鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫集 : 本稿は2013年5月号(No.405 p.53-56)に掲載

ウィーンを愛して (5) クリムト生誕150年記念イヤー
◇ 2012年5月、ウィーンに滞在して幸運だったことの一つに、ウィーン世紀末の代表格である画家グスタフ・クリムトの生誕150年で、各種の企画を体験できたことがある。
クリムトが描いた女性 : Griechische Antike I(左) ・ 同 II [Pallas Athene](中) ・ Ägypten I(右)
1.美術史美術館Kunsthistorisches Museum KHM) [付)Kunst:美術 historisches:歴史的]
美術史美術館の外観と女帝マリア・テレジア像、メイン階段に儲けられた仮設橋(KB)とアーチの横壁面に描かれたクリムトの絵(矢印)、KBから見下ろした踊り場と彫像(下)
◇ クリムトはウィーンの著名な建物内部に壁画を描いているが、代表例がKHMにある。
 NHKが日曜美術館で「クリムトの誘惑~生誕150年 ウィーンの春~」と題して4月に放映した際、美術史美術館2階に上がるメイン階段の真上、天井近くに描かれたクリムトの壁画を近くで見ることが出来るように配慮された橋が仮設されているのを知った。しかし、我々が訪れる時期には終了しているとの字幕情報があり、残念に思っていた。

◇ ところが、KHMを訪れたら、仮設橋(Klimt-Bridge)が、幸いなことに維持されていた。同美術館のHPには、“センセーショナルな成功のため継続”、“床面から12mの高さ”と記載されていた。(末尾に付記)

◇ 壁画の素晴らしさを至近で堪能し、名称等を調べた。冒頭の3人の女性は、古代ギリシャとエジプトを主題とし、中央の女性に付けられた副題(Pallas Athene パラス・アテネ)のPallas は「ギリシャ神話女神アテナの別名で1802年に発見された小惑星」とある。なお、自身のデジカメは常にノーフラッシュでシャッター音もオフにしているが、中にはフラッシュ撮影をしているガイジンさんが居て困惑・・・。

◇ 門外不出の名品は多々あろうが、壁画なので、それこそKHMでしか拝見できないし、かつ、クリムト・イヤーに特別に仮設された橋と配慮された照明の効果もあり、至近からじっくりと鑑賞し得たことに感謝至極だった。

◇ KHMは、外観・内部写真からも伺えるように、建物自体に価値がある。かつ、教科書で馴染みのある絵画作品では、ブリューゲル作品の世界一を誇る大作の数々を筆頭に、フェルメールの『絵画芸術』、ラファエロの『草原の聖母』やベラスケスの『青いドレスのマルガリータ王女』など、来日すれば大混雑間違いなしのお宝作品もゆっくり・じっくり味わえた。
 「何故、ウィーンに世界で最大のブリューゲルの作品群が?」の疑問を抱いていたが、先日知り得たのは「絵画の分野では、古いものではハプスブルク家の家族・・・ブリュッセルのレオポルト・ウイルヘルム大公達により収集された逸品が集められ・・・」とあり、納得した次第。流石、世界史に輝くハプスブルク家・帝国と再認識した。
 同志主導で一通り見終えた後、「ン?!フェルメールは?」と気づいた。ガイドブックで紹介されていた配置と異なっており、係員に尋ねて、動線の盲点となる角の比較的小さな展示室にて『絵画芸術』と出会えた。隠れ家的な同展示室の観光客は希少で、本作の評にあるがごとくの静けさを感じる佇まいの中で出会えたのも幸運だった。
 2000年、大阪市立美術館で、大混雑の中、フェルメールの5作品を垣間見て、かつ、ロンドンでじっくりと親しんだ3作品(51.5~53×45.6×46.3cm)と比べて、大作であり、内心驚きを抱きつつ味わった。帰国後調べたら、小作品が多々あるフェルメール作品では標準的といえる『真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)』が44.5×39cmで、本作は120×100cmで、最も大きいとあった。

◇ 西欧の美術館は、アムステルダムのゴッホ美術館など例外はあるが、建物の環境それ自体が優れており、かつ、(未体験のルーブル美術館等、観光名所を除き、)混雑していないので嬉しい。

2.ベルヴェデーレ宮殿Belvedere Palace
◇ ウィーン市街南方にあるベルヴェデーレ宮殿は、クリムトの名画が多く、環境自体も素晴らしいので、観光名所となっている。今回はホテル至近地にあり、最終日に訪問することを半ば決めての出国だった。1994年のウィーン初訪問時には時間的制約等から未体験だった本宮殿は、自身には大切な場所で、愛おしさもあった。

◇ 2012年5月5月25日(金)、帰国する前日の朝も快晴だった。“朝飯前”にシェーンブルン宮殿・庭園で、同志は念願のジョギング、小生は散策を終え、朝食を摂った後、ホテルから東に数分歩き、ベルヴェデーレ宮殿・庭園の南門を通り、敷地内に入った。トラムが走る南側通りに観光バスを停め、降りた観光客も南門から入って行く。添乗員がめざすのは10時の開館時刻であろうことが判る。われわれも10時の開館時刻に合わせて、若干のゆとりを持ってホテルを発ったのだから・・・。

ベルデヴェーレ宮殿の外観(上宮・南側)・庭師が作業中、庭園にある彫像と「接吻」(絵葉書)、庭園の噴水
◇ ベルヴェデーレ宮殿は上宮・下宮からなり、庭園は広い。南側に位置する上宮にお宝のクリムト作品が多い。上宮を頂とした緩やかな地形を北に歩むと下りで、下宮に向かうことになる。さて、今回、我々が連泊したのは「プリンツ・オイゲン Prinz Eugen」の名を冠した由緒あるホテル(~これを最低価格で購入!)だが、ベルヴェデーレ宮殿西側のトラムが走る通りの名称であること、オーストリアにおけるオイゲン公(Prinzは英語のプリンス)は、救国の英雄であり、上宮を建て、下宮に住んでいたこと、新王宮正面に大きな騎馬像があること、メルクからドナウ川観光の際に乗船した観光船の名であったこと、そして、ホテル内には肖像画があることなどで、ウィーン滞在中に、プリンツ・オイゲンに親しみを抱くに至っていた。

◇ 上宮チケット発売所で、下宮とのコンビ・チケットを購入し、10時前に上宮玄関前の小さな列に並んだ。館内に入るとまずはクリムトの代表作『接吻』をめざした。が、大きな宮殿であり、係員の彼女に尋ねた。「クリムト」を発語すると同時に、右手で投げキッスを彼女に示した。彼女は即座に意図を理解し、「ユーモアがある」云々と話しながら、身を持って導いてくれた。一方、残念ながら「撮影はノーフラッシュでも禁止」だとの確認も済ませて、『接吻』の展示室に臨んだ。

◇ ウィーンフィルの本拠地、ムジークフェライン(Musikverein 楽友協会)“黄金のホール”で毎年元旦11時(日本19時)から衛星生中継されるニューイヤー・コンサートで、ワルツ・ポルカなどの演奏中、バレエ・シーンが過去にもベルヴェデーレ宮殿を舞台に撮影されていた。クリムト・イヤーの2012年は、3曲において、演出を変えながら、ベルヴェデーレ宮殿が“登場”した。ポルカ“燃える恋”では、ウィーン国立歌劇場バレエの男女がクリムトの『接吻』の前で、絵のごとく抱き合う姿勢から踊り始め、また、元に戻る演出に驚いたが、一方、微笑ましく、嬉しかった。

◇ ベルヴェデーレ宮殿の庭は広く、至る所に彫像があり、傾斜を活かした噴水も素晴らしい。穏やかな天候に誘われ、ゆったりと身を委ねた。

3.ウィーン・ミュージアムWien Museum
◇ ムジークフェラインの大通り向かいにあるウィーン・ミュージアムでもクリムトの特別展が始まっていた。教科書絵もあったが、本展の特徴は、クリムトが裸体(女性の局所)を赤裸々に描いたデッサン画の数々で、ノーフラッシュ撮影が許されていた。が、展示室が薄暗い照明にしてあったので、美味く撮れなかった。

◇ なお、クリムトの著名な壁画は、セセッション(分離化会館)のベートーベン・フリーズなど、ウィーン市内にいくつかあるが、今回は機会を逸した。
付記:Face to Face with Gustav Klimt
The Klimt-Bridge in the Kunsthistorisches Museum
Because of its sensational success, the Klimt-Bridge erected in the Main Staircase of the Kunsthistorisches Museum will remain until January 6, 2013, offering visitors a unique opportunity to enjoy a close-up view of Klimt’s early paintings displayed in situ twelve metres above the floor.
ウィーン・ミュージアムでのクリムト企画展のポスター(左)、主要作品、
入り口の看板(後方はムジークフェライン)、雑誌の表紙にあったクリムト(右)
≪随筆≫ ウィーンを愛して 
(1)気分は学生・クラシック音楽三昧 (2) 心地良い朝の散策が嬉しくて
(3)ベートーベンの小路とホイリゲ (4)教会ミサ~生活に根付いた音楽
(5)クリムト生誕150年記念イヤー (6) トラム ・ 列車 ・ 船 と ポストバス

姉妹編 《随筆》 [パリに魅せられて