2.県政の諸課題 |
<教育再生会議の報告について> |
去る1月24日、政府の教育再生会議からゆとり教育の見直し、教員免許の国家試験化、出席停止の活用、教員人事権の移譲、小規模市町村の教委の原則統廃合、体罰の範囲の見直し、教育委員会制度の抜本的見直しなどの内容を含む第一次報告が行われました。教育再生会議は、課題が山積する今日の教育課題に対応し、21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図る目的で、昨年の10月の閣議決定を経て、総理直属の機関として総理みずからが、50年先、100年先を見据えた議論をしていきたいとの意気込みで設置されたものです。
この報告書には、今日的な教育課題に対応するためとして盛りだくさんの処方せんが示されていますが、読んでみて私は少しというより、かなりの違和感を覚えています。なぜかと申しますと、現場である学校、教育委員会を一気に飛び越えて、何か雲の上の方で議論をして、性急に結論だけを上意下達的な傾向で導かれているのではないかと思うのです。
私は教育改革の議論を否定するものではなく、当然のこととしてそのあり方については、絶えず議論すべきもっとも重要な案件の一つであると思っております。つまり教育は我が国の将来の根幹を大きく左右する最重要課題であると思うからです。ところが、教育再生会議から報告された内容が安倍総理の50年先、100年先を見据えた議論というより、場当たり的な対処療法的なもので、現場の声を踏まえていない、きわめて内容のない淡白なものになっているのではないかと思うのですが、教育再生会議から報告された内容について、知事並びに教育長にその感想をお伺いしたいと思います。
さらに教育長にお伺いしますが、平成14年度から総合的な学習の時間などを取り入れた、いわゆるゆとり教育の導入により、学習内容は大幅に削減されていますが、実施される前と現時点での鳥取県内における子供たちの学力の変化がどう推移しているのか、またどのような特徴的な傾向が見られるのか、さらにメリットとデメリットをどのように評価されているのかあわせてお伺いします。
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●知事答弁 |
いろいろな見方とか評価とか批判も含めてあるのだろうと思いますが、私はこの教育再生会議ができたこと、それからそこで議論されてとりあえずのその一次報告ですが、内容を見て感じるのは、やはり現在の教育行政に対する不満ですとか、批判ですとか、そういうものがかなり荒っぽくストレートに出ているという感じを受けます。
当たってない面もあると思いますが、私は教育行政は所管しておりませんけれども、教育行政に間接的にかかわっている立場からして、その言われていることについては、やはり当たっていてもいなくても、謙虚に耳を傾けるということが必要なのだろうと思います。なぜならば、それは現在の教育行政に対するやっぱり不満だとか、批判だとかそういうものに端を発していると思われるからです。ただ余りにもスピーディーというか、いいふうに聞こえますが、ちょっと荒っぽいかなという感じはしないでもないと思います。中身で例えばどんなことを感じるかということなのですけれど、例えばその幾つかのポイントがありますけれども、教育内容についての指摘もあるわけです。それはゆとり教育から学力重視という一つの方向だろうと思います。これは文部科学省が進めてきて、ちょっと猫の目のように変わりましたけれども、進めてきたゆとり教育などに対する批判が根底にはあるのだろうと思います。これは教育再生会議から言われようと言われまいと、やっぱり我々自身も考えなければいけない。特に教育関係者はよく考えなければいけない。保護者ももちろん考えなければいけない。それから検証してみなければいけない。ゆとり教育が学力の低下に結びついたかどうか、これもやはり検証してみる必要があるだろうと思います。 やはり私も子供、ちょうどこの適齢期といいますか、この変化に対応する時期に子育てをやっておりますので子供を見ていまして、やはりその教育行政の変化に応じた子供の変化というのもあるような気がします。
最近、大学の関係者から聞いたのですけれども、やはりゆとり教育になってから何が変わったかというと、英語を読む力が落ちたと。多少のその日常会話をする能力は、以前よりひょっとしたら高まっているかもしれないけれども、英語の読解力は著しく落ちている、総じて落ちていると、こういう評価を実は何人かから聞きました。当たっているかどうかはわかりませんけれども、やはりこれらを検証してみる必要があるのだろうと思います。これは再生会議に言われようと言われまいと、です。
教員の質の向上というのも、一つの教育再生会議の提言になっておりますけれども、これは実は中教審でも今議論をしているのですが、やはり教員の質の問題というのは、点検は避けて通れない。それから質を高めるために、品質管理をするために何かの改善策が必要だということはあるだろうと思います。これも再生会議に言われようと言われまいと、以前から実はある問題です。それならばそれだけのことを問われるのなら、やはり県も教員を採用して研修している一つの主体ですから、採用時の問題、研修啓発にその改善点はないのかということを、振り返ってよく点検してみなければいけないと思います。
私はあわせてこの間中教審で再生会議もそうですし、総じて教員の質の点検とか、品質管理の問題をよく言われるけれども、教員を生み出している、免許を与えているのは国なのです。国と言いますか、国によってそのオーソライズされた教員養成学課を持つ大学です。それは私学であろうと、それをオーソライズされているのは国からですから、その教員養成課程の品質管理はいかがでしょうかということは実は申し上げたのですけれども、そういう点検も本当は必要になります。
あるカリキュラムをこなして単位を取ればそれで免許を与えられるわけで、免許を与えられる側、与える、与えられた人には実は相当差があるわけです。本当にそれでいいのでしょうかということも、問題にされなければいけないと思います。
あと教育システム改革というのが一つの大きな課題で、これはまさに地方教育行政体制のあり方で、地方教育委員会の力量というかが問われているわけで、これが教育再生会議から言われることは、非常に残念ですけれども、しかし自己点検がやはり必要な事例というのは、全国に随所にあるわけで、これもよく自治体関係者は省みなければいけない。これは特に教育委員会だけの問題に特化されがちですけれども、実は教育委員会をつくっているのは首長と議会です。教育委員会がだらしないと言われれば、実はそれを構成しているもとをつくっている生みの親は首長と議会ですから、教育委員会がいけませんよ、だらしがないよと指摘されれば、我が事だと思って首長と議会は考えていかなければいけない。自分の問題だと考えなければいけない。みんなで教育委員会が悪い、教育委員会が悪いと言っていったのでは済まないわけで、これは我々の首長も議会も含めて、自治体関係者のその自戒自省改善の糧にしなければいけないと思っており、私は教育再生会議の内容のすべてに賛成するものでもありませんし、すべてに反発するものでもありません。これはさっき言いましたように、我が国の今現在の教育のあり方、教育現場の有様についての一つの批判から出ているものだと思いますので、謙虚に耳を傾けて、我々でできることは改善していかなければいけないし、当たってないこともありますから、それについてはきちんと反駁する、反論するというそういう態度も必要だろうと思っております。
たまたま私は、自分で言うのも変ですけれども、学識経験者として中央教育審議会に入っておりますので、全国知事会の代表とか知事として入っているわけでなく、たまたま学識経験者として入っておりますので、思うところを述べております。知事会の代表のおっしゃることとは、いささかちょっと趣が違うところもあるのですけれども、そういう発言の場がありますので、私自身もこれから必要なことは申し上げていきたいと思っております。
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●中永教育長答弁 |
先ほど知事の答弁の中に提起された問題については、謙虚に耳を傾けるべきということがありました。私もそういうつもりですので、その上で申し上げたいと思います。私としては、その方向性に賛同する部分と、ちょっとどうかと思う部分と二つあります。
一つ例を申し上げますと、ゆとり教育の中で学校における授業時間数の減少というようなことがあります。これはいろいろな問題にもかかわるという意味で、私はこう増やした方がいいかとか、そういうふうなことは思っているところです。それから批判意識をしっかり教える。社会人としての基本を教えていくということも、非常に大事な方針ですので、私は賛成しております。それからちょっと賛成できかねるのは、市町村の教育委員会で一律基準5万人以下のところはお話があったように共同設置で統廃合ということだとか、都道府県の教育長の選任については国の関与を強めるということもどうかと思っています。そういう意味でこの会議というのは、これからの我が国の教育の方向性を大きく動かすという力がありますので、ぜひ幅の広い議論をいただきたいと思います。非常にいい部分がたくさんあるのはあるのですけれども、その掘り下げ方、把握の仕方とか、分析の仕方が少し一面的なような感じがしてなりません。もう少し学校ですとか、教育委員会ですとか、現場の状況ですとかをよく見ていただいて、掘り下げて開かれた議論がしていかれたらいいと思うところです。
いわゆるゆとり教育の導入によって、学力の変化はどうかと、それから特徴はどうか、あるいはメリット、デメリットみたいなものはどうかというお尋ねでした。
このいわゆるゆとり教育ですけれども、これは昭和40年代は特に顕著でしたけれども、詰め込み的な、知識の量を非常にたくさん与えていくというやり方。それから受験競争が非常に厳しくなりまして、ちょっと厳し過ぎる状態が出てきたということ、そういうことを踏まえて昭和55年ころから教育課程が新しくなったときに導入されて、順次その後いろいろな改定もされながら進められてきているものです。内容的にも減少しましたし、時間数も減っています。
ただこう知識をたくさん詰め込んでいく、一方的に教えていくのではなくて、自分たち、子ども達の方が自分たちから、自分で勉強しようという気になって学んでいく、少し自分なりに考えてまとめていくといいますか、そういう新しい学力化みたいなものが一つの核になっています。この点について私は大事なことだろうと思っているところです。
時間数だけ申し上げますと、小学校の国語ですけれども、昭和50年代の初めと現在との比較ですけれども、小学校の国語では6年間、1年生から6年生までですけれど、14%くらいの授業時間数の減少です。小学校の算数が17%の減です。中学校に行くと大きくなりまして、中学校の国語で33%の減。それから中学校の数学でいくと30%の減という形になります。中学校になると大きく授業時間の時間数そのものです。教科の時間数ですけれども、それが減っております。
県内の子ども達の学力の変化ということで、このゆとり教育の導入前と後とを比較できるものはどうかということですが、同じ基準で直接に導入前と後とを比べて見るデータというのは残念ながらありません。どうしてもそのテストをしますと、新しい・・・何て言いますか指導要領に基づいて内容ができてきますので、それに基づいたテストをしていくという形に調査をしていくことになります。ただ知識の量ということになりますと、今の授業時間数も減っていますし、内容も削減されていますから、以前よりも学力は落ちているということは言えるのではないかと思っています。
今度はゆとり導入後の状態ですけれども、これについては基礎学力調査を行っております。これについては平均点と言いますか、平均の正答率でいきますとおおむね良好だということです。小学校の3年生、6年生、それから中学校の2年生ですけれども。ただ、その中学校2年生の基礎学力調査の結果を見ますと、数学とか理科とか英語で、この盛期分布、山型が少し崩れ始めて、少し台形的な形の方になりつつあるということが出てきます。二極化というふうにはっきり言えるかどうかわかりませんけれども、その兆候が少し見えてくるのではないかと非常に危惧しているところです。
高校入試も見てみますと、これも英語において同様に少し山型が崩れて、こちらの方は二極化的な二つの山的な感じが出てきておりますので5教科の合計点においても、ちょっとそういう傾向もありますことも、あわせて十分注意しなければいけないことと考えているところです。
ゆとり教育のメリット、デメリットということでしたが、これについてはさっき申しましたように新しい学習指導要領は、自分で考えて問題を解決していくといいますか、自分で体験したり、問題を考えたりして解決するという力がついていると現場の方からは聞いています。たださっき言いましたように、授業時間数の確保に苦慮しているということがありますので、この辺がデメリットかなと思っているところです。
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<教育再生会議の報告について>2 |
確かに、いじめとか自殺、不登校、引きこもりなど子ども達を取り巻く諸課題は今たくさんありまして、喫緊の課題であることは承知しております。教育再生会議の報告では、これが問題をあたかも現場の教職員や教育委員会等に責任を押しつけるような取りまとめ方の中でいろいろな処方せんがつくられているように私は思えて仕方ありません。今の政府は、改革という名がよほどお好きなようで、改革と銘打った方針を出しさえすればすべてが解決されるような考え方があからさまに先行し過ぎているのではないかと思うのです。私はいつもこの議場で申し上げておりますけれども、改革するということは課題の原因や背景、現場の声などをしっかり分析する中で、改革すべき事項を緻密にまとめ上げていく作業が必要だと思いますけれども、教育長の御所見をお伺いします。
もう1点、今の子どもの学力ですけれども、私は過去と比較してそんなに遜色はないと感じております。昨年、倉吉東高の主催で開催された高校生フォーラムを見させていただきましたが、その内容のレベルの高さから私自身、今高校生でなくてよかったと早々に会場を後にした次第です。素直な実感ですが。教育再生会議におけるゆとり教育の見直しなど、学力低下の問題が最大の課題のように議論なされているのですが、私は今一番の問題は全体の学力レベルより学力の二分極化に対する取り組みの方が、まさに議論すべき課題であると思うのです。親の働き方の多様化、親の経済的格差、核家族化などさまざまな問題が子ども達を取り巻く環境の中で、一方では塾のかけ持ちでどんどん学力を向上させている子どももあれば、一方では勉強したくても修学、進学は困難な子ども達もおり、教育にも格差は二分極化が広がるなど、特に近年極めて顕著になってきた現象の一つだと思います。つまり、教育現場という社会の一部だけの責任にして解決できる課題でなく、この教育問題は社会全体で考え、議論し、その背景への対応を国家を挙げて取り組まなければならない重要な課題であると思いますが、教育長に御所見をお伺いします。また、教育委員会としてもこれらの課題解決に向け、さまざまな面で現場の実態を勘案して分析、検討され、対応策に試行錯誤されていると思っておりますけれども、こうした社会情勢の中で考えておられる具体的な対応策を簡潔に報告していただきたいと思います。
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●中永教育長答弁 |
不登校につきましては、10年度、11年度非常に多くて全国1位というような状況でしたので分析を行って、これは人間関係のつまずきとか、そういう原因がわかりましたので、スクールカウンセラーを配置して対応したということです。それから、学力の問題につきましては、基礎学力調査をして、生活リズムがきちんとして、生活がきちんとしている子たちは学力がつくというようなことが分析してわかりましたので、これに対する取り組みを今家庭の方を中心にしてやって、学校の力を上げているというところです。おっしゃるように、現場の実態ですとかそういうものをしっかり把握することが大事ですので、現場の声をまた今後も引き継いでしっかり聞いていきたいと思っております。
学力格差の問題は、社会全体の取り組むべき問題だということです。私もそれについては同感です。お話のように少し学力が台形化して二極分化の方に動くような気配のあるものがありますので、これについては我々非常に大きな問題ととらえておりますので、今後これについて学校の方の話ももっとしっかり聞きながら検討していきたいと、来年度取り組んでいきたいと考えておるところです。
問題解決に向けたいろいろな取り組みということで、これは特に家庭の方が社会の情勢を反映しやすいということがあると私は思っています。教育は格差をつくらない営みというふうなことが私は言えると思っていますので、そういう意味で県としてしっかり頑張っていきたいと思います。教育再生会議の方でいろいろなことが述べられていますけれども、そういう国を挙げて全体で取り組んでいくという姿勢はとてもいいと思いますので、ぜひそれを進めていきたいと思いますし、我々としては、さっき言いましたように家庭の方の教育力をしっかりつけるのと同時に、学校の教職員の資質をしっかり上げるというこの2点の大きな柱を中心にして取り組んでいきたいと思っています。
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