鳥取県東部医師会報用に準備した≪随筆≫

パリに魅せられて (5) 天晴れプチ・パレ
オルセー美術館至近のセーヌに係る歩道橋を左岸から渡る(イ)と、コンコルド橋の向こうにグラン・パレが見える(ロ)。右岸の散策路をエッフェル塔や観光船を目に留めながら歩く(ハ)と、間もなく右手にコンコルド広場のオベリスクが見える(ニ)。散策路は大きな街路樹に沿っている(ホ)
プチ・パレ(Petit Palais)と同じく1900年のパリ万博の際に架けられたアレクサンドル3世橋の2対ある記念柱の金色の彫像が青空に映え美しかった。橋の向こうにエッフェル塔が見える絵葉書的風景(上)。写真の右側(北)にプチ・パレの南側面が目に入る。樹木の中のアングルはお気に入り(下)
◇ ノートルダム大聖堂の日曜ミサ体験を終えた後、セーヌ河畔(左岸)を東西に走る近郊線(RER-C)に乗り、天候に恵まれたこともあり、一つ手前の駅オルセー美術館で下車した。セーヌ河畔に出て、歩面が木製で心地良い歩道橋(ソルフェリーノ橋)を右岸へと歩いた。大きな街路樹が連なる遊歩道を時間に束縛されずにのんびり出来ていること自体に幸せ感を抱きながら、マリー・アントワネットがギロチン処刑されたコンコルド広場とエジプトから贈られたルクソール神殿から運ばれた“クラオパトラの針”なるオベリスクを見て、また、セーヌ左岸のエッフェル塔を遠望しながら、観光船を見送りつつ歩いた。
◇ コンコルド橋の信号を渡ると、柱の上に陽光に輝く金色の彫像が否応なしに目に入って来た。
 それは、1900年パリ万博の際にロシアの皇帝からフランスとの友好の証として贈られたアレクサンドル3世橋で、装飾が際立ち、セーヌ両岸に計4つの柱の上にある金色の彫像だった。
 快晴の日、昼前に西に向けて河畔を歩いていたので、青空に映え、輝く金色がとても美しかった。
 この橋を渡るとナポレオンの墓所があるアンヴァリッドに至るが、北に向けた。交差点となる至近の対角線上に大きなグランパレ(Grand Palais)が、東隣にめざすプチ・パレ(Petit Palais)がある。自身15年ぶり、彼女を誘って初めてのプチ・パレ・・・。大樹の間から見えたプチ・パレは綺麗だった。

◇ プチ・パレを初訪問したのは1997年11月の全国自治体病院協議会西欧医療施設視察団でパリを訪れた際の日曜日・全日自由時間の際で、バスでの市内巡りが企画されていたが、単独行動が許されていたこともあり、一人で堪能する機会に恵まれた。

◇ 凱旋門にほど近いホテルからエッフェル塔を望む絵葉書スポットのシャイヨー宮までは便乗し、同宮でエッフェル塔を俯瞰した後、皆と別れ、セーヌ川沿いの散策路を歩いた。11月17日に成田空港から出国し、ミュンヘン〜リスボン〜ロンドンを3・2・3泊した後、最終訪問地のパリは11月26〜29日の3泊だったが、好天に恵まれた。

◇ 街路樹は、天候の具合であろうが、西欧特有の Golden October と言える美しさが残っていた。呑気に歩きながら、セーヌ沿いでは主目的のオルセー美術館に向かう途中にあるプチ・パレに立ち寄ることにした。
“可愛い宮殿”と直訳出来るプチ・パレだが、あくまでも巨大なグランド・パレとの対比においてのことで、正面外観は威容を誇る(上)。アール・ヌーボーの装飾がとても美しいプチ・パレの正面玄関(下)
◇ プチ・パレは隣接するグラン・パレと共に、1900年のパリ万博の際に建てられた建物であること、各種講座や企画展が行われるグラン・パレと異なり、常設美術館があり、中庭の雰囲気も良いとの情報を得ていた。かつ、医学部か建築学科か、大学への進路選択に迷っていた小生にとって、プチ・パレの建物に期待感があった。ただし、観光ガイドブック評価では(ルーブルやオルセーが☆☆☆であるのに比して、当時)☆だったが、市立美術館は無料であるとの報も得ていた。
 今なお建築に関心を抱く小生にとって、プチ・パレの建物は魅力的だった。大き過ぎないことも要因の一つかもしれないが・・・。

◇ 閑散とした中に入り、絵に魅入った。時に係員が目に留まる程度で、外部者が極めて少ないと気づいて時計を見た。西欧ではカバンを体から離すと盗難に会うのが常識と心得ていたが、敢えて、長椅子に放置し、フラッシュ・オフでの撮影がOKであるとの確認を得て、写真を撮るなどした。

◇ 老夫婦が展示室に入って来られた。時計を見ると17分の経過で、つまり、少なくとも17分間は、美術館の気に入った展示室が(係員を除き)小生のために貸切状態だった。1997年時、プチ・パレの展示室は一般家庭に例えるなら、踊り場的な高さに展示室があり、地階には螺旋階段で降りることができた。そして、螺旋階段において、とくに特性が際立つのだが、アール・ヌーボーと一目で分かる飾りが備わっていた。暇にしていた係員が、ゆっくりしていた小生のために、自発的に記念写真を撮ってくれた。

◇ 予定外の長い時間をプチ・パレで過ごした後、オランジュリー美術館、オルセー美術館を訪ね約束の時間にホテルに戻った。混むことが必定だったルーブル美術館はパスした。(市内巡りの仲間は開館時刻をめざしてルーブルに行ったが、何故か開館時刻が大幅に遅れ、ということは観光客が集中し、入館後も大変でかつ入館時間が短くなり、困惑至極だった由:ルーブルは館内が広く、観光客が多いので、必ずや再訪する機会に、夜時間まで開館している曜日の夕刻に入館すると決めていた。)
典型的なアール・ヌーボー装飾が美しい螺旋階段(左)。正面の裏・中庭側を見上げて撮った一枚もお気に入り(中)。樹木に覆われた敷地内は北側がシャンゼリゼ通りと一体になっている(右)
◇ 以来15年を経た2012年10月、彼女の還暦記念に、1997年の体験を共有したく、散策・再訪した。1990年の初渡欧時のモンマルトル然りで、セーヌ河畔の散策、プチ・パレ訪問も彼女を伴う思い出のスポットだった。

◇ プチ・パレに入ると、随分と綺麗になり、常設展示室も変わっていた。大がかりな改修がなされた由で、入館システムも一新していた。市立美術館であり、無料であるが、来館者の国を確認し、記念になるチケットが手渡しされた。日曜日の来館だったこともあり、それなりに賑わっていた。モネ、シスレーなどの名品を見た後、お目当ての一つ、中庭に出た。回廊と庭、建物の各々が美しい。

◇ 転じて、2006年、NHKが放映した録画を、数年ぶりに、見て驚いた。“街に出た椿姫”のタイトルで、同名歌劇をヴェルサイユのプチ・トリアノン(2幕第1場)とプチ・パレの中庭(2幕第2場)が撮影地に用いられていたこともあり、親しみが増した。残念ながら、本作本編の映像作品は一般発売されていない。

◇ 中庭に面して、回廊も活かした老舗レストランがあるが、日曜日ゆえに営業していなかったので、当てが外れた。プチ・パレでの休憩をパスして、外に出た。右(北)に歩くとシャンゼリゼ大通り。通り沿いの公園・庭園をゆっくり歩き、コンコルド広場からメトロに乗り、日曜日でも飲食OKのモンマルトルに移動した。
≪随筆≫ パリに魅せられて 
(1)モンマルトルで奔放に (2)サン・マルタン運河で遊ぶ (3)彼女の思惑とプチ・トリアノン
(4)オペラ座ガルニエ宮に驚嘆 (5)天晴れプチ・パレ (6)ラパン・アジルで歌う
姉妹編 《随筆》 [ウィーンを愛して