家に対する評価にはつながらないだろうと思います。

 知事会が今後どうなるかというのは、これはもうまた統一地方選挙が終わると顔ぶれが変わりますので、新しい顔ぶれでどういう運営をされるかということだろうと思います。よく知事会がまた元に戻るのではないかという意味のことを問われます。最近も多くのマスコミの皆さんから問われるのです。それはどういうことかというと、一時的に闘う知事会というスローガンを標榜して、知事会が非常に世間の注目を浴びた時代がありました。それがその闘う知事会を主導したメンバーが、一人去り二人去りとうとうだれもいなくなって、もとに戻るのでないかという趣旨のことなのですが、実はその闘う知事会という時代に、知事会全体47人の大半の皆さんがそのときの梶原会長のもとでの知事会の姿勢に共感をしていたのか、賛同していたのかというと、決してそうではないのです。その時代も実はごく少数であったというのが私の印象です。

 実は、梶原会長が誕生する前の知事会というのは、今よりももっと存在感のない団体でした。ほとんど議論もしないということでした。まるでその当時の自治省に寄り添う外郭団体のような存在でした。それではいけないというので何人かが知事会の外で活動を始めたわけです。それが梶原さんであったり、三重県の北川知事であったり、宮城県の浅野知事であったり、岩手県の増田知事であったり、私も就任後それに加わったわけです。知事会外活動というものをやったわけです。それに対して世間の注目、特にマスコミの皆さんの注目が、知事会外分派活動に注目が集まり、そのときの余勢を買って、実は知事会を乗っ取ったというと表現は悪いですが、会長選挙、従来の会長選びのルールを変えて立候補制にしてという、そこから始めたのですけれども、そうして知事会の会長ないし主要ポストを占めたというのが闘う知事会でした。闘うというのは何かと言いますと、政府と闘うというふうに皆さん言われるのですけれども、知事会は従来から実は政府と闘っていたのです。正しく言いますと自治省以外の政府と闘っていたのです。

 当時の建設省や農林省や他の省庁の補助金を無くせとか、他の省庁の機関員尋問を無くせ、他の省庁の地方出先機関を廃止せよとか、そういうことをやっていたわけですから、闘ってなかったことはないのです。ただし唯一闘わない相手が自治省だったわけで、自治省とは不即不離、一心同体のようなことをやってきたわけです。しかし、地方分権の時代になると、その自治省と実は距離をおいて自治省の持っている権限とか地方自治体に対する関与とか、そういうものを見直さなければ真の分権は成り立たないという認識を我々は持つに至ったのです。ですから、闘う知事会という名のもとに、新しい梶原会長のもとに知事会をつくった意味は、自治省、総務省との間に距離を置く。そして総務省と自治体との関係というあり方も客観的に公正に見直しをして是は是、非は非で臨むということだったのです。

 ですから、梶原会長のもとでの知事会ではどうなったかというと、総務省との間に距離を置くということですから、もう総務省の出身者ばかりで占められている事務局と距離を置いたわけです。知事会の発集する文書だとか、決議文だとか、そういうものは従来全部事務局でつくっていた。それは総務省のチェックを受けていたと思うのですけれども。そういうことではいけないので、会長県を事務局にしたり、それから私なども交付税の委員会の役を占めておりましたので、鳥取県で事務局を一部分持ったり、そんなことをやったのが実は闘う知事会の真の意味だったわけです。

 ただそのときに全員、多くの皆さんがそういう総務省との間に距離を置くということに賛意を示していたかというと、決してそうではなくて、他の皆さんは黙っていたというのが実態だったろうと思います。そのことに対して不満が、だんだんだんだんたまってきて、次の体制、今の体制ができたということではないかと思います。振り返ればそういうことです。ですから、もとに戻ったといえば、もとに戻ったわけですけれども、闘う知事会の間も実はそんなに底流は変わっていなかった。会長とか一部は違っておりましたけれども、底流は変わっていなかったと。ですから、基本的にはそんなに変わっていないということだと思います。

 市町村議会の意識改革はできたのかということですが、それは私のミッションではありません。私は県知事として県議会の皆さんとは関わりを持ちましたし、それから県議会にぜひチェック機能を発揮していただきたい、それはもう私のような立場からすると自分一人でやれることは限りがありますので、ぜひ県議会の皆さんに大いにチェック機能を発揮していただきたいということで皆さん方にお願いをしたり、要請をしたり、たまには皮肉も言ったりしたこともありましたけれども、それは私と県議会は県政をともに車の両輪として運営するということでしたから一生懸命やりましたけれども、市町村との関係というのは、私のミッションではありません。ただ一人の地方自治を志す者として、ぜひ市町村議会も本来の議会のミッションというものを発揮していただきたいということはずっと願っておりましたので、できる範囲内で、例えば自立塾というものを開いたり、あといろいろな啓発のプログラムを企画したり実践したりということをやってまいりました。その結果どうかというとこれはよくわかりません。実はこれからだろうと思います。変化があるとすれば、恐らくこれから変わってくるのではないかという印象を持っております。