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◇ パリからモスクワへ、閘門(Lock)でつながる運河をボートで巡ることができるとの情報にNHK-TVで接したのは何時だったろうか・・・。憧れるが、実現は不可能であり、お手軽なボート体験を重ねることになる。
◇ セーヌ河畔のオルセー美術館至近から出航・東進し、オルセー・ルーブル美術館を眺め、ノートルダム寺院を仰ぎ見る観光コースを航行した後、サン・マルタン運河に入り、9つの閘門を通過し、高低差25mを上り、パリ市街北東部の専用桟橋まで、2時間半で巡る[Paris Canal]社のルートが願いに合致した。 ◇ 同コースは、海外からのツアー客を対象とした運行ではなく、一日に上り・下りが各2本のみで、専用桟橋にチケットボックスがなく、地上係員もおらずで、よって、オルセー美術館界隈のセーヌ河畔で、船を見つけることになる。幸い、オルセー美術館は著名なランドマークで、自身、過去2回の訪問で界隈の地理は体が覚えてもいた。 とはいえ、朝9時過ぎのセーヌには観光船と思しきボートが多く係留されており、河畔を歩き、若干探した。それらしい船に乗り込み、係員のお兄さんに確認し、乗船券を購入した。 60歳以上はシニア料金で16EUR(25〜59歳は19EUR)で、団体ツアーでは体験できないのんびり・のどかな船上人となる。 ◇ 出航は9時半だが、10分前には甲板に居座った。曇天だが、無風に近く、気温も低くはない。 定刻に出航し、船首を反転し、上流に向けると、右手にオルセー美術館、左手にルーブル美術館を見ながら船は右側航行で進む。 15分ほどでパリ発祥の地、シテ島の南側、一方通行となるセーヌを進むと、間もなく(出航から20分程で)同島の象徴であるノートルダム大聖堂を左手に仰ぎ見ることになる。 同大聖堂を見送ると、シテ島とサン・ルイ橋で結ばれる岸 惠子の住居もある高級住宅街のサン・ルイ島の南を東進する。同島を抜けると、再び川幅が広がり、南側に市立植物園ゾーンが見え、対側はサン・マルタン運河の狭い入口となる。船は減速し、停船するかの速度で、大きく舵を取り、セーヌとは直角になり、北側に伸びる狭い水路に進入した。 ◇ 進入口の上は高架となっているメトロ5号線で、至近にある駅を発着する車両に目を留めることになる。水路に進入した船が即停船したので怪訝に思った。すると間もなく、セーヌに面した側の下流域になる扉が動き始めた。何と、いきなり閘門だった。静かな興奮を抱いた。 ◇ 水門が閉じられると、上流側の水の注入が始まり、水が噴出するように流入し始めた。閘門内の水位が徐々に上がり、セーヌの川面が低くなり、対岸の市立植物園の緑が豊かに見えてきた。水門内の水位が上流側と等しくなった時点で、上流側の水門が開き、船はゆっくりと前進した。水路は予想外に広く、両岸には多種多様の小型ボート・ヨットや観光船が係留されていた。前方(・北側)には、バスティーユ広場の中央に建つモニュメントが見えた。
◇ 私事“受験歴史”が苦手♪で、今尚、ある種のコンプレックスを抱いている。 せいぜい“火縄くすぶる”フランス革命の記憶を残している程度で、1789年の7月革命の勃発がバスティーユ監獄で、その跡地が広場になっており中央に円筒形の記念柱が立ち、さらに、革命200年記念でオープンしたのが広場に面したパリ・オペラ座・バスティーユだとは、現地に行くまで全く無知だった。
◇ 東京は江戸時代からの河川が地下水路となり、陸上は道路になっているところが大半です。パリでも、サン・マルタン運河のバルチーユ広場からの2km強が地下水路となっているが、それより北側は、市民の願いがあり、これを適えるべく、パリ市により景観保存がなされ、独特の環境を維持しているのは幸いだ。 ◇ さて、バスティーユ広場の下から始まる地下水路に進入すると、外の明るさは急速に失せた。船の前方はライトで照らされ、水路の壁面には若干の灯りが断続し、写真を撮るには困らなかった。むしろ、幻想的とも言える光に照らされた非日常的水路に心を躍らせた。実体験するまでは、運河の長い暗黒な水路に困惑気味な印象を抱いていたので、ギャップが大きかった。 ◇ かつ、地下水路は単調ではなかった。所々に(高速道の長いトンネル様の)換気扇のある天井からの光が射し込み、一層幻想的な光景を演出していた。 ◇ 重油特有の排ガスを後方にたなびかせながら、エンジン音高く航行していた船が減速し、停船した。怪訝に思い、身を乗り出して、前方を見ると、何と!赤信号が見えた。 間もなく、上流から大きな船が下って来た。貨物船と地下水路ですれ違い、そして、青信号に変わった後、進んで行った。これにも心が躍った。 写真の時刻を確認すると、地下水路に進入したのが10時18分、抜けるまでに16分を要していた。 ◇ 地下水路を抜けると、即、閘門で、上流の扉が高い印象を抱いたが、2連の階段型閘門になっていた。 両岸が大きな緑豊かな木立に抱かれるごとくの閘門であり、嬉しくなった。 ◇ 緑に覆われた閘室に居る間の写真記録を見ると、約2分で地下水路・下流側の門が閉じ(イ・10:36)、上流側が開いて水が注入され(ロ)、6分で注水が完了した(ハ・10:40)。 ◇ 上流側の水門が開き、階段型閘門が長い水路としてつながった後、船はゆっくりと進んだ(10:42)。 同様に、下流域が閉じられ、上流側から水が注入され、満たされた(ニ)後、上流側の門が開いて、船は進行した(ホ・10:48)。 計14分を要して階段型閘門を通過したことになる。日本に居ては体験し得ない、優雅・静かなひと時だった。
閘室に入ると、下流側の水門が閉じるのと同期的に、道路の橋桁も右回転し、閉じて行った(ト)。階段型閘門の上流側に水が満たされた時点で、運河を塞ぐ道路橋を見下ろす高さまでに浮上した(チ)。待機していた車と歩行者等が渡り始めた。 二つ目の階段型閘門を抜けると、運河の幅は大きく広がった(リ)。気づくと、セーヌに向かう側の閘門が青信号になっていた。 ◇ 両岸をつなぐ歩道橋は、何れも、大きく弧を描く鼓状で、上部には若者や中年の男女連れなど、閘門での一部始終を見守っていた。 船からの風景、橋からの景色、どちらも絵葉書になる・・・。人工的に造られた運河でありながら、大きな木立の中、自然に包まれ、ゆったりとした異次元的な時間に身を委ねていることに幸福感を抱いた。 ◇ さて、本稿では割愛するが、メトロの陸橋・固定道路・同下のトンネル等を含み、階段型閘門はさらに2つ続いた。各々個性のある閘門風景に加え、閘門の合間のカラフルなお店や一目で分かる赤い色調のカフェなど、街の様子や運河沿いの公園と憩う人たちを眺めながら、心中はそれこそ少年のごとくに、小躍りし続けていた。還暦過ぎて始めたカヤック然りで、小生は水・水辺の乗り物に愛着を抱き続けている ◇ 12時前になり、運河の幅はさらに大きく広がった。両側に貨物船などが係留され、別の観光船とゆとりを持って行き交えるほどの広さがあり、さらに、日本の道路に例えれば宅配便に相当する小さな荷物船も並走していた。(余りの広さに、帰国後に調べたら「ヴィレット貯水池 Bassin de la Villette」と分かった。) 船は再び速度を落とし、停船した。前方を見ると、案の定、赤信号で、道路橋が見えたが、回転台と思しき様子が見えず・・・、間もなく、何と、橋桁が挙上していった。ジャッキで持ち上げられ、青信号に変わり、小型荷物船を含め、3隻が水路に進入した。高低差は無く、閘門ではなかった。 ◇ ネット地図で事前学習済のパリ市北東端界隈に位置するラ・ヴィレット公園に至り、12:13に下船。目に入る光景の多様性は、期待を遥かに超えており、3時間近く、船の甲板に居続けていた。この間、2連の階段型閘門4つを含む計9つの閘門通過、地下水路と周囲の景観を体験研修した。お勧めのコースです。 ◇ なお、素人が写真撮影をする際に、快晴で陽光が強い場合は、逆光・ハレーション等で上手に撮れない。この日は、雲が多く、しかし、幸い風は無風状態(船がセーヌを進む際に風を感じる程度)で、思いがけず多数の写真を撮った。自分にとっては、各々に愛着を感じているが、本稿では極一部の紹介に留まった。 |
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≪随筆≫ パリに魅せられて | ||
(1)モンマルトルで奔放に | (2)サン・マルタン運河で遊ぶ | (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン |
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 | (5)天晴れプチ・パレ | (6)ラパン・アジルで歌う |
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姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して] |